中村啓子

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なかむら けいこ
中村 啓子
生誕 (1947-11-25) 1947年11月25日(69歳)
日本の旗 日本富山県の旗 富山県

中村 啓子(なかむら けいこ、1947年昭和22年)11月25日 - )は、富山県出身の女性ナレーター東京俳優生活協同組合所属。少林寺拳法2段。合成音声黎明期の1980年代から日本語アクセントの研究協力を続け、彼女の声は現代日本語の標準アクセントの基準となった。

来歴[編集]

作家、坂東眞理子と小学校、中学校が同じ(中村の方が1歳後輩)。高校卒業後に上京、東京アナウンスアカデミー卒業。関東学院女子短期大学国文科卒業。同短大在学中ニッポン放送プロジェクト契約アナウンサーとしてデビュー。テレビタレントビューローを経て、1978年(昭和53年)に東京俳優生活協同組合に所属。

NTTグループ時報1991年平成3年)から)、電話番号案内、電話番号不存在、NTTドコモの留守番電話サービスセンター、銀行ATMエスカレーターなどの音声ガイダンスを担当。朗読ボランティア活動の一環として、三浦綾子読書会朗読部門講師として、朗読CD発表や各地での朗読活動、また、ナレーター養成所『OKEIKO』を主宰し、後進の指導を行う。

さまざまなメディアから取材を受けているが、2008年(平成20年)までは、声のイメージを大切にするため、基本的には映像メディアでの露出を控えており、顔はモザイク[1]や顎から下だけ[2]、本人の描いた似顔絵といった状態で取材を受けていた。

しかし、2008年(平成20年)12月に、日本オーディオ協会から「音の匠」として顕彰を受けて以降、マスメディアでも顔写真が紹介されるようになった[3]2009年(平成21年)11月22日放送の『NHKニュースおはよう日本』でも、顔出しの形で取材を受けた。所属事務所のウェブサイトのプロフィールでも、2008年(平成20年)以前は、顔写真が掲載されていなかったが、2010年(平成22年)1月の時点では、顔写真が掲載されている。

エピソード[編集]

  • この仕事を目指したきっかけは、小学校の時のクラスメイトに「アナウンサーになったらいいんじゃないの?」と言われたことだという。
  • 富山弁の矯正には苦労したが、鼻濁音に関しては、むしろ富山弁の発音がプラスになったという。また、日本語アクセント辞典は片時も離さず、4冊ボロボロになったという。
  • 上記「音の匠」の表彰式では、挨拶代わりに時報の一節を読み上げていた。
  • 中村の声は、日本電信電話株式会社の時報などで平成3年(1991年)から使われているが、採用の理由は、伝送の過程で声質が変わらないからだった[1]

担当項目[編集]

教養[編集]

バラエティ[編集]

討論[編集]

  • BSフォーラム

報道[編集]

教育[編集]

深夜[編集]

CM[編集]

その他[編集]

朗読CD[編集]

いずれも発売ハーベスト・タイム

脚注[編集]

  1. ^ a b フジテレビトリビア普及員会編 『トリビアの泉 ~へぇの本~ 素晴らしきムダ知識』III、講談社、2003年 16頁 ISBN 9784063527049
  2. ^ 快感MAP』(テレビ朝日2007年5月14日放送、『めざましテレビ』(フジテレビ)2007年5月28日放送
  3. ^ 例としては、安食美智子「「時報の声」の中村啓子さん 朗読ボランティア」『東京新聞』2009年1月31日付朝刊、第12版、第21面、暮らし見つめて。
  4. ^ “最大手 三菱電機エレベーター 淡々、明瞭 私の声で20年 浜松の女性 1人担当” (日本語). 中日新聞夕刊 (中日新聞社): p. 1. (2016年12月1日) 

参考文献[編集]

  • 『ひと』 朝日新聞2008年12月4日号
  • 『この人のスケジュール帳』週刊文春2009年1月15日号,文藝春秋

関連項目[編集]

外部リンク[編集]