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中村雨紅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宮尾神社【住吉神社琴平神社合社】
夕焼小焼 石碑

中村 雨紅(なかむら うこう、1897年1月7日戸籍上は2月6日〉- 1972年5月8日)は、日本の大正期の詩人童謡作家である。

本名は、井 宮吉(たかい みやきち、出版物など一般的には「井 宮吉」と表記される)[1][2]東京府南多摩郡恩方村(現在の東京都八王子市上恩方町)出身[1][2]。代表作は、故郷恩方の風景を歌った『夕焼小焼』。1919年に作詞し、1923年草川信が曲をつけた[3]

経歴

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宮尾神社(現在の東京都八王子市上恩方町2089[4]、八王子市「夕やけ小やけふれあいの里」に隣接[2])の宮司・髙井丹吾(たかい たんご)とその妻・シキの間の三男として生まれる[1][4]。宮尾神社の社務所で生まれたことから「宮吉」と命名された[1]1909年に上恩方尋常小学校(現在の八王子市立恩方第二小学校[5])を卒業した[1]1911年に恩方村報恩高等小学校を卒業した[1]1916年東京府青山師範学校(現在の東京学芸大学)を卒業した[1][2]。同年に東京府北豊島郡日暮里町第二日暮里小学校(現在の荒川区立第二日暮里小学校[6])の教師となる[1]1917年、おばの家である中村家の養子となる[1]1918年に日暮里町第三日暮里尋常小学校(現在の荒川区立第三日暮里小学校)へ転勤した[1]

師範学校を卒業し理想に燃えて教師の道を進んだものの、当時の日本の子供たちは貧しく生活も荒廃していた[1]。雨紅は教師として貧しい子供たちと接するうちに情操教育の必要性を痛感し、第三日暮里尋常小学校で「学級文集」を始めるとともに、自らも童話を執筆するようになる[1][2]

大正期には童話や童謡を掲載する児童雑誌が創刊され、1918年には鈴木三重吉が『赤い鳥』を創刊し、翌1919年には斎藤佐次郎野口雨情を編集長に迎え『金の船』を創刊した。日本の子供たちに良質な児童文学を届けようという運動が花開いた時代であった[1]

第三日暮里尋常小学校に勤務中の1921年高井宮筆名で童謡『お星さん』などが児童文芸雑誌『金の船』に掲載され、作品が野口雨情に絶賛される[1]。しかし職場からは理解が得られず、勤務先の校長からは作家との二足のわらじは教職の妨げになると止められたため、敬愛する野口雨情にも絶賛された童話の執筆をやめ、どこでも構想を練ることができる童謡の詩作に専念することとなる[1]

1923年に代表作となる『夕焼小焼』を発表した。雨紅は通勤時に恩方村から八王子駅までの約16kmを歩いて通っていたが、その帰り道に見た夕焼けに、幼い日の想い出や村の風景などを重ね合わせて描いた歌詞であった[1]。この楽曲ピアノ練習用の譜面帳に掲載されていたが、同年9月1日に発生した関東大震災で紙型から何から一切を焼失し、わずかに人手に渡っていて奇跡的に焼失を逃れた13部の楽譜を元に、この歌は人々の口から口へと歌い継がれて広まり、日本の代表的な童謡の1曲となった[1][2][7]

同年には中村家との養子縁組を解消して高井に戻り、漢学者本城問亭の次女・千代子と結婚した[1][2]1924年には長男・喬(たかし、1924年 - 1946年)が誕生した[1]

1926年日本大学高等師範部国漢科を卒業し、神奈川県立厚木実科高等女学校(現在の神奈川県立厚木王子高等学校)の国語教師となり神奈川県厚木へ赴任した[1]。その後は生涯、現在の厚木市に在住することとなる[1]1927年には長女・緑(みどり)が誕生した[1]

この間、野口雨情に師事する。筆名「中村雨紅」は、養子先の「中村」と、敬愛する野口雨情にあやかり「雨」の字を頂くとともに「紅」は「染まる、似通う」という意味を込めて命名した[1][2]

1949年に高校の国語教師を退職した[1]1956年に雨紅の還暦を祝して恩方村の有志が生家の宮尾神社境内に『夕焼小焼』の歌碑を建立し、それを機に興慶寺をはじめ、恩方村内の寺院でゆかりの(歌詞に由来)や歌碑の設置が進み、作曲者・草川信の故郷の長野県内でも歌碑が建立された。

1965年には望郷の念と母への想いを歌った『ふるさとと母と』を作詞し、1970年には雨紅自身の願いにより、興慶寺に『ふるさとと母と』の歌碑を建立した[1][注釈 1]。その翌年の1971年、雨紅は神奈川県立厚木病院(現在の厚木市立病院)へ入院し[1]1972年5月6日に死去した[1]。75歳没[1]。遺骨は生家の宮尾神社の南、髙井丹雄墓所内に埋葬された。

没後の1993年7月には、雨紅がその生涯の大半を過ごした厚木市の市立厚木小学校にも「中村雨紅記念歌碑」が建立されている[8]

2005年12月25日からJR八王子駅では、各番線の発車メロディとして『夕焼小焼』を採用した。その他、多くの市区町村防災行政無線の夕方の時報曲としても採用されている。

雨紅と縁のある八王子市内の小・中学校には、卒業した恩方第二小学校を始め雨紅自身が校歌を作詞した学校がある[9]

主な作品

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作詞

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著書

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  • 『夕やけ小やけ 中村雨紅詩謡集』1971年
  • 『中村雨紅詩謡集』1971年
  • 『抒情短篇集 若かりし日』1975年
  • 『中村雨紅 お伽童話 第1集 - 第3集』1985年
  • 『中村雨紅 青春譜』1994年

脚注

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注釈

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  1. 雨紅の還暦を祝って宮尾神社内に建立された直筆の歌碑について、テレビのクイズ番組に出演させたことから、『夕焼小焼』の作詞者として有名になった。[要出典]
  2. 妻は権藤花代
  3. 立項されている中尾正とは別人

出典

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  1. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 こどもレファレンスシート 中村雨紅 八王子市中央図書館、2010年12月、2022年10月22日閲覧
  2. 1 2 3 4 5 6 7 8 中村雨紅展示ホール 八王子市夕やけ小やけふれあいの里、2022年10月22日閲覧。
  3. 文化楽社『文化楽譜―新しい童謡―』掲載。
  4. 1 2 八王子市 住吉神社琴平神社合社【宮尾神社】 童謡「夕焼け小焼け」の生れ故郷 東京都神社庁、2022年10月22日閲覧。
  5. 八王子市立恩方第二小学校 2022年10月22日閲覧。
  6. 荒川区立第二日暮里小学校 2022年10月22日閲覧。
  7. 川崎洋『大人のための教科書の歌』p.70。
  8. 沿革 厚木市立厚木小学校、2022年10月22日閲覧。
  9. 1 2 学校概要>校歌・校章 - 八王子市立恩方第二小学校。2025年12月30日閲覧。
  10. 学校概要>校歌・校章 - 八王子市立恩方第一小学校。2025年12月31日閲覧。
  11. 学校概要>校歌・校章 - 八王子市立恩方中学校。2025年12月31日閲覧。
  12. 学校概要>校歌・校章 - 八王子市立上川口小学校。2025年12月31日閲覧。
  13. 学校概要>校歌・校章 - 八王子市立第十小学校。2025年12月31日閲覧。
  14. 学校概要>校歌・校章 - 八王子市立陶鎔小学校。2025年12月31日閲覧。

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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