不文憲法

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不文憲法(ふぶんけんぽう、英語: unwritten constitution)とは、憲法典として制定されていない実質的意味における憲法をいう。不文法のみから成るという意味ではないため、誤解を避けるため、不成典憲法(ふせいてんけんぽう、英語: uncodified constitution)、非成典化憲法(ひせいてんかけんぽう、同上)ともいう。

概要[編集]

特に成文化された憲法典として法典化されていない場合、不文憲法として定義される。一般に不文憲法は軟性憲法であり、不文憲法の代表とされるイギリスの憲法は、憲法的規律が人身保護法王位継承法議会法などによって成文法化されているので、実質的には憲法改正が一般の法律と同じ手続きで可能である。「イギリスに憲法はない」という表現は、他の近代国家のような成文憲法典を持たない点を強調したに過ぎない。

不文憲法となる要因はいくつかある。

  • 歴史的経緯により国家の方針が決定された場合。
  • 慣習法など複数の法律がその役割を果たしている場合。

現在の例[編集]

以下の国々は不成典憲法を持つ国とみなされる。

不成典的要素[編集]

  • カナダ: カナダ憲法英語版が存在するが[3]、憲法システムの重要な側面は成文化されていない。カナダ憲法の前文は、憲法は“原則としてイギリスのそれに類似する”べきである、と宣言している[3]。連邦と州それぞれがそれら自体の責任を負う排他的領域内で、修正または立法化する権限を有するが、これは連邦レベルで、またに対して通用する[4]

往時の例[編集]

  • ローマ共和国憲法英語版:十二表法とその他の成文法から構成される。
  • フィンランド大公国の憲法は、決して成文化されなかった。その憲法は、フィンランドのロシア時代を通して、フィンランドとロシア帝国との関係を大部分は口述したという事実にもかかわらず、1809年から1917年までフィンランド大公としても仕えたロシア皇帝は決して、憲法を独立した自治権のあるフィンランドのそれとは明確に認めなかった。19世紀末までには、第一線のフィンランド人の知識人ら―自由主義者と民族主義者、そして後に、社会主義者も―は、フィンランドを単なるロシアとの同君連合の中のそれ自体の持つ権利における立憲国家とみなすようになった。この考えは台頭するロシアのナショナリズムと、スラブ民族だけのための単一国家を求めるロシアと衝突し、結局はロシア化政策の形態におけるフィンランドの分離主義や立憲主義と対立することになった。このロシア化政策は、1905年から1908年までの間の短時間の妨害を除いて、1899年から先、1917年の二月革命までずっとフィンランドの広範囲にわたる自治を制限した。1917年のロシア臨時政府はついにフィンランドの憲法を認め、そして十月革命の後、ロシア連邦共和国ボリシェヴィキ政権は1917年の大みそかにフィンランドの独立宣言を認めたのだった。
  • 1949年以前のハンガリー
  • 1969年から1975年までの間のリビア
  • 1996年以前のオマーン
  • 2001年以前のクイーンズランド州 (詳細はクイーンズランド憲法英語版を参照。)
  • 2008年以前のブータン[5]

脚注・出典[編集]

  1. ^ Champion, Daryl (2003). The paradoxical kingdom: Saudi Arabia and the momentum of reform. p. 60. ISBN 978-1-85065-668-5. 
  2. ^ Robbers, Gerhard (2007). Encyclopedia of world constitutions, Volume 2. p. 791. ISBN 0-8160-6078-9. 
  3. ^ a b Constitution Act, retrieved 2012-03-25
  4. ^ Ontario (Attorney General) v. OPSEU, [1987] 2 S.C.R. 2
  5. ^ 諸橋邦彦 (2006年). “ブータン王国新憲法草案の特徴及び概要 (PDF)”. 国立国会図書館政治議会課憲法室. 2015年7月16日閲覧。

参考資料[編集]