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上野知子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
うえの ともこ
上野 知子
プロフィール
出身地 日本の旗 日本 鹿児島県鹿児島市
生年月日 (1959-10-11) 1959年10月11日(64歳)
血液型 AB型
最終学歴 東京女子大学卒業(高校は鹿児島県立鹿児島中央高等学校
勤務局 南日本放送
活動期間 1982年[1] -
公式サイト 南日本放送
出演番組・活動
出演中 城山スズメ(木曜日)

上野 知子(うえの ともこ、1959年10月11日[2] - )は、南日本放送のアナウンサー、同局アナウンス部専任部長。

人物

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  • 趣味は、『手作り』物全般。
  • 『ポジティブシンキング』と言われる。
  • 愛称(ニックネーム)は、入社当初より「ともちゃん」

白血病による降板

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  • 20年以上MBCアナウンサーとして活動してきたが、2006年1月に「急性骨髄性白血病」と診断され長年担当したラジオ番組「城山スズメ」を降板。その後、末梢血幹細胞の移植を受け一命は取り留めたが、療養のために長く休職した。そして2009年には現場復帰し、2010年より本格的に活動を再開。
  • 降板時はMBCから病気について公にされなかったが、重病説はこの時点で既に囁かれていた。しかし、3月末に後輩の豊田瑠衣がフリー転身、谷口智子が契約満了に伴い退社。5月には同期の采野吉洋脳出血で突如降板[3]と、半年にアナウンサーが4人も現場を去る異常事態に見舞われた。MBCでは2000年代にアナウンサーが次々と退社・異動した事もあり、視聴者の間では社内の確執を疑う声も多々見られた。だが2009年の現場復帰後は再び重病説が有力視され、2010年の「城山スズメ」復帰時に本人がブログ「ana the world」にて正式に白血病だったことを公表した[4]
  • 上野が休職した3年間は竹下裕理が東京のCMAから派遣され、事実上代理となった。また上記の様な事態もあり、2006年は4名[5]がアナウンス部へ採用された。なお竹下は上野と入れ替わりに退社し、地元の群馬へ戻っている。

現在の担当番組

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ラジオニュース番組の担当は2018年3月をもって降板した。それ以降はCMナレーションが中心で、事実上当局直属のナレーターとして扱われている。

過去の担当番組

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脚注

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  1. ^ 同期に采野吉洋(現・アナウンス部長)。
  2. ^ a b DJ名鑑 1987三才ブックス、1987年2月15日、292頁。
  3. ^ 当初は未公表であったが、8月に公表され、年末に職場復帰した。
  4. ^ 「ともこのdiary」より
  5. ^ 吉田智大末永安佳梨竹内梢豊平有香(報道部より)

外部リンク

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