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中村勝治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中村 勝治
なかむら かつじ
2013年12月7日 阪神競馬場、境港特別表彰式にて
生年月日 (1945-06-20) 1945年6月20日(79歳)
出生地 日本の旗 鳥取県境港市
出身校 国士舘大学政経学部
前職 境港市職員
所属政党 無所属
称号 旭日小綬章
親族 父・中村実三境港市議会議員)

当選回数 4回
在任期間 2004年7月25日 - 2020年7月24日
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中村 勝治(なかむら かつじ、1945年昭和20年)6月20日[1] - )は、日本政治家。元鳥取県境港市長(4期)。

父は境港市議会議長を務めた中村実三

経歴

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鳥取県境港市生まれ。同市湊町在住[2]鳥取県立境高等学校を経て、1968年3月、国士舘大学政経学部卒業[2]日本電信電話公社に勤務する。1996年4月、境港市企画部次長[2]1998年1月、境港市市民生活部次長[2]。同年12月、境港市市民生活部長[2]2002年4月、境港市総務部長[2]

2004年6月5日、境港市長の黒見哲夫が健康上の理由により辞職届を提出[3]。里見の辞職に伴い7月25日に行われた市長選挙に立候補し初当選した[4]

2011年10月29日全国豊かな海づくり大会レセプション出席のため、鳥取市へ向かう際に公用車が交通事故を起こし、腰骨骨折の重傷を負った[5]

2016年の市長選で4期目の当選を果たした。

2020年境港市長選には出馬せず、退任。

2020年、旭日小綬章受章[6]

家族・親族

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中村家

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(鳥取県境港市明治町・境港市湊町
  • 妻(境港市新屋町、壁三之助長女[7]、航空自衛官壁祐司朗姉)
  • 義父・壁三之助
大正8年(1919年)10月福井県丹生郡越前町に父壁伍吉の次男として生まれた[7]。昭和15年(1940年)6月現役兵として舞鶴海兵団入団[7]。新兵教育の後軍艦利根に乗組み東シナ海方面に出動する[7]。昭和16年(1941年)3月横須賀海軍航空隊に航空機整備技術練習生として入隊[7]。6ヶ月の教育終了後同航空隊に整備兵として軍務に従事するも11月南方へ出発、サイパン島を通過した辺りで大東亜戦争の開戦を知る[7]。マーシャル群島ヤール島到着、水上飛行機の整備に従事する[7]。昭和19年(1944年)3月厚木飛行場にて高等科整備術練習生として教育を受ける[7]。6月横須賀海軍航空隊転属[7]。11月鹿児島海軍航空隊転属[7]。昭和20年(1945年)3月美保航空隊転属[7]美保基地に勤務の後美保航空自衛隊に入隊、昭和45年(1970年)3月退官[7]。その後同隊に職員として勤務、昭和55年(1980年)3月定年退職をなす[7]

脚注

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  1. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、324頁。
  2. ^ a b c d e f 市長プロフィール:境港市役所 市長の部屋
  3. ^ 6月5日、黒見哲夫市長が辞職届を提出
  4. ^ 境港市長選挙開票結果(平成16年7月25日執行):さかなと鬼太郎のまち境港市 Sakaiminato City Official Web Site
  5. ^ 境港市長が事故で重傷 公用車で移動中 日刊スポーツ 2011年10月30日閲覧
  6. ^ 『官報』号外第230号、令和2年11月4日
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m 『戦友の譜 境港市編』(1993年、史記編纂研究会、197頁)

関連項目

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公職
先代
黒見哲夫
境港市旗 鳥取県境港市長
2004年 - 2020年
次代
伊達憲太郎