中原成通

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中原 成通(なかはら の なりみち、生没年不詳)は、平安時代中期の官人武士

寛仁三年(1019年)、右衛門志検非違使に任じられる。長元元年(1028年)に平直方源頼信とともに平忠常の討伐を命じられるが、成通は直方と不和であったという。後に成通は朝廷への報告を怠るなど落ち度があったため解任された(実際は危篤の母を思って帰京を計画し、失敗したという)。長元四年(1032年)には私欲のために戦争をした平正輔平致頼の罪状を作成した。永承七年(1052年)には明法博士として名前が見える。

参考[編集]

  • 『十世紀に於ける左衛門府官人の研究』 - 朧谷寿(『平安博物館研究紀要』)