上野清

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上野 清(うえの きよし、1854年9月9日嘉永7年閏7月17日[1][2][3]) - 1924年大正13年)6月21日[3])は、明治から大正時代の教育者数学者

経歴[編集]

江戸出身[3]。小林清吾の三男[1][2][3]。4歳のとき上野家の養子となり[3]、1881年(明治14年)11月、上野継光方より分家して一家を創立する[2]福田理軒・治軒親子らに学ぶ[3]

東京数学会社や数学協会に参加。1872年(明治5年)上野塾(現東京高等学校の前身)を創設[3]。その後、1890年(明治23年)東京数学院、1894年(明治27年)仙台数学院(現東北高等学校)を創設した[3]。墓所は多磨霊園

親族[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 人事興信所 1903, 642頁.
  2. ^ a b c 人事興信所 1915, う17頁.
  3. ^ a b c d e f g h 上田ほか 2001, 264頁.
  4. ^ 人事興信所 1928, ウ24頁.
  5. ^ 人事興信所 1928, ウ26頁.

参考文献[編集]

  • 人事興信所 編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779810 
  • 人事興信所 編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1703995 
  • 人事興信所 編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2127124 
  • 上田正昭ほか 監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496