三國清三
みくに きよみ 三國 清三 | |
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| 生誕 |
1954年8月10日(72歳) |
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| 職業 |
シェフ 「オテル・ドゥ・ミクニ」等のオーナー 著作家 料理系YouTuber |
| 活動期間 | 1985年 - 現在 |
| 団体 |
株式会社ソシエテミクニ代表取締役 日本フランス料理技術組合代表 一般社団法人全日本・食学会理事長代行 東京観光大使 北海道食大使 北海道白老アイヌ食文化大使 |
| 受賞 |
黄綬褒章 美食学名誉博士(仏トゥール大学) フランス農事功労章オフィシェ章受章 レジオンドヌール勲章 |
| 公式サイト |
三國清三 (@chef_mikuni) - Instagram 三國清三 (100038235254970) - Facebook |
| 三國清三 | |
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| YouTube | |
| チャンネル | |
| 活動期間 | 2020年4月11日 - |
| 登録者数 | 54.7万人 |
| 総再生回数 | 95,625,114 回 |
| チャンネル登録者数・総再生回数は 2025年12月25日時点。 | |
| 映像外部リンク | |
|---|---|
| シェフ三國清三 OFFICIAL CHANNEL | |
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三國 清三(みくに きよみ、1954年8月10日 - )は、日本のフランス料理シェフ、著作家、料理系YouTuber。東京四ツ谷の「オテル・ドゥ・ミクニ」等のオーナーシェフ、株式会社ソシエテミクニ代表取締役、日本フランス料理技術組合代表。称号(名誉学位)は美食学名誉博士(仏トゥール大学)[1]。東京観光大使、北海道食大使、北海道白老アイヌ食文化大使。黄綬褒章、レジオンドヌール勲章、フランス農事功労章オフィシェ章受章。一般社団法人全日本・食学会理事長代行[2]ほか、政府・各種社団法人の委員・理事等を務める。現在YouTubeチャンネルの登録者数が54万人、Instagramのフォロワー数は18万人、家庭で作れる様々なレシピの紹介やシェフのちょい語りコーナーが人気を博している。日本のフランス料理の第一人者で、最も有名な料理人の1人である。北海道留萌支庁管内増毛町出身。
経歴
[編集]北海道留萌支庁管内増毛町生まれ[3]。父・正(手漕ぎの漁師)、母・亮子(農家)の間に7人兄弟の三男(兄2人、姉2人、三國、弟、妹)として生まれる。実家は半農半漁。
1969年(昭和44年)中学校卒業後、札幌・南16条の米店に住み込みで働きながら、夜間の調理師学校に通う[4][5]。16歳の時、まかないで食べたハンバーグに感動し、「ハンバーグを作る料理人になろう」と決意[4]。米店の女性から「ハンバーグと言えば札幌グランドホテル」と聞き、同ホテルで開催されたテーブルマナー講習に参加し、そこで料理課長の青木保憲の許しを得て、料理人の修行を開始[4]。半年後、中卒ながら正社員になる。1971年、札幌グランドホテル総料理長・斉藤慶一に紹介状を書いてもらい、帝国ホテルへ就職[4]。オイルショックの時期に重なり、社員としては雇用されなかった[4][6]。
1973年(昭和48年)20歳で帝国ホテル・村上信夫料理長の推薦により、スイス・ジュネーヴの日本大使館(軍縮会議日本政府代表部)の料理長に就任[4][7]。大使館勤務のかたわら、フランス料理界で有名な「ジラルデ」のフレディ・ジラルデの噂を聞き師事、休日を利用して同店の厨房に入るようになる。
