中島九右衛門

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中島 九右衛門(なかしま くえもん)は、大阪府枚方市において、江戸時代に栄えた旧家。屋号「柴屋」。

始祖は嵯峨天皇第十二子河原院(左大臣源融)の末裔嵯峨源氏の末流。尾張国中島郡中島村、中島城主・中島蔵人(鎌倉時代)。中島左衛門尉宣長(『吾妻鏡』に記載)。尾州中島城主本居山城守源氏孝(室町時代)。中島氏種(戦国時代/豊臣氏・大坂七手組頭)。

略記[編集]

祖先の中島氏種は、豊臣氏の重臣(大坂七手組頭)。大坂夏の陣以後、氏種の一子が河内国茨田郡岡新町村(現・大阪府枚方市新町)に帰農した。江戸時代、幕府から代々「中島九右衛門」(屋号・柴屋)を名乗ることを許されていた。紀州徳川家専用本陣枚方宿役人、金融業・酒造業等を兼帯し、大阪北部屈指の豪農として栄えた。天保期には、小作米864石、所有地63町歩(約62ヘクタール)に達した。当時の建物は安政4年(1857年)、火災により焼失。以降再建されるも、近年の急速な都市化により屋敷は現存しないが、往年の枚方宿を偲ぶ多数の古文書が残されている。現在、中島家の子孫は主に、大阪府枚方市新町・同市中宮町・大東市新田に3家ある。

資料[編集]

中島家由緒書:(江戸・化政期)中嶋九右衛門政孝

「尾州中島城主 本居山城守源氏孝 謂有而 太閤秀吉公家臣と成 其節郡地名を以而 中嶋と改 中島式部少輔氏重 後胤一子庄五郎氏種 是当家之為大祖 元和三巳年から血脉 男子相続罷在候 先祖氏種から十二代 当主 中嶋九右衛門政孝」

枚方市史(昭和二十六年刊行):

「明治初年迄当地で清酒『星の井』を醸造していた中嶋九右衛門の先祖は、尾張国中嶋城主本居山城守源氏孝と言い、其後、豊臣秀吉に仕えて中島式部少輔氏重と名乗り各地に転戦したが、大坂の陣に討死した。其一子が枚方駅に立越して天の川尻の沼地を開発し、岡新町村の村名を得たのだという」