中村弘海

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search

中村 弘海(なかむら こうかい、1925年(大正14年)6月21日 - 2008年(平成20年)11月30日)は、昭和時代後期の日本の政治家、企業経営者。

来歴[編集]

長崎県北松浦郡江迎町出身。長崎県北部のバス会社である西肥自動車(西肥バス)の創業家に生まれる。長崎県立佐世保中学校(現長崎県立佐世保南高等学校長崎県立佐世保北高等学校の前身の一つ)卒業後、1951年(昭和26年)に久留米医科大学(現久留米大学)を中退し西肥自動車に入社、同社運輸課長を経て1954年(昭和29年)10月、前月に没した父の後任として同社代表取締役社長となる。

1969年(昭和44年)、第32回衆議院議員総選挙で旧長崎県第2区から初当選、自由民主党に所属。以後、1983年(昭和58年)の第37回衆議院議員総選挙で落選するまで5期14年務めた。党内では当初川島派→椎名派、同派消滅後は中川派に属した。

政界では第2次田中角榮内閣第2次改造内閣三木内閣建設政務次官1974年11月 - 1976年9月)、三木内閣改造内閣防衛政務次官(1976年9月 - 同年12月)を歴任したが、入閣は果たせずに終わった。

1986年(昭和61年)には西肥自動車社長職を長男の中村克介(2008年退任、現同社顧問)に譲った。2008年11月30日、佐世保市内の病院で老衰のため死去(83歳)。

社団法人日本ソムリエ協会よりソムリエ・ドヌール(名誉ソムリエ)の称号を受けた。

著作[編集]

  • 失礼 中村弘海です(対談集) - 1967年、九州公論社刊。