1978年(昭和53年)、大使館を退勤後はジラルデの口利きで当時の日本人としては異例のビザを取得し、同店で2年間フルタイムで働きながら修業を続けた[8]。退職時はジラルデの計らいで、アラン・シャペルへの移籍を考えるも同店の人手が足りていたことから3年ほど待つように言われ、ジラルデの厨房で共に修行していたミシェル・トロワグロの実家でもある、トロワグロのトロワグロ兄弟に師事した[3][9]。1980年(昭和55年)、「トロワグロ」、「オーベルジュ・ドゥ・リィル」、「ロアジス」など三つ星レストランを中心に修業を続ける中、「アラン・シャペル」から連絡があり同店の厨房に入る。しかし、シャペルは仕事ぶりに「セパラフィネ(洗練されていない)」と言い、フランス人との食文化や価値観の違いなどから1982年に帰国を決意。フランス時代から誘いがあった市ヶ谷の「ビストロ・サカナザ」でシェフとして迎えられる[10]。
1985年(昭和60年)、東京・四ツ谷に「オテル・ドゥ・ミクニ」を開業、オーナーシェフとなる[3]。1989年(平成元年)ニューヨークのレストラン「ザ・キルテッド・ジラフ」、香港のホテル「ペニンシュラ ホンコン」にて“ミクニフェスティバル”を開催。1990年、タイの「ザ・オリエンタル・バンコク」ホテルにて“ミクニフェスティバル”を開催[11]。
1990年(平成2年)、フランスより修行時代の師であるアラン・シャペルがオテル・ドゥ・ミクニに来店し、備前焼で供された「冷製フォアグラのコンポート、古いマデラジュレがけ、東京サラダとくるみオイル味」[12]に「ジャポニゼ」という言葉を寄せた[3]。シャペルはこの訪問から3ヶ月後に急逝し、最初で最後の来店となった。
1991年(平成3年)「ルレ・エ・シャトー協会」、「トラディション・エ・カリテ」に加盟[13]。モナコの「オテル・ドゥ・パリ」にてアラン・デュカス等と共に世界7ヶ国のシェフの一人としてイベントに参加。タイの「ザ・オリエンタル・バンコク」ホテルにて2度目の“ミクニフェスティバル”を開催。1992年、タイの「ザ・オリエンタル・バンコク」ホテルにて3度目の“ミクニフェスティバル”を開催。シンガポールの「FOOD & HOTEL ASIA'92」の「世界料理コンクール」において、2度目のアジア地区代表審査員を務める。アフリカ・ケニアの「ムパタロッジ」にてプロモーションを開催。フランス「オテル・ドゥ・クリヨン」にて“ミクニフェスティバル”を開催[14]。
1993年(平成5年)フランス・リヨンにて「BOCUSE D'OR 料理コンクール」の日本代表審査員長を務める。ロンドンのホテル「ザ・バークレー」で“ミクニフェスティバル”を開催。エリザベス女王が来訪する[15]。1994年、フランス・ボルドーワインの普及貢献が認められ、メドック・グラーヴ地区ボンタン騎士団の勲章を受勲。札幌グランドホテル開業60周年記念で「ミッシェル・トロワグロと三國清三のメモリアル・ガラ・ディナー」を饗宴する。「東京ベイヒルトン」ホテルにて“世界の子どもにワクチンを”のチャリティーミクニフェスティバルを開催[16]。
1995年(平成7年)フランスサン=テミリオンにて“プルミエ・グランクリュ・クラセ”VIN EXPO'95大晩餐会のシェフを務める。東京誠心調理師専門学校・創立25周年記念特別講習会を行う[17]。ヒルトン東京ベイにて2回目の“世界の子どもにワクチンを”のチャリティーミクニフェスティバルを開催する。中国の「上海ヒルトン」ホテルにて“世界の子どもにワクチンを”のワールド・チャリティーミクニフェスティバルを開催する。糸菊学園・名古屋調理師専門学校・創立46周年記念特別講演会を行う[18]。
1996年(平成8年)タイの「ザ・オリエンタル・バンコク」開業120周年記念として4度目の“ミクニフェスティバル”を開催する。アジア12ヶ国最優秀シェフ12名を決定するコンテスト"ボンラック・グレート・シェフズ・オブ・アジア賞"を日本代表の最優秀シェフとして受賞。シンガポールの「ラッフルズホテル」にて“ミクニフェスティバル”を開催[19]。1997年(平成9年)台湾の「ライライシェラトンホテル」にて“ミクニフェスティバル”を開催。北海道知事の堀達也より北海道食大使に任命される[20]。1998年(平成10年)ルレ・エ・シャトー協会の「世界のトップシェフ60人の一人」に選ばれ、ロサンゼルスにて饗宴[21]。
