立花家橘之助 (2代目)

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二代 立花家 橘之助にだい たちばなや きつのすけ
本名 茂木 康子
別名 鳳 千佐
生年月日 (1960-11-03) 1960年11月3日(57歳)
出身地 日本の旗 日本東京都台東区
師匠 3代目三遊亭圓歌
名跡 1. 三遊亭あす歌(1980年 - 1992年)
2. 三遊亭小円歌(1992年 - 2017年)
出囃子 岸の柳
活動期間 1980年 -
活動内容 三味線漫談
家族 杵屋志津和(母)
所属 落語協会
受賞歴
第54回国立花形演芸会金賞(1993年)
第10回浅草芸能大賞新人賞(1994年)

二代 立花家 橘之助(にだい たちばなや きつのすけ、本名:茂木 康子、1960年11月3日 - )は、東京都台東区浅草出身、落語協会所属の三味線漫談家。旧名:三遊亭 小円歌(さんゆうてい こえんか)。2017年11月より二代目となる本名跡を襲名した。

母は長唄の杵屋志津和

自称「日本(=世界)に2人しかいない女流三味線漫談家」。花柳流日本舞踊の名取りでもある(芸名:鳳 千佐)。

略歴[編集]

エピソード[編集]

師匠の3代目三遊亭圓歌からスカウトされた際、「お前を女優にしてやる」と口説かれ、その気になって入門したものの、気付けば芸人にされていたという。

師匠の3代目三遊亭圓歌が得度して僧侶になるために身延山へ修行に入った際、心筋梗塞で倒れて入院する騒ぎになった。その際、マスコミから殺到した電話問い合わせに対応していた小円歌が「師匠のご病気は?」との質問に、(繰り返し答えていたために)誤って「近親相姦です」と答えたと圓歌本人に新作落語『中沢家の人々』内でネタにされているが、事実ではない[1]

漫談の他に、かっぽれなどの寄席踊りや、20本以上の扇子をも操る「松づくし」なども継承しており、マルチに活躍している。

2005年12月江戸家まねき猫と「遊びまShow!」という二人会を主催。観客として来場していた永六輔をゲスト出演させるなど、大成功を収めたため、毎年恒例にしたい意向。

2006年9月23日鈴本演芸場で三味線の調子合わせ中に二の糸が切れてしまい、下座から三味線を借りて続行するハプニングがあった。借りた三味線を返却した後に、かっぽれを踊って座を持たせた。

2013年 体重40kgを超える愛犬の散歩中、左手の中指と薬指を骨折。医師は折れた指に添え木をして固定することを勧めるも、指を伸ばしたままだと三味線が握れないとそれを拒否。結局痛みを堪えつつ高座に上がり、治癒してしまう。

二代立花家橘之助襲名[編集]

2017年11月上席より、初代は女道楽として活躍した「立花家橘之助」の名跡を二代目として襲名した。1992年に初代三遊亭小円歌を襲名した際も、当時の落語協会会長であった5代目柳家小さんから「立花家」襲名の話が持ちかけられたこともあったが、当時は30代と若かったこともあり、襲名の話は実現しなかった。

時が流れて2016年に再び「立花家」襲名の話が持ち上がり、本人は三味線の名手である初代の名跡を継承することは魅力的と考えていたものの、師である圓歌が反対した場合は断念することを考えていた。

師の圓歌は「立花家」襲名に賛意を示し、圓歌は「良かった。おれは大賛成だよ。いつ(襲名を)言ってくるかと思っていたんだ。頑張りなさい」と喜んでくれたという。この時体調を悪化させていた圓歌を配慮し、2018年春に予定していた襲名披露を前年11月に早めたもののその直前に圓歌が亡くなったため、圓歌が襲名披露に同席することはできなかった[2]

備考[編集]

代数には入れられていないが、雷門小福の最初の師匠が、当時名古屋開店休業状態だった先代(本当の初代)三遊亭小円歌だった。→ 三遊亭小円歌 (渡辺一博)

関連項目[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 2017年11月6日放送の『ラジオ深夜便』話芸100選 (NHKラジオ第1・NHK FM) で、橘之助本人が語っている。
  2. ^ 二代目立花家橘之助、師匠円歌さんとともに - 日刊スポーツ 2017年10月14日

外部リンク[編集]