上迫忠夫

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獲得メダル
体操競技
オリンピック
1952 ヘルシンキ 男子徒手
1952 ヘルシンキ 男子跳馬

上迫 忠夫(うえさこ ただお、1921年10月14日 - 1986年10月20日)は、日本の体操競技選手・指導者。

経歴[編集]

島根県浜田市浅井町出身[1][2]。旧制浜田中学(現在の島根県立浜田高等学校)を経て、日本体育大学に進学。

日体大卒業後は開成学園教諭となり、開成中学校・高等学校で体育を教えた。30歳で1952年ヘルシンキオリンピックに出場。男子徒手(床運動)で銀メダル、同跳馬で銅メダルを獲得。また団体総合5位入賞に貢献した[1]

1964年東京オリンピックに際しては体操競技の強化委員を務める。オリンピック前年のプレオリンピックに向けた強化合宿で、インタビューに答えて「ウルトラC」という言葉を発したとされ、これがデイリースポーツで報じられたことがこの言葉の初出とされている[3]

1986年10月20日死去。開成学園の学園葬が行われた[4]

人物[編集]

  • スポーツ万能で、剣道三段の段位を持っていたほか、柔道、水泳、スキー、テニスなどでも鳴らした[5]。ヘルシンキオリンピックの頃に日本のスポーツ界では、「全スポーツ選手権をやれば上迫が優勝する」と言われていたという[5]

記念・顕彰[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b オリンピックで活躍した郷土のヒーローたち」 (pdf) 『ちどり』第98号、松江市立図書館、2016年3月、2020年4月18日閲覧。
  2. ^ 浜田の人物誌”. 浜田市. 2020年10月29日閲覧。
  3. ^ 社史編纂委員会(編)『デイリースポーツ三十年史』デイリースポーツ社、1978年、P49。
  4. ^ OB会総会のご報告”. 開成学園排球部OB会会報 (1987年2月). 2020年10月29日閲覧。
  5. ^ a b “竹本正男が「ゴムマリ」日本けん引/日本の初メダル”. 日刊スポーツ. (2020年5月9日). https://www.nikkansports.com/sports/news/202005080000805.html 2020年4月18日閲覧。 
  6. ^ 真間山弘法寺と里見公園周辺”. 京葉ガス. 2020年10月29日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]