中島徳博

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
中島 徳博
生誕 1950年
鹿児島県鹿児島市
死没 2014年8月28日
神奈川県
国籍 日本の旗 日本
職業 漫画家
活動期間 1969年 - 1980年代
ジャンル スポーツ漫画、青春漫画他
代表作 アストロ球団』(遠崎史朗原作)
朝太郎伝
テンプレートを表示

中島 徳博(なかじま のりひろ、1950年 - 2014年8月28日)は、日本漫画家鹿児島県鹿児島市出身。息子の中島龍太郎は金剛峯寺僧侶をする傍らエッセイストとしても活動し、2014年優駿エッセイ賞でグランプリを受賞している[1]

経歴[編集]

1950年鹿児島県鹿児島市に生まれる。家が母子家庭で貧しかった為、小学生の時から新聞配達をして家計を支えており中学生になると自らを高校生と偽って日雇いの肉体労働をしていた。

漫画専門誌「COM」に影響を受け、漫画を描き始める。鹿児島実業高校在学中に東京漫画出版社で貸本漫画デビュー、卒業後は大阪で看板屋の仕事をするかたわら、日の丸文庫で出版のアルバイトをしていた。1969年、「週刊少年ジャンプ」掲載の『悪友伝』で漫画家デビュー。編集者だった西村繁男が中島の才能を見抜き、自宅に出向きスカウトしたという。その後上京、1972年より「週刊少年ジャンプ」で連載を開始した『アストロ球団』が大ヒット作となった。

『アストロ球団』の連載は過酷なスケジュールで行われたため、中島は嘔吐や蕁麻疹、円形脱毛症、ストレスが原因の手の腫れ等の様々な体調不良に悩まされた。締め切りまで原稿を仕上げる事が出来ず、印刷所輪転機を止めてしまう事故を起こし、編集部で土下座し二度と締め切りを破らない事を誓う宣誓書に血判を押した事もあったという[2][3]。『アストロ球団』終了以降も「週刊少年ジャンプ」および「月刊少年ジャンプ」誌上で作品を発表していたが、過去の過労がたたり30代半ばで脳内出血を起こし昏倒、命は取り留めるも、以降、漫画家として絶筆状態となる。息子の中島龍太郎によると、彼が物心ついたころには漫画家としての仕事はほとんどなく、一日中のんびりとテレビを見たり新聞を読んで過ごしていたとのこと[3]

2014年8月28日大腸癌のため、横浜市旭区の病院で死去[4]。64歳。

人物[編集]

  • ジャンプの先輩漫画家、本宮ひろ志を敬愛しており「お兄ちゃん」と呼び慕っていた。
  • 野球の経験がないまま編集部の指示で野球漫画である『アストロ球団』を連載した。そのことを不安に思っていた中島は『巨人の星』を執筆していた川崎のぼるに相談、川崎も野球の経験がないことを聞き、安心したという。
  • 週刊少年ジャンプ3代目編集長の西村繁男によると、代表作である『アストロ球団』は、アンケートをもとに編集者と漫画家が共同でストーリーを作っていく「週刊ジャンプの漫画作りの原点」であり、以後、ジャンプ誌上で人気を誇ったいわゆる「バトル漫画」の先駆け的作品であるとしている[5]

主な作品[編集]

連載[編集]

読切[編集]

アシスタント[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 島田明宏 (2015年3月7日). “いつもどおり、競馬場に”. netkeiba.com. 2015年3月7日閲覧。
  2. ^ 平松伸二 『そして僕は外道マンになる』 第1話
  3. ^ a b 田中圭一第13話:『アストロ球団』中島徳博とゆずごまラーメン」『田中圭一の「ペンと箸」-漫画家の好物-』、2017年ISBN 9784091893116
  4. ^ 漫画「アストロ球団」、中島徳博氏が死去 読売新聞 2014年9月1日閲覧
  5. ^ 西村繁男 『まんが編集術』 p133