下佐谷村助六

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

下佐谷村 助六(しもさやむら すけろく、? - 安永8年9月16日1779年10月25日))は、江戸時代中期の一揆指導者、義民[1][2]。通称、与惣左衛門[1]

経歴・人物[編集]

大身旗本交代寄合)である本堂氏知行地志筑藩参照。当時の領主は本堂親房)であった常陸国新治郡下佐谷村(現在の茨城県かすみがうら市下佐谷)の百姓[1]。増税に反対した志筑藩領の25の村の百姓が集まり、安永7年12月28日1779年2月14日 )領主の江戸屋敷に押しかけ強訴した助六一揆を指導[1][2]。頭取として捕えられ獄門に処された[2]

首は下佐谷村でひそかに埋葬され、「助六の首塚」としてかすみがうら市指定文化財となっている[3]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『下佐谷村助六』 - コトバンク
  2. ^ a b c 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞社)『下佐谷村助六』 - コトバンク
  3. ^ 助六の首塚”. かすみがうら市歴史博物館. 2021年8月14日閲覧。