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三蟠鉄道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三蟠鉄道株式会社
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
岡山県岡山市門田屋敷[1]
設立 1914年(大正3年)2月1日[1]
業種 鉄軌道業
事業内容 旅客鉄道事業、自動車運輸業[1]
代表者 社長 藤原知道[1]
資本金 200,000円[1]
発行済株式総数 4,000株[1]
特記事項:1928年(昭和3年)3月末現在[1]
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概要
現況 廃止
起終点 起点:国清寺駅
終点:桜橋駅
駅数 9駅
運営
開業 1915年8月11日 (1915-08-11)
廃止 1931年6月28日 (1931-6-28)
所有者 三蟠軽便鉄道→三蟠鉄道
路線諸元
路線総延長 7.2 km (4.5 mi)
軌間 762 mm (2 ft 6 in)
電化 全線非電化
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停車場・施設・接続路線
岡山電気軌道旭東線
uSTRq uBHFq
国清寺駅前停留場
exKBHFa
0.0 国清寺駅
exBHF
0.8 網浜駅
exKBHFa exSTR
0.7* 桜橋駅 (I) -1923
exSTR exBHF
1.1 桜橋駅 (II) 1923-
exSTRl exABZg+r
exBHF
1.6
0.0*
湊駅
exBHF
2.4 上平井駅
exBHF
3.3 下平井駅
exBHF
4.4 宮道駅
exBHF
5.7 浜中駅
exKBHFe
7.2 三蟠駅
BOOT
三蟠港
三蟠鉄道の復元された起点
三蟠鉄道の復元された起点
三蟠鉄道資料館
三蟠鉄道資料館

三蟠鉄道(さんばんてつどう)は、かつて岡山県岡山市中区江並にあった三蟠駅から同市中区門田屋敷にあった国清寺駅および同市中区桜橋にあった桜橋駅を結んでいた軽便鉄道である。

概要

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この鉄道の目的地であった三蟠港は、1692年元禄5年)に実施された沖新田の干拓事業に伴い建設された。沖新田が一番から九番までの9つの工区に分けて干拓されたことに由来して、明治に入って改称されるまでは三番港という名前であった。岡山市内の京橋港に対する外港として、交通の要衝として長らく繁栄していた。山陽鉄道は1903年(明治36年)3月岡山-高松間に連絡航路を開設し岡山京橋の船着き場から旭川を船で下り三蟠港沖の連絡船玉藻丸[2]へ乗り継いで高松へ向かっていた。しかし旭川の川床は年々浅くなり、特注した浅喫水船旭丸[2]でも、満潮時か増水時を除いて安全運航には支障がでるようになり、欠航の日は岡山より100台を超える人力車が下流の臨時船着き場へ向かっていたと言う[3]。しかし、1910年(明治43年)の宇野港開港と国鉄宇野線の開業により廃止された。三蟠港は対四国連絡の玄関口としての機能を事実上失って地位が低下し始めたことから、その対策として三蟠鉄道の建設が行われ、1915年(大正4年)に開業した。

最初の開業区間が岡山電気軌道との連絡駅となる国清寺からではなく、三蟠 - 桜橋からとなったのはこのためであり、桜橋までの建設となったのも、三蟠から同地に所在する岡山ガス[4]への石炭の輸送が大きな目的であったためであった。

線路は沖新田の水田の中を直線主体の平坦なルートで敷設され、途中には大きな村落は存在しなかったが、前述の通り桜橋には岡山ガスが所在し、貨物側線も敷設されていた。

1927年昭和2年)には当時進出してきた乗合自動車(バス)との対抗上費用の節減と運転時間短縮、運転回数の増加を狙い[5]日本車輌製造本店で初の気動車としてフジ1[6]を新造した。さらに翌1928年(昭和3年)には増備車としてフジ2[7]を新造するなど、乗客増に努力したが、肝心の三蟠港が小型内燃機関を搭載した船舶の普及により、水深の浅い旭川の遡航も容易となったため、京橋港の外港としての必要性が急速に低下したことやバスの台頭などから、営業成績が悪化した。兼業として1929年(昭和4年)4月に三蟠駅構内の空き地に水族館を開館したり[8]、同年7月に沿線の宮道海水浴場に食料販売店を開店したり[9]するなどの旅客誘致策をとっていたが、岡山市の都市計画道路(旭東線:現在の岡山県道45号岡山玉野線の一部)の建設に伴い線路用地の提供が求められたこともあって、経営の苦しかった会社は路盤の買い上げに応諾。1931年(昭和6年)に乗客への予告等なく突然休止され[10]、間もなく廃止された。運行期間十数年と短命であった。

なお、廃止前年に蒸気機関車13号機日本硫黄耶麻軌道部へ譲渡され11号機となり、1941年にC911に改番された後、1953年(昭和28年)に廃車になったが、協三工業に運ばれ、一部部品がディーゼル機関車DC121の下廻りに転用されている(同機はその後猪苗代緑の村に保存されている)。

また、新造間もない2両の気動車は廃止後1933年(昭和8年)になって井笠鉄道へ譲渡され、ジ10・11となっている。

現在も一部の橋台が遺構として残っている。

路線データ

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廃止時点のもの

  • 路線距離(営業キロ):7.25km
  • 軌間:762mm
  • 駅数:9駅(起終点駅含む)
  • 複線区間:なし(全線単線
  • 電化区間:なし(全線非電化
  • 動力:蒸気・内燃(ガソリン)

