中山久蔵

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中山 久蔵(なかやま きゅうぞう、文政11年3月21日1828年5月4日) - 大正8年(1919年2月13日)は、日本の農業指導者。明治期に北海道で初めて米作り(赤毛種)を成功させた先駆者。寒地稲作の祖[1]、寒地稲作の父、北海道稲作の父と称される。

生い立ちと経歴[編集]

文政11年(1828年)3月21日、河内国石川郡春日村(現:大阪府南河内郡太子町春日)の農業を営む旧家に生まれた久蔵は、17歳の頃、家を飛び出し諸国放浪した後、25歳(1853年、嘉永6年)で仙台藩士・片倉英馬の下僕となり、仙台藩が蝦夷地警護を目的に構築した白老元陣屋と仙台をたびたび往復した。

維新後は北海道開拓を志し、勇払(現苫小牧市)、島松(現北広島市島松)で開拓に従事。

1873年(明治6年)、札幌郡月寒村島松で道南より北では初となる寒冷地米の「赤毛種」を栽培することに成功し開拓移民に種もみを無償で配布した[1]。島松の自宅は旧島松駅逓所(のちに国の重要文化財)としても利用され自身は取扱人を務めた[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c “中山久蔵の生涯、資料でたどる 寒地稲作の祖、北広島で企画展”. 北海道新聞. (2016年2月26日). http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/area/sapporo/1-0239396.html 2016年2月26日閲覧。 

外部リンク[編集]