上原六郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

上原 六郎(うえはら ろくろう、1894年明治27年〉11月30日[1] - 1964年昭和39年〉2月3日[1])は、日本の地方官僚政治家北海道札幌市、札幌観光協会長[2]

来歴・人物[編集]

実家は札幌郡平岸村(現・札幌市豊平区平岸)のりんご農家北海道庁属から内務省へ出向し、日本大学に学んだ。1920年(大正9年)卒業帝都復興院事務官となり、主計課長、理事等を歴任。1937年(昭和12年)、東京市収入役となり、同市市民局長、総務局長を歴任した。1945年札幌市長に就任。1946年、札幌市長を退任した。札幌市最後の官選市長であり、札幌市の戦後復興の基礎固めを行った[3]。特に、東京市時代の部下であった原田與作(のち札幌市長)の助役への抜擢や、板垣武四(同)ら幹部候補も含めた若手職員の積極的採用などの、人事面における機構改革は注目される[1]

ほかに、札幌観光協会の会長、地方財政審議会委員などを務めた。

略歴[編集]

栄典[編集]

親族[編集]

父は信州出身の林檎園主で、豊平町の収入役もつとめた上原喜六[1]。母・富久の父・福井伊織は旧会津藩士(社家)で、豊岡宮の神官をつとめた[1][5]。伊織の妻(冨久の母)・冨貴は旧会津藩士・雑賀重村の姉[6]。伊織の六男(冨久の兄)・重吉の長男が、陸軍軍人福井重記[5]、六郎の従兄に当たる。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e 「郷土史豊平地区の140年 1857~1997」、107 - 108頁
  2. ^ 一般社団法人 札幌観光協会
  3. ^ 『日本の歴代市長』「札幌市 上原六郎」
  4. ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。
  5. ^ a b 「山鼻屯田兵 初代とその子孫たち」、272 - 275頁
  6. ^ 福島県北海道事務所「北海道に足跡を残したふくしまの人々・雑賀重村」

参考文献[編集]

  • 「札幌市史」
  • 「新札幌市史」
  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』(第1巻)歴代知事編纂会、1983年。
  • 「山鼻屯田兵 初代とその子孫たち」山鼻記念碑保存資産、1996年
  • 「郷土史豊平地区の140年 1857~1997」豊平地区郷土史発行委員会、1997年

関連項目[編集]