中村清二
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中村 清二(なかむら せいじ、明治2年9月24日(1869年10月28日) - 1960年(昭和35年)7月18日)は日本の物理学者。
研究活動[編集]
光学、地球物理学の研究で知られ、光弾性実験、色消しプリズムの最小偏角研究などを行なった。地球物理学の分野では三原山の大正噴火を機に火山学にも興味を持ち、三原山や浅間山の研究体制の整備に与力している。また、精力的に執筆した物理の教科書や、長きに亘り東京大学で講義した実験物理学は日本における物理学発展の基礎となった。1925年に創刊された理科年表には、物理部の監修者として名を連ねている。
人柄など[編集]
- 妻との間に二男二女が生まれた。作家の中村正常は兄の子で、三原山の調査に同行したこともある。正常の長女が女優の中村メイコ。
- 旅行が趣味であり、90歳で亡くなる1ヵ月前にも長男らと飛騨高山、淡路島などを巡っている。島嶼を好み、台湾、樺太、満州、朝鮮半島などを訪れた。特に伊豆大島を好み、別荘を大島町に寄付している。
- 読書家でもあり、ウマル・ハイヤームの詩を原文で読むためペルシア語を独学したり、伊勢物語に傾倒したりした。
略歴[編集]
- 1869年10月28日、福井県鯖江町(現・鯖江市)に生まれる。
- 1892年7月10日、理科大学(現・東京大学理学部)物理学科を卒業。在学中は田中舘愛橘に学ぶ。
- 1895年12月3日、旧制第一高等学校教授に就任。
- 1900年4月20日、東京帝國大学理科大学助教授となる。
- 1903年2月23日からドイツに留学。
- 1906年7月3日に帰国。
- 1907年5月5日付で理学博士の学位を取得。
- 1911年11月28日、東京帝國大学理科大学教授に就任。
- 1924年6月27日付で帝国学士院(現・日本学士院)会員になる。
- 1929年6月2日、東京帝國大学名誉教授となる。
- 1953年11月9日、文化功労者となる。
- 1960年7月18日、過労のため没した。
栄典[編集]
著作[編集]
- 『近世物理學教科書』(冨山房、1899年)
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 金沢寿吉 『中村清二先生の思い出』 日本物理学会誌、Vol.15(9)、P.1-2、1960年
- 永田武 『中村清二先生を悼む』 火山、Vol.5(2)、P.1、1960年