中村容子

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なかむら ようこ
中村 容子
本名 大出 容子
生年月日 (1965-04-11) 1965年4月11日(59歳)
出生地 日本の旗 日本 東京都
身長 162 cm[1]
職業 女優歌手
ジャンル テレビドラマ
活動期間 1984年 - 1992年
主な作品
テレビドラマ
超新星フラッシュマン
音楽
『ティーンエイジ・ソルジャー』
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中村 容子(なかむら ようこ、1965年[注 1]4月11日[1] - )は、日本の元アイドル歌手・元女優・元タレント。本名、大出 容子[1][注 2]

東京都出身[1]国立音楽大学附属高等学校[1]中退[3]

来歴[編集]

東京都内で生まれたが、ほどなく埼玉県所沢市へ移る[4]。4歳から通っていたピアノ教室の先生に勧められて[5]、またピアノのためになることもあり[6]、小学1年生の3学期より公立小学校から国立音楽大学附属小学校に編入[4][5]。中学3年生のころからピアノを続けることに悩むようになったものの[7]、そのまま高校に進学するが中学以上に学校の雰囲気をつまらなく感じるようになり[4]、高校2年生の時に高校を退学することとなった[3]。一方、同時期に中学時代のボーイフレンドが彼女の写真を雑誌に投稿したことがきっかけで、コマーシャルへの出演依頼があり、芸能界の道に進むことになる[3]

音楽学校出身であることと歌が大好きであったことから、橋本淳のもとで指導を受けながら歌手を目指すことになり、1984年3月23日、CBSソニーよりアイドル歌手「中村容子」としてシングル「ティーンエイジ・ソルジャー」でデビュー[2][8]。同期デビューには荻野目洋子岡田有希子安田成美吉川晃司清水宏次朗などがいる[5]。キャッチフレーズは「NO!って言・う・も・ん」[8]オリビア・ニュートンジョンを意識して[8]、髪型はベリーショートに黒のベルベットっぽいピッタリパンツというようなボーイッシュ路線[2]1984年には、第13回[要検証]東京音楽祭国内大会で入賞した[8]。しかし売り上げが上がらず、事務所の方針によって4枚目のシングル『夏色マイハート』のリリース後にアイドル活動を終了、歌手活動からも遠ざかっていく[8]

その後は、『必殺仕事人V』22話「主水、イッキ飲みする」のお妙役に始まり、1986年には『超新星フラッシュマン』の主役(イエローフラッシュ/サラ役)で人気を博すなど、テレビドラマで女優として活動した[9][10]

『フラッシュマン』以降はしばらく仕事がなかったが、1988年1月に出身校の先生の紹介で、JRA-FMのキャスターを始めた[9]。その後、スポーツ新聞のコラム連載や『オールナイト・フジ』の競馬コーナーに出演するなど競馬関連の仕事が広がり始めたが、1989年にFM制作関係者が贈収賄容疑により逮捕され、スタッフは解散、仕事がない状態となった[11]。その後、アメリカに渡り少しドラマに出演したりしたが、1992年[注 3]に芸能活動を引退した[11]

2012年3月17日、歌手時代の全作品を含むアルバム『ショッキング・ドール18 +6』がソニーオーダーメイドファクトリー完全予約生産限定盤CDとして復刻[10]

2016年11月19日、「超新星30周年同窓祭」にゲスト出演し、30年ぶりにフラッシュマン出演者5人でポーズを披露した[12]

人物・エピソード[編集]

特技は、ピアノ[1]ジャズダンス[1]

中学・高校はそのまま一貫教育であったが、中学ではテニス部に入って、他校のボーイフレンドと仲良くなっていった[6]

芸能界入りの時期のことを後にインタビューで「変化の時期って、なぜか色々重なりますよね」と振り返っている[3]

『フラッシュマン』出演中のインタビューでは、「低血圧なので朝が早いのがつらい」「アクションは殺陣を覚えるだけで必死」「爆発が怖いので、できるだけ爆発の位置を遠くしてほしい」などの苦労を語る一方、「今までやったことがないことばかりなので、毎日が楽しいですね」とも答えている[13]

