下甑町手打

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下甑町手打
—  大字  —
手打湾と集落付近の航空写真。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
甑島列島の地図
Flag of Japan.svg 日本
都道府県 鹿児島県
市町村 薩摩川内市
地域 下甑地域
人口 ( 2011年3月1日現在)
 - 計 790人
等時帯 JST (UTC+9)
郵便番号 896-1601

下甑町手打(しもこしきちょうてうち Shimokoshiki-Chō Teuchi)は、鹿児島県薩摩川内市大字[1]。旧甑島郡甑島郷手打村、甑島郡下甑村大字手打郵便番号は896-1601。人口は790人、世帯数は421世帯(2011年3月1日現在)[2]

手打という地名は源平合戦(治承・寿永の乱)に敗れた平家の落人がこの地に流れ着いた際に「ここは良い所だ」と言い手を打ったという伝説に由来している[3]

地理[編集]

薩摩半島の西部に浮かぶ甑島列島南部の下甑島の南部に位置している。字域の北方には下甑町青瀬下甑町片野浦が接しており、他方には東シナ海が広がっている。

字域の南部には手打湾が広がり、湾頭には数列に2Km程の砂丘が並んでいる。また、古砂丘上からは弥生時代のものとみられる遺跡が見つかっており、その周辺に現在も集落が多く所在している[4]

江戸期には甑島郷の地頭仮屋が古砂丘上に置かれ、地頭仮屋を中心としてが形成されている。

また、中心部には薩摩川内市役所下甑支所やDr.コトー診療所のモデルとなった下甑手打診療所、薩摩川内市立手打小学校などが所在している。

歴史[編集]

成立から町村制施行まで[編集]

手打という地名は江戸期より見え、薩摩国甑島郡甑島郷(外城)のうちであった。甑島郷の地頭仮屋は郷内に3か所設置されていたが、そのうちの1つが手打村に置かれていた。また、現在の手打港の南にある津口鼻には遠見番所及び津口番所が設置されていた。村高は「旧高旧領」では933石余であった[4]

町村制施行以後[編集]

1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、下甑島にあった全ての村が合併し下甑村が発足。旧手打村の区域は下甑村の大字「手打」となった[4]

2004年(平成16年)に下甑村が川内市の他7町村と新設合併する際に大字名について法定合併協議会にて「従前の村名を町名とし、これを従前の大字名に冠したものをもって、大字とする」[5]とあり、旧村名である「下甑村」の村を町に置換え、従前の大字名である手打に冠し、薩摩川内市の大字「下甑町手打」となった。

施設[編集]

公共
  • 薩摩川内市役所下甑支所
  • 下甑郷土館
  • 下甑手打診療所
  • 手打港待合所
  • 手打海水浴場
教育
寺社
  • 蛙子神社
  • 法雲寺

小・中学校の学区[編集]

市立小・中学校の学区(校区)は以下の通りである[6]

大字 小字 小学校 中学校
下甑町手打 全域 薩摩川内市立手打小学校 薩摩川内市立海陽中学校

交通[編集]

道路[編集]

県道

湾港[編集]

  • 手打港

脚注[編集]

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  1. ^ 川薩地区合併協議会 町・字の取り扱いについて
  2. ^ 統計データ(町別住民基本台帳人口) - 薩摩川内市公式ウェブサイト 2011年4月13日閲覧。
  3. ^ 手打地区の紹介 - 手打地区コミュニティ協議会HP 2011年2月6日閲覧。
  4. ^ a b c 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.441
  5. ^ 町名・字名の取り扱いについて - 川薩地区法定合併協議会 2011年2月6日閲覧。
  6. ^ 薩摩川内市 義務教育”. 薩摩川内市役所. 2010年12月31日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯31度38分17.2秒 東経129度42分5.7秒