上米の制

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上米の制(あげまいのせい)とは、江戸幕府8代将軍の徳川吉宗享保の改革の際に出した制度。上げ米の制と表記することもある[1]享保7年(1722年)に制定された。

内容[編集]

大名石高1万石に対して100を納めさせる[2]代わりに、参勤交代の際の江戸在府期間を半年(従来は1年)とした。幕府の増収に貢献したが、問題点も多く享保15年(1730年)に廃止された。

そもそも上米の制は「御恥辱を顧みられず仰せ出されて候」と述べられるように、幕府財政を各藩に依存するものであり、幕府権威の低下は免れなかった。また、参勤交代の緩和策は江戸藩邸での経費削減につながり、大名の経済力の拡大をもたらしうるものだった。

脚注[編集]

  1. ^ 『改訂 新潮国語辞典 -現代語・古語-』(株式会社 新潮社。監修者:久松潜一。編集者:山田俊雄・築島裕小林芳規昭和53年10月30日 改訂第6刷発行)p 23に、「あげマイ【上(げ)米】徳川吉宗が幕府の財政窮乏を救うため、享保年間(一七一六~一七三五)に諸侯に命じて納めさせた米」と記載されている。また、2006年3月8日に実施された富山県公立高校 入学試験の社会の大問3の(2)の2の「改革の内容」の選択肢に、「ウ 上げ米の制, 目安箱の設置, 年貢の率の引き上げ」と記載されています。
  2. ^ 例えば、加賀藩のような100万石であれば、10000石のを献上させた。