『フラッシュマン』で共演した植村喜八郎は、中村について「明るい人」と評している[14]。同じく共演者でJAC所属だった吉田真弓は、爆発がらみのアクションが多かった中村がうらやましかったという。スーパー戦隊シリーズでは、最終撮影で出演俳優が変身後のスーツを着て撮影するのが慣例となっているが、中村はスケジュールの都合で別セットでの撮影があったため最終撮影ではイエローフラッシュに扮していない。そのため、吉田は最終回のスナップに中村が写っていないことが残念と述べている[15]

芸能活動引退理由について、1993年のオバタカズユキによるインタビューの中で「芸能界の楽しさも分かりかけていたころだったが、疲れていたし、元々が音楽学校のピアノの緊張感から開放されてもう少し楽になりたかったので、これから一生芸能界の緊張の中で生きていきたいとは思えなかった」という趣旨の発言を残している[16]。また同じインタビューの中で芸能界復帰の可能性について聞かれて「誘われてもきっとやらないと答えると思う」旨を回答している[17]。このインタビュー当時は保険会社の外交員をしていた。

出演[編集]

テレビドラマ[編集]

映画[編集]

CM[編集]

音楽[編集]

シングル[編集]

アルバム[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 1984年3月23日時点で19歳の誕生日の目前であったことから[2]。また1966年生とする資料もある[1]
  2. ^ オバタカズユキ著『だから女は大変だ』のpp.21-34「アイドルしたから普通をみつけた、こと」節にて、「大出容子」名義でインタビューに答えている
  3. ^ デビューが1984年であり、芸能活動は8年間であった[11]ことから。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h 日本タレント名鑑'86』VIPタイムズ社、1986年、395頁。 
  2. ^ a b c 『だから女は大変だ』、p.26
  3. ^ a b c d 『だから女は大変だ』、p.25
  4. ^ a b c 明星
  5. ^ a b c 『だから女は大変だ』、p.21
  6. ^ a b 『だから女は大変だ』、p.22
  7. ^ 『だから女は大変だ』、p.23
  8. ^ a b c d e 『だから女は大変だ』、p.27
  9. ^ a b 『だから女は大変だ』、p.28
  10. ^ a b オーダーメイドファクトリー・中村 容子・ショッキング・ドール18 (+6)・CD・DVD・ブルーレイ・アーティストグッズ・書籍・雑誌の通販”. Sony Music Shop. ソニー・ミュージックマーケティング. 2017年2月8日閲覧。
  11. ^ a b c 『だから女は大変だ』、p.29
  12. ^ “フラッシュマン5人、30周年に奇跡の再会”. 読売新聞 (讀賣新聞社). (2016年11月22日). https://web.archive.org/web/20161122080626/http://www.yomiuri.co.jp/culture/special/tokusatsu/20161122-OYT8T50011.html 2017年1月25日閲覧。 
  13. ^ 「スーパーヒーロー作品 STAFF・CASTインタビュー 中村容子」『テレビマガジンヒーロー大全集 増補改訂版』講談社〈テレビマガジン特別編集〉、1992年、236頁。ISBN 978-4061784147 
  14. ^ 超世紀全戦隊大全集 1993, p. 188, 「戦隊シリーズ キャストインタビュー 植村喜八郎」.
  15. ^ 「4大アクション・ヒロイン座談会 田中澄子×大石麻衣×吉田真弓×澄川真琴」『東映ヒーローMAX』 Vol.12、辰巳出版〈タツミムック〉、2005年、74-78頁。ISBN 4-7778-0127-6 
  16. ^ 『だから女は大変だ』、p.30
  17. ^ 『だから女は大変だ』、p.31

参考文献[編集]

  • 「巻末ワイド・スペシャル がんばれ!新鮮GALS大特集 このまぶしさに拍手!」『明星』第33巻第4号、集英社、1984年4月、189-190頁、全国書誌番号:00022977NDLJP:1721948 
  • オバタカズユキ『だから女は大変だ』文藝春秋、1994年。ISBN 978-4163494807 
  • テレビマガジン特別編集 戦隊シリーズ20周年記念 超世紀全戦隊大全集』講談社、1993年11月14日。ISBN 4-06-178416-1