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上野知子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
うえの ともこ
上野 知子
プロフィール
愛称 ともちゃん
出身地 日本の旗 日本 鹿児島県鹿児島市
生年月日 (1959-10-11) 1959年10月11日(66歳)
血液型 AB型
最終学歴 東京女子大学卒業
活動期間 1982年 -
出演番組・活動
出演経歴 城山スズメ

上野 知子(うえの ともこ、1959年昭和34年〉10月11日[1] - )は、鹿児島県を拠点に活動する日本のフリーアナウンサー

略歴

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鹿児島県立鹿児島中央高等学校を卒業後東京女子大学を卒業し、1982年(昭和57年)4月1日にMBC南日本放送に入社。同期は采野吉洋

同局アナウンス部専任部長を務めた。ラジオニュース番組の担当は2018年平成30年)3月をもって降板し、以降はCMナレーションが中心で、事実上当局直属のナレーターとして扱われる。

2020年(令和2年)3月末で定年退職となり、同年4月からの嘱託再雇用も2025年(令和7年)3月をもって定年退職。2023年(令和5年)に本場大島紬クイーンコンテストの審査員も務める[2]

アノンシスト賞は5回受賞しており、1995年(平成7年)度の第21回でラジオCM部門において最優秀賞を、1997年(平成9年)度の第23回で称揚部門において優秀賞を、1998年(平成10年)度の第24回でラジオ番組部門において優秀賞を、2004年(平成16年)度の第30回で活動部門において優秀賞を、2012年(平成24年)度の第38回でラジオ「読み・ナレーション」において優秀賞を獲得。

人物

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ニックネームは、入社当初より「ともちゃん」。

趣味は、手作りの物全般。ポジティブ・シンキングと言われる。

白血病による降板

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20年以上MBCアナウンサーとして活動してきたが、2006年(平成18年)1月に急性骨髄性白血病と診断され長年担当したラジオ番組『城山スズメ』を降板。その後、末梢血幹細胞の移植を受け一命は取り留めたが、療養のために長く休職した。

降板時はMBCから病気について公にされなかったが、重病説はこの時点で既に囁かれていた。しかし、3月末に後輩の豊田瑠衣がフリー転身、谷口智子が契約満了に伴い退社。5月には同期の采野吉洋脳出血で突如降板[注釈 1]と、半年にアナウンサーが4人も現場を去る異常事態に見舞われた。MBCでは2000年代にアナウンサーが次々と退社、異動した事もあり、視聴者の間では社内の確執を疑う声も多々見られた。

2009年(平成21年)に現場復帰。2010年(平成22年)の城山スズメ復帰時に本人がブログ「ana the world」にて正式に急性骨髄性白血病だったことを公表し[3]、本格的に活動を再開。

上野が休職した3年間は竹下裕理が東京のCMAから派遣され、事実上代理となった。また上記の様な事態もあり、2006年(平成18年)は吉田智大末永安佳梨竹内梢豊平有香の4名がアナウンス部へ採用された。なお竹下は上野と入れ替わりに退社し、地元の群馬へ戻っている。

過去の担当番組

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脚注

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注釈

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  1. 当初は未公表であったが、8月に公表され、年末に職場復帰。

出典

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  1. 1 2 DJ名鑑 1987三才ブックス、1987年2月15日、292頁。
  2. 加茂川里美 (2023年3月15日). 憧れの人”. 加茂川のひとりごと. KTS鹿児島テレビ. 2025年11月1日閲覧。
  3. ともこのdiary”. ana the world. MBC南日本放送. 2011年6月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年6月16日閲覧。

外部リンク

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