上山広忠

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上山広忠
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不詳
死没 慶長6年閏11月17日1602年1月10日
改名 上山槌法師(幼名)→上山広忠
別名 通称:弥三郎、藤内、善右衛門尉
主君 毛利輝元
氏族 大江姓長井氏庶流上山氏
父母 父:上山元忠
兄弟 女(和智信濃守室)、広忠清忠、女(天野元重室)、元吉
なし
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上山 広忠(かみやま ひろただ)は、戦国時代から安土桃山時代武将毛利氏と同族の長井氏の庶流であり、備後国世羅郡上山郷[1]を本拠とした国人であった上山氏の当主。毛利氏家臣。父は備中加茂城の戦いで活躍した上山元忠

生涯[編集]

備後国世羅郡上山郷[1]を本拠とした国人上山元忠の子として生まれる。

毛利輝元に仕え、文禄2年(1593年2月3日に輝元から「善右衛門尉」の官途名を与えられる。

慶長4年(1599年)閏3月21日に父・元忠が死去したため後を継いだが、広忠も慶長6年(1601年)閏11月17日に死去。広忠には子が居なかったため、弟の元吉が後を継いだ。

脚注[編集]

参考文献[編集]