中山茶臼山古墳

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中山茶臼山古墳
Nakayama Chausuyama Kofun, funkyu.jpg
墳丘(右に後円部、左に前方部)
所在地 岡山県岡山市北区吉備津
位置 北緯34度40分0.51秒
東経133度51分16.87秒
座標: 北緯34度40分0.51秒 東経133度51分16.87秒
形状 古墳記号アイコン-前方後円墳.svg 前方後円墳
規模 墳丘長105m
高さ11m(後円部)
築造年代 3世紀後半-4世紀
埋葬施設 不明
被葬者 宮内庁治定)大吉備津彦命
出土品 埴輪
指定文化財 宮内庁治定「大吉備津彦命墓」
特記事項 行燈山古墳奈良県天理市)の2分の1相似形
地図
中山茶臼山古墳の位置(岡山県内)
中山茶臼山古墳
中山茶臼山
古墳
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大吉備津彦命墓 拝所

中山茶臼山古墳(なかやまちゃうすやまこふん)は、岡山県岡山市北区吉備津にある古墳。形状は前方後円墳

実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「大吉備津彦命墓(おおきびつひこのみことのはか)」として第7代孝霊天皇皇子大吉備津彦命(吉備津彦命)の墓に治定されている。

概要[編集]

岡山市街地から西方、独立丘陵「吉備の中山」の山上に築造された大型前方後円墳である。現在までに墳丘を極めて良好に遺存する[1]。現在は宮内庁の治定墓として同庁の管理下にあるが、これまでに2008年度(平成20年度)の宮内庁書陵部による墳丘測量調査などが実施されている[1]

墳形は前方部が開く「バチ形」の前方後円形で、前方部を南方に向ける[1]。墳丘は2段築成[1]。墳丘表面では葺石が検出されているほか、出土埴輪の存在から埴輪列の存在が推定される[1]。その他の詳細は明らかでない。

この中山茶臼山古墳は、古墳時代前期(3世紀後半から4世紀頃)の築造と推定されるが、資料に欠け具体的な築造時期は明らかでない[2]。性格としては、吉備津を望む臨海性と背後の平野を望む内陸性の両面が指摘される[3]。なお、吉備の中山は後世の備前国備中国の境界になるが、山上に位置する本古墳の古墳域はその境界線上にあたる[4][1]。またこの吉備の中山では、初期古墳の矢藤治山古墳や、前期古墳の尾上車山古墳(国の史跡)の築造も知られている。

来歴[編集]

規模[編集]

後円部墳丘
手前は八徳寺奥の院の穴観音(一説に前身は古墳を拝む磐座か)[5]

古墳の規模は次の通り(値は宮内庁の測量図に基づく推定復元値)[1]

  • 墳丘長:105メートル
  • 後円部 - 楕円形(長軸は墳丘主軸と不一致)。2段築成。
    • 直径:長軸68メートル、短軸64メートル
    • 高さ:11メートル
  • 前方部 - 2段築成。
    • 長さ:63メートル
    • 幅:約45メートル
    • 高さ:5メートル
  • くびれ部
    • 幅:約23メートル

かつては墳丘長に関して約120メートルという数字が知られたが、2008年度(平成20年度)の宮内庁による測量に基づけば上記の値に修正される[1]

墳丘の築造企画については、行燈山古墳奈良県天理市、伝崇神天皇陵)の2分の1相似形とする説がある[2]

被葬者[編集]

中山茶臼山古墳の実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁では第7代孝霊天皇皇子大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと、吉備津彦命)の墓に治定している[6][7]。この大吉備津彦命について、『古事記』では本の名を「比古伊佐勢理毘古命(ひこいさせりひこのみこと)」、亦の名を「大吉備津日子命」とし、弟の若日子建吉備津彦命とともに吉備国を平定したとする[8][9]。また『日本書紀』では、本の名を「彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと)」、亦の名を「吉備津彦命」とし、四道将軍の1人として西道に派遣されて平定したとする[8][9]。両書には大吉備津彦命の墓についての記述はないが、1874年明治7年)に本古墳がその墓に治定され、それが現在まで踏襲されている[1]

なお吉備の中山の山麓では、大吉備津彦命を祭神とする吉備津神社(岡山市北区吉備津、備中国一宮)、吉備津彦神社(岡山市北区一宮、備前国一宮)の鎮座が知られる。特に前者の吉備津神社は国史にも「吉備津彦命神」として見える霊廟になり、その社伝で大吉備津彦命は吉備の中山の麓に茅葺宮を建てて住み、281歳で亡くなって山頂に葬られたと伝えている。

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l 書陵部紀要 陵墓篇 第61号 & 2010年, pp. 21-29.
  2. ^ a b 中山茶臼山古墳(岡山市「岡山シティミュージアム」)。
  3. ^ 中山茶臼山古墳(古墳) & 1989年.
  4. ^ 中山茶臼山古墳(平凡社) & 1988年.
  5. ^ 薬師寺慎一 『考えながら歩く吉備路 上』 吉備人出版、2008年、pp. 146-151。
  6. ^ 宮内省諸陵寮編『陵墓要覧』(1934年、国立国会図書館デジタルコレクション)8コマ。
  7. ^ 『陵墓地形図集成 縮小版』 宮内庁書陵部陵墓課編、学生社、2014年、p. 400。
  8. ^ a b 吉備津彦命(国史).
  9. ^ a b 彦五十狭芹彦命(古代氏族) & 2010年.

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]