中峠城

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中峠城
千葉県
別名 芝原城
城郭構造 平山城
天守構造 なし
築城主 不明
築城年 不明
主な城主 河村氏
廃城年 天正18年(1590年
遺構 土塁、郭
指定文化財 なし
位置
地図
中峠城の位置(千葉県内)
中峠城
中峠城

中峠城(なかびょうじょう)は、下総国相馬郡(現在の千葉県我孫子市中峠)にあった日本の城である。芝原城(しばはらじょう)ともいう。

概要[編集]

北側に古利根沼を望む形で立地し、古河公方家臣から後北条氏の被官になった河村氏の居城であった。いつ、誰が築城したかについては未だに不明である。

歴史[編集]

『湖北村誌』によると、天文10年に初代河村出羽守勝融が中峠城に入り、天文15年には第2代河村修理之亮が城主になる。永禄7年には修理之亮が国府台で北条氏に敗れて戦死し、河村氏は後北条氏の配下となる。第3代当主は河村山城守、第4代は出羽守で、天正18年の小田原城征伐の際には小田原城中に詰めていたが、留守中に中峠城が陥落した。その後、同年12月には小金城主の武田信吉が治め、文禄元年には徳川家康の料地となり、名前が中峠村(又は芝原村)となった[1]

構造[編集]

南北380mを底辺とし、東西420mの不当辺三角形の範囲に建てられた。南北と西方に崖があり、東方は台地続きになっている[2]

脚注[編集]

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出典[編集]

参考文献[編集]

  • 湖北村誌』菅井敬之助、湖北村、1920年。国立国会図書館書誌ID:000000580738
  • 『千葉県我孫子市中峠城跡調査報告書』我孫子市中峠中世城跡発掘調査団、中峠城跡調査団、1974年。
  • 千野原靖方『東葛の中世城郭』崙書房、2004年。ISBN 4-8455-1101-0

関連項目[編集]