三島億二郎

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三島億二郎
Mishima Okujirō.jpg
三島億二郎。明治2年撮影。45歳[1]
時代 江戸時代末期 - 明治時代
生誕 文政8年10月18日1825年11月27日
死没 明治25年(1892年3月25日
改名 伊丹鋭次郎→川島鋭次郎
→川島億次郎→三島宗右衛門
→三島億二郎
墓所 新潟県長岡市 栄涼寺
主君 忠雅忠恭忠訓忠毅
越後長岡藩目付格、軍事掛、大参事
父母 父:伊丹市左衛門、養父:川島徳兵衛
伊丹政由

三島 億二郎(みしま おくじろう)は、江戸時代末期から明治時代にかけての武士越後長岡藩士)、政治家実業家北越戦争で疲弊した越後国新潟県長岡復興近代化に尽力した。

経歴[編集]

北越戦争まで[編集]

文政8年(1825年)、長岡藩士・伊丹市左衛門の二男として、長岡城下の長町に生まれる。最初の名前は鋭次郎河井継之助小林虎三郎らは近所の幼なじみであった。また、兄の伊丹政由は、藩校・崇徳館の教授であった山田愛之助の指導で結成された「桶宗」の中心人物であった。そのため、鋭次郎も河井や小林と共にこれに加わった。

弘化元年(1844年)、長岡藩士・川島徳兵衛の養子となる。川島家は30石の微禄であった(後に7石加増)。崇徳館の助教を経て、嘉永2年(1849年)には江戸藩邸勤務となる。江戸在勤中に、佐久間象山の塾に通うようになり、そこで吉田松陰とも親しくなった。

嘉永6年(1853年)にペリーが来航すると、老中であった藩主・牧野忠雅の命で浦賀まで偵察に赴き、状況をありのまま報告するが、その際に提出した意見で忠雅の不興を買い、長岡に帰される。安政6年(1859年)、時の藩主・牧野忠恭(忠雅の養子)に子・鋭橘(後の牧野忠毅)が誕生したため、鋭次郎から億次郎に改名した。

慶応4年(1868年)の戊辰戦争に際して、当初は新政府軍に抗戦することには反対していた。しかし、慈眼寺での談判が決裂した後、開戦の決意を固めた河井の説得に同意。軍事掛となって山本義路らとともに北越戦争で奮戦し、八丁沖からの長岡城奪還にも参加している。

北越戦争以後[編集]

『三島億二郎肖像画』渡辺幽香画(長岡市立中央図書館蔵)

北越戦争直後は改姓改名して、三島宗右衛門と名乗ったこともあったが、明治以後は三島億二郎と改名した。明治2年(1869年)、版籍奉還によって、長岡藩知事となった藩主・牧野忠毅は、牧野頼母、小林虎三郎、三島の3人を藩の大参事に任命した。さらに、明治3年(1870年)の長岡廃藩に伴い、柏崎県大参事に任命された。

その頃、唐物商の岸宇吉邸には、舶来の石油ランプがあった。このランプを囲むようにして、三島と岸を中心に小林、森源三士族大橋佐平ら商人、医師の梛野直、教育者の藤野善蔵らが集まって、町の復興や商業振興について語り合った。やがて、この集まりはランプ会と呼ばれるようになった。

こうしたつながりを支えとして三島は、士族授産のための産物会所(明治3年)・女紅場(明治9年)の創設を推進した。また、明治11年(1878年)には岸宇吉、関矢孫左衛門らと共に、第六十九国立銀行北越銀行の前身)の創設発起人となったが、この銀行は秩禄処分で士族が得た公債を資本としていた。

また、国漢学校の拡充や長岡洋学校の創設(明治5年(1872年))、育英団体長岡社の創設(明治8年(1875年))といった教育政策、長岡會社病院(明治6年(1873年)、長岡赤十字病院の前身)の開設などの衛生行政にも尽力した。

この間、三島は大区小区制導入によって柏崎県第三大区長、柏崎県廃止により新潟県第十六大区長(明治9年(1876年))、古志郡長(明治12年(1879年))を歴任している。

明治15年(1882年)、古志郡長を辞職した後は北海道開拓に傾注し、明治19年(1886年)には笠原文平、大橋一蔵、関矢孫左衛門、岸宇吉らと北越殖民社を開設した。

私利私欲を求めず、経済の復興・発展を目指したその功績は大きいが、河井・小林ほど知名度は高くない。

顕彰[編集]

三島億二郎の像(長岡市)
  • 昭和2年(1927年) 悠久山公園に顕彰碑が建立される。
  • 平成10年(1998年) 千秋が原ふるさとの森東側の信濃川左岸堤防上(長岡赤十字病院近く)にブロンズ像・石碑が建立される。

日記[編集]

三島が明治2年から24年までの間、記し続けた日記42冊は、昭和49年に長岡市指定文化財となり、現在は長岡市立中央図書館に所蔵されている。また、長岡市史編さん事業で、それらの翻刻が進められ、長岡市史双書として4冊にまとめられて刊行された。

  • 『三島億二郎日記』全4冊(長岡市、1991-2001年)

参考文献[編集]

  • 今泉鐸次郎『三島億次郎翁』(北越新報社、1927年)
  • 今泉省三『三島億二郎伝』(覚張書店、1957年)
  • 『ふるさと長岡の人びと』(長岡市、1998年)
  • 稲川明雄『長岡城落日の涙 故郷復興への道のり』(恒文社、2001年)

脚注[編集]

  1. ^ 『長岡中学読本 人物篇』(新潟県立長岡中学校編、昭和11(1936)年刊) p.93

外部リンク[編集]