歴史

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駅一覧

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  • 駅名、接続路線の事業者名・所在地などは廃線時のもの。全駅岡山県に所在。
  • 列車交換 … ◇・∧:交換可、|:交換不可
駅名 駅間営業キロ 累計営業キロ 開業日 接続路線・備考 列車交換 所在地
国清寺駅 - 0.0 1923年2月5日 岡山電気軌道旭東線国清寺駅前停留場 岡山市
(現:岡山市中区
網浜駅 0.8 0.8 1923年2月5日  
桜橋駅 0.3 1.1 1923年2月5日  
湊駅 0.5 1.6 1915年8月11日  
上平井駅 0.8 2.4 1915年8月11日 1924年2月1日に上屋敷から改称[19]
下平井駅 0.9 3.3 1915年8月11日 1924年2月1日に平井から改称[19]
宮道駅 1.1 4.4 1915年8月11日   上道郡三蟠村
(現:岡山市中区)
浜中駅 1.3 5.7 1915年8月11日  
三蟠駅 1.5 7.2 1915年8月11日  

廃止駅

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  • 桜橋駅(初代):1915年(大正4年)8月11日開業(湊駅から0.7キロ)、1923年(大正12年)2月5日廃止。なお、三蟠鉄道廃止時点で存在していた桜橋駅は湊 - 国清寺間開業時に貨物駅として開業し、1927年(昭和2年)から1929年(昭和4年)頃に旅客営業を開始したものである。

輸送・収支実績

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年度 乗客
(人)
貨物量
(トン)
営業収入
(円)
営業費
(円)
益金
(円)
その他益金
(円)
その他損金
(円)
支払利子
(円)
政府補助金
(円)
191554,8148364,6835,286▲ 603
1916155,31515010,42110,634▲ 213検査改算増額916水運1653,7523,258
1917219,6845,54115,0948,2696,8252,4645,407
1918268,25012,81718,90813,7785,130水運7791,5504,899
1919298,23719,24026,97318,8718,102水運5851,3961,408
1920316,30618,63838,59624,34114,255水運3161,9000
1921312,05913,15337,59429,6307,9644,820
1922271,95612,92036,53630,3416,1957,914
1923369,89514,99749,93142,3657,566水運614雑損1,651
水運829
10,5459,238
1924389,55914,40854,36139,83914,522水運93雑損428,2246,130
1925388,17814,00748,88838,26710,621雑損72水運116,6688,704
1926336,68614,69261,42329,43531,988雑損10,380
償却金4,000
6,447
1927294,92515,42443,87929,46914,410雑損2195,822
1928266,41715,44944,00829,00815,000雑損償却金328
自動車1,720
6,631
1929294,34714,90844,87028,67316,197償却金291
水族館自動車2,403
7,385
1930277,34414,62040,52327,23613,287水族館自動車8097,904
193185,6867,87814,55611,3043,252自動車5223,819
  • 鉄道院年報、鉄道院鉄道統計、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料各年度版

脚注

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  1. 1 2 3 4 5 6 7 『地方鉄道軌道営業年鑑』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  2. 1 2 『日本船名録. 明治37年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. 古川達郎『鉄道連絡船100年の航跡』成山堂書店、1988年、9-10頁
  4. 現在も同地に本社と桜橋供給所を置く。当時は石炭からガスを製造して供給しており、そのための工場が現在の桜橋供給所の位置に設けられていた。
  5. No.30「瓦斯倫動力併用ノ件」5頁『第一門・監督・二、地方鉄道・イ、免許・三蟠鉄道・運輸営業廃止・大正十三年~昭和六年』
  6. 形式称号についてはジ1であったとの説も存在する。1927年(昭和2年)3月竣工の井笠鉄道ジ1・2を皮切りに瀬戸内・中部地方の鉄軌道に広く普及した、T型フォードのエンジンと変速機を流用する「軌道自動車」と呼ばれる2軸の単端式ガソリン動車の典型例の一つであった。
  7. フジ1とほぼ同型だが、車体がやや大型化していた。
  8. 1 2 No.40「水族館兼営ノ件」、No.44「水族館開館ノ件」『第一門・監督・二、地方鉄道・イ、免許・三蟠鉄道・運輸営業廃止・大正十三年~昭和六年』
  9. No.48「物品販売業兼営ノ件」『第一門・監督・二、地方鉄道・イ、免許・三蟠鉄道・運輸営業廃止・大正十三年~昭和六年』
  10. 当時の地元新聞に、突然の休止とそれを批判する記事が掲載されている。
  11. No.52「国清寺三蟠間運輸営業廃止実施ノ件(官報掲載)」7頁
  12. 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1913年10月18日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  13. 「幻の三蟠鉄道聞き書き」『鉄道ファン』No.188、76頁
  14. 『地方鉄道軌道営業年鑑』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  15. 『日本全国諸会社役員録. 第23回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  16. 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1915年8月21日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  17. No.36「自動車兼業経営ノ件」、No.39「自動車営業開始ノ件」『第一門・監督・二、地方鉄道・イ、免許・三蟠鉄道・運輸営業廃止・大正十三年~昭和六年』
  18. 「鉄道営業廃止」『官報』1931年8月18日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  19. 1 2 「地方鉄道駅名改称」『官報』1924年2月8日(国立国会図書館デジタルコレクション)

参考文献

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  • 安保彰夫「幻の三蟠鉄道聞き書き」『鉄道ファン』No.187-188 1976年11-12月号
  • 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 11 中国四国、新潮社、2009年。ISBN 978-4-10-790029-6 
  • 『埋もれた轍 中国・四国編』、ビコム社ビデオグラム
    「運賃が高く、裕福な人しか乗らなかった」と紹介されている。
  • 国立公文書館所蔵『第一門・監督・二、地方鉄道・イ、免許・三蟠鉄道・運輸営業廃止・大正十三年~昭和六年』(国立公文書館デジタルアーカイブ で画像閲覧可)

関連項目

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外部リンク

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