中根幸

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中根 幸(なかね さち、嘉永4年(1851年)頃[1] - 大正4年(1915年12月29日)は、15代将軍・徳川慶喜側室

生涯[編集]

嘉永4年(1851年)頃、旗本・中根芳三郎(正丙)の娘として生まれ、後に旗本・成田新十郎の養女となり慶喜の側室となった。

慶喜との間には明治7年(1874年)に四男・徳川厚、明治9年(1876年)に四女・筆子蜂須賀正韶夫人)、明治13年(1880年)に七女・浪子(松平斉夫人)、明治15年(1882年)に十女・国子(大河内輝耕夫人)、明治16年(1883年)に十一女・糸子(四条隆愛夫人)、明治20年(1887年)に九男・徳川誠を出産。

明治維新後も慶喜の側室として仕えたのは、幸と新村信のみである。大正4年(1915年12月29日、死去。墓所は東京都台東区にある谷中霊園

脚注[編集]

  1. ^ 『徳川「大奥」事典』(東京堂出版、2015年)p.302

参考文献[編集]