三関王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

三関王(みせきおう/みせき の おおきみ、生没年不詳)は、日本の奈良時代皇族。系譜は不明だが、三世王以上五世王未満であることが、以下の叙位から分かる[1]官位正五位下正親正

経歴[編集]

天平宝字8年(764年)10月、藤原仲麻呂の乱後の親王大臣の子孫に対する叙位にて、無位から従五位下に叙せられている。

その後、称徳朝においては事績が見られないが、光仁朝になって、宝亀2年(771年)に奈貴王の後任の正親正に任命され、同5年(774年)、従五位上に昇進し、同9年(778年)の正月の踏歌の節会の際に正五位下に進められている。

官歴[編集]

続日本紀』による。

脚注[編集]

  1. ^ 「選叙令」35条によると、原則として親王の子に従四位下で、諸王の子には従五位下。皇親ではなくなる五世王は従五位下。その子は1階下になり、庶子はさらに1階下になるということになっていた

参考文献[編集]