三川駅 (北海道)

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三川駅
三川駅舎(2005年4月)
三川駅舎(2005年4月)
みかわ
Mikawa
K15 追分 (8.0km)
(3.4km) 古山
所在地 北海道夕張郡由仁町西三川
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 室蘭本線
キロ程 178.8km(長万部起点)
電報略号 ミカ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1897年明治30年)2月16日
備考 無人駅
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1976年の三川駅と周囲1km範囲。上が岩見沢方面。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

三川駅(みかわえき)は、北海道空知総合振興局夕張郡由仁町西三川にある北海道旅客鉄道(JR北海道)室蘭本線である。電報略号ミカ

稀府駅から当駅まで複線、当駅から岩見沢駅までは由仁駅 - 栗山駅間を除き単線である。

歴史[編集]

駅構造[編集]

単式ホーム島式ホーム(片面使用)複合型2面2線を有する地上駅で、単線区間と複線区間の接点となる列車交換可能な交換駅。互いのホームは単式ホーム南側と島式ホーム北側を結んだ跨線橋で連絡している[3]。跨線橋はL字を背中合わせに付けた形態である[3]。線路東側の駅舎側単式ホームが上り1番線、対向側島式ホームが下り2番線(旧3番線)となっている[3]。そのほか1993年(平成5年度)3月時点では、1番線の長万部方から分岐し駅舎南側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線、2番線の岩見沢方から長万部方面へ構内外側へ分岐する行き止まりの側線を1線、2番線側に安全側線を1線有していた[3]。かつては単式ホーム・島式ホーム複合型2面3線の配線であった(1983年(昭和58年)4月時点ではこの配線[4])。このうち上下共用の中線(旧2番線)が撤去された形となっている[3](現在の2番線は旧3番線である[4])。

のりば
1 室蘭本線(上り) 追分苫小牧方面
2 室蘭本線(下り) 栗山岩見沢方面

無人駅となっている。駅舎は構内の東側(岩見沢方面に向かって右手側)に位置し単式ホーム中央部分に接している[3]有人駅時代の駅舎は改築され、安平駅、古山駅、栗丘駅と同型の[5]駅舎となっている。破風および側面のラインの配色は青色となっている[5]。駅舎内に待合所のほか管理事務室、トイレを有する[5]

駅名の由来[編集]

当駅の所在する地名より。地名は当地が愛知県(旧・三河国)からの入植者によって開拓されたことにより、故郷にちなんで付けられた[3][4][5][6]

なお、三河が三川となった理由については、故国の名をそのまま付けるのは故国を汚す恐れがあるからとしている[7]。元来この地はアイヌ語でムコマナイ(正確な意味は不明)と称していたが、開拓に失敗することを暗示する名であるとのことで、この地の開拓者の草分けである三河出身の加藤平五郎が、当駅の開設を代表者として北海道炭礦鉄道へ陳情する際に、この地の名前をそう名付けて提出したとされる[7][注 2]

利用状況[編集]

  • 1981年度(昭和56年度)の1日乗降客数は155人[4]
  • 1992年度(平成4年度)の1日乗降客数は190人[3]

駅周辺[編集]

周辺は田園地帯であり[5]、その中の集落にある駅。駅前広場には煉瓦造り、軟石造りの倉庫が並んでいる[5]

バス路線[編集]

隣の駅[編集]

北海道旅客鉄道
室蘭本線
追分駅 (K15) - 三川駅 - 古山駅

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 1993年(平成5年)3月時点では簡易委託駅(書籍『JR・私鉄全線各駅停車1 北海道630駅』(小学館1993年6月発行)90ページより。)。
  2. ^ 由仁町史のP899では駅名が先としているが、P230-231の駅設置陳情書の写しでは(ムコマナイの地名を添えて)三川の地名が使用されている。

出典[編集]

  1. ^ 北海道630駅 小学館 1993年発行
  2. ^ 追分町史 1986年8月発行、P1023。
  3. ^ a b c d e f g h 書籍『JR・私鉄全線各駅停車1 北海道630駅』(小学館1993年6月発行)90ページより。
  4. ^ a b c d 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館1983年7月発行)87ページより。
  5. ^ a b c d e f 書籍『北海道鉄道駅大図鑑』(著:本久公洋、北海道新聞社2008年8月発行)115ページより。
  6. ^ 書籍『北海道の駅878ものがたり 駅名のルーツ探究』(監修:太田幸夫、富士コンテム、2004年2月発行)58ページより。
  7. ^ a b 由仁町史 1973年11月発行、P230-231,899。

関連項目[編集]