1999年(平成11年)沖縄・米国海軍基地にて外国人シェフとして初めてボランティアフェアを実施。フランス・ボジョレーにてルレ・エ・シャトー世界5大陸トップ・シェフ5人の一人に選ばれる[22]。「Santi SANTAMARIA」(ミシュラン3ツ星:スペイン)、「Patrick O'CONNELL」(USA2ツ星:ワシントン)、「Thomas KELLER」(USA2ツ星:ロサンゼルス)、「Luisa VALLAZA」(ミシュラン3ツ星:イタリア)、「Nadia SANTINI」(ミシュラン3ツ星:イタリア)、「三國清三」(日本)。フランスの高級レストランの料理人を中心とする組合「Chambre Syndicate de la Haute Cuisine Francaise」(フランス高級料理組合)に日本人として初めて加入[13]。日本フランス料理技術組合(フランスと日本の組合が相互に協力し、行政との交渉や広報活動、料理人の育成や子どもの味覚教育等に取り組む組織)を発足[23]。
2000年(平成12年)沖縄・米国基地海兵隊より、1999年3月のボランティアフェアの貢献に対し感謝状を受ける。九州・沖縄サミット福岡蔵相会合の総料理長を務める[3]。2001年(平成13年)東京駅「東京食堂 Central Mikuni's」をプロデュース。スイス・サンモリッツ世界最高リゾートホテルにてフェアを実施する。フランス・リヨンにて“BOCUSE D'OR 料理コンクール”の審査員日本代表。タイの「ジ・オリエンタル・バンコク」開業125周年記念として5度目の“ミクニフェスティバル”を開催する。「ニューサンノーホテル」(東京)米軍センターにて米国海軍と共にエスコフィエディナーフェアを開催。4,900ドルをユニセフへ寄付。JR北海道「三國シェフプロデュース「ミクニBOX」(フォアグラどんぶり弁当)」発売[24]。
2002年(平成14年)JR京葉線・海浜幕張駅「アズ・カフェ ミクニ 海浜幕張」をプロデュース。イタリアで世界料理コンクール開催。デモンストレーションを行う。韓国とのサッカーワールドカップ共同開催を記念して、両国の交流グルメフェアを開催。モスクワにてピエール・ガニエ(パリ三つ星シェフ)と食のイベント開催。イタリア・トリノにてその年の世界最高のシェフとしてイタリアスローフード協会主催の晩餐会を務める。“メイク・ア・ウィッシュ・オブ・ジャパン”10周年記念チャリティ・パーティにてディナーメニューの監修。日本フランス料理技術組合の子供への食育活動の功績が認められ、2002年度食品産業技術功労賞「特別賞」を受賞[25]。
2003年(平成15年)東京・汐留に旧国鉄開業当時の駅舎を再現した「旧新橋停車場」内の「グラン・カフェ 新橋ミクニ」をプロデュース、札幌駅南口に「ミクニサッポロ」開業。北海道スローフード協会・支部役員となる。フランス共和国農事功労章「シュヴァリエ」を受勲。フランスチーズ鑑評騎士の会日本支部シュヴァリエ会員に選出される[26]。2004年(平成16年)ギリシャ・シェフ協会、認定名誉会員に選出される。政府の「立ち上がる農山漁村」有識者会議の一員に選出される。「ニューズウィーク日本版」2004年10月20日号「世界が尊敬する日本人100 Japanese」の一人に選出される[22]。「オテル・ドゥ・ミクニ」が、食品衛生優良施設として厚生労働大臣表彰を受賞。内閣総理大臣より「知的財産戦略本部コンテンツ専門調査会」の委員に任命される。社団法人北海道ウタリ協会より「北海道白老アイヌ食文化大使」の称号を授かる[27]。2005年(平成17年)農林水産省、経済産業省主催「食の教育推進協議会」に出席。文部科学省「新しい日本の創造を考える研究会」の講師。社団法人全日本司厨士協会理事に就任。料理専門学校「Culinary Institute of America」にて、“Great Chefs Series” の講師として講演および料理講習の実施。文部科学省初等中等教育過程課「家庭、技術・家庭、情報専門部会」委員に任命される[17]。2006年(平成18年)第一回 ミクニ スプリング フェスティバル開催。2007年(平成19年)高松市の高松丸亀町商店街再開発ビル高松丸亀町壱番街に姉妹店「ミクニタカマツ」オープン。年数回は訪れ「ミクニフェア」を開催する。厚生労働省より卓越した技能者として「現代の名工」として表彰される[9]。2008年(平成20年)自らが監修したレストラン「オーベルジュましけ」が5月1日にオープン[28]。
2010年(平成22年)フランス農事功労章オフィシェ章を受勲[9][29]。高松市に2店舗目となる「パティスリーミクニ」オープン。高松丸亀町壱番街2階雑貨店の片隅で提供していたスイーツが好評を得、カフェバーを併設した独立店として出店。夜は392円メニューを提供するなど独自の展開を行う。2013年(平成25年)11月7日、フランスのトゥール大学より「美食学」の名誉博士号を贈られる[3][1]。
2015年(平成27年)日本人の料理人で唯一、フランス共和国の国家勲章にあたるレジオン・ドヌール勲章シュヴァリエを受章[3][22][30][31]。2020年(令和2年)よりYouTubeチャンネルを開設。著書『JAPONISÉE』で世界唯一の料理本に対する賞「グルマン世界料理本大賞2020」を受賞、本書は「傑作」と評された[3]。2022年、著書『スーパーの食材でフランス家庭料理をつくる 三國シェフのベスト・レシピ136 永久保存版』が「第9回料理レシピ本大賞 in Japan」のプロの選んだレシピ賞を受賞[32]。2022年(令和4年)12月28日、37年間営業した「オテル・ドゥ・ミクニ」を閉店した[33][34]。2023年(令和5年)2月、東京都の東京観光大使に任命された[35]。
2025年(令和7年)黄綬褒章を受章[36]。同年9月、「オテル・ドゥ・ミクニ」と同じ場所に「三國」を開店。カウンター8席、店のすべてをひとりで切り盛りする[37]。
エピソード
[編集]恩師・村上信夫から見た三國清三
[編集]「三國君は私が総料理長だった当時、札幌グランドホテルから帝国ホテルに志願してやってきた。正社員の枠がなく、パートタイマーで採用したが、やる気があって、よく気がつく男だった。何にでも一生懸命で、良い意味での「欲」があった。駐スイス大使への赴任が決まっていた小木曽さんが「専属コックにいい人はいないか」と打診してきたとき、頭に浮かんだ何人かの候補者の中から、私は三國君を選んだ。当時、三國君はまだ20歳の若者、しかも帝国ホテルでは鍋や皿を洗う見習いだったため、料理を作ったことがなかった。では、なぜ私は三國君を推薦したのか。彼は、鍋洗い一つとっても要領とセンスが良かった。戦場のような厨房で次々に雑用をこなしながら、下ごしらえをやり、盛りつけを手伝い、味を盗む。ちょっとした雑用でも、シェフの仕事の段取りを見極め、いいタイミングでサポートする。それと、私が認めたのは、塩のふり方だった。厨房では俗に「塩ふり3年」と言うが、彼は素材に合わせて、じつに巧みに塩をふっていた。実際に料理を作らせてみなくても、それで腕前のほどが分かるのだ。」(村上信夫著『帝国ホテル厨房物語』[38]
ミシュランガイド
[編集]輝かしい経歴を持つ三國清三であるが、オテル・ドゥ・ミクニを始めとした自身の経営しているレストランがミシュランガイド東京に掲載されたことはない。 三國本人はそれについて長年コメントを控えてきたが、著書「三流シェフ」明かした事情として、オテル・ドゥ・ミクニがミシュランの星を得られなかったことにアラン・デュカスをはじめとした三國の友人且つ、フランス料理界で影響のあるシェフたちが抗議を寄せ、更には三國がフランスの食材を大量に輸入する日本フランス料理界のトップ・シェフだったこともあり、事態を重く見たフランス政府が介入。フランス大使館にミシュランの担当者と三國が呼びつけられ、調停の場が設けられた。三國自身がフランス政府やフランス大使館に頼んだわけではなかったものの、ミシュランガイド側に三國が政治力を使って圧力をかけたと判断され、以降の関係性が断絶したと証言している。
料理スタイル
[編集]作る料理は、フランス料理をベースとしているが、味噌、米、鰹節、数の子を取り入れるなど一般の固定観念にとらわれない料理を生み出している(きょうの料理で紹介した昆布と納豆のタルタル利尻うにのせのようにほとんど和の食材を用いている[39]ものもある)。また、洋風の料理を使う場合も、地場産品を材料として取り入れる工夫をしている(北海道産のジャガイモや牛肉を使ったメニューなど)。
著書
[編集]単著
[編集]- 『皿の上に、僕がある』(非売品)(柴田書店、1986年) ISBN 978-4388062522
- 『僕の、美味求新』(パン・リサーチ社、1986年10月1日) ISBN 978-4893520166
- 『料理の哲学 5人の神様から学んだ三ツ星のエスプリ』(青春出版社、2009年12月9日) ISBN 978-4413094528
- 『体の中からきれいになる ミクニごはん』(朝日出版社、2007年5月31日) ISBN 978-4255003733
- 『15歳の寺子屋 前進力』(講談社、2009年3月11日) ISBN 978-4062153492
- 『僕はこんなものを食べてきた』(ポプラ社、2010年4月7日) ISBN 978-4591116708
- 『糖質オフのフレンチごはん』(青春出版社、2013年5月23日) ISBN 978-4413110938
- 『クリニック内レストラン ミクニ マンスールの美味しすぎる健康食レシピ』(宝島社、2013年11月7日) ISBN 978-4800214430
- 『食の金メダルを目指して』(日本経済新聞出版、2016年11月/9日) ISBN 978-4532263256
- 『おうちフレンチ 一流に教わる基本のレシピ』(ナツメ社、2017年10月16日) ISBN 978-4816363429
- 『JAPONISÉE Kiyomi Mikuni』(東京美術、2019年1月1日) ISBN 978-4600001766
- 『スーパーの食材でフランス家庭料理をつくる 三國シェフのベスト・レシピ136 永久保存版』(KADOKAWA、2023年1月25日) ISBN 978-4046060846
- 『三流シェフ』(幻冬舎、2022年12月14日) ISBN 978-4344040649
- 『スーパーの食材が高級レストランの味になる 三國シェフのすご技絶品レシピ 永久保存版』(KADOKAWA、2021年12月22日) ISBN 978-4046054982
- 『今日は甘いものを食べたい日 三國シェフの簡単美味しいおうちスイーツ135』(KADOKAWA、2025年2月4日) ISBN 978-4046072849
- 『三國、燃え尽きるまで厨房に立つ』(扶桑社、2025年9月25日) ISBN 978-4074606702
- 『日々の食卓にフランスをひとさじ』(宝島社、2025年12月22日) ISBN 978-4299073716
共著
[編集]- 『C'est Mikuni―僕の、おいしさ。』(共著:森川昇、料理通信、1996年3月1日) ISBN 978-4947682017
- 『子どもに作ってあげたい料理』(共著:野崎洋光、音羽和紀、柴田書店、2002年11月1日) ISBN 978-4388059157
- 『味覚を磨く』(共著:服部幸應、緒方修一、KADOKAWA、2006年11月9日) ISBN 978