三遊亭歌雀

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三遊亭 歌雀(さんゆうてい かじゃく)は落語家名跡


三代目 三遊亭さんゆうてい 歌雀かじゃく
三代目 三遊亭(さんゆうてい) 歌雀(かじゃく)
三遊亭歌雀定紋「かたばみ」
本名 三浦みうら たかし
生年月日 1963年9月4日
没年月日 (2008-02-06) 2008年2月6日(44歳没)
出身地 日本の旗 日本静岡県清水市
死没地 日本の旗 日本神奈川県横浜市旭区
師匠 三代目三遊亭圓歌
名跡 1. 三遊亭ぐり
(1983年 - 1988年)
2. 三遊亭歌太郎
(1988年 - 1998年)
3. 三代目三遊亭歌雀
(1998年 - 2008年)
出囃子 二上りたぬき
活動期間 1983年 - 2008年
所属 落語協会
公式サイト 三遊亭 歌雀

三代目 三遊亭 歌雀1963年9月4日 - 2008年2月6日)は、静岡県清水市出身[注 1]の落語家。本名∶三浦 孝出囃子∶「二上りたぬき」。生前は落語協会所属。

経歴[編集]

神奈川県立磯子工業高校卒業。

1982年4月、三代目三遊亭圓歌に入門。12月に前座となる。前座名は「歌ち栗」。

1988年9月に林家しゅう平柳家小のりと共に二ツ目に昇進、「三遊亭歌太郎」に改名。

1998年3月に林家しゅう平三遊亭歌武蔵三遊亭多歌介と共に真打に昇進、三代目三遊亭歌雀を襲名[2]

2008年2月6日に急性心不全のため横浜市旭区の病院で死去[3][1]。44歳没。人工透析中の死去だったという。

芸歴[編集]

人物[編集]

糖尿病のため1999年に右足、2005年には左足を切断しながらも、義足で高座に上がり続けた。入院時の闘病ネタを得意としていた。

前名の「歌太郎」は後に弟弟子歌武蔵弟子が名乗った。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 四国新聞の訃報記事では静岡市出身としている[1]

出典[編集]

  1. ^ a b 三遊亭歌雀氏死去/落語家」『四国新聞』、2008年2月7日。2023年10月28日閲覧。
  2. ^ 人物履歴: [3代目] 三遊亭 歌雀”. 文化デジタルライブラリー. 日本芸術文化振興会. 2023年10月28日閲覧。
  3. ^ 落語家の三遊亭歌雀さん死去 両義足で寄席に出演」『朝日新聞デジタル』、2008年2月7日。2023年10月28日閲覧。

外部リンク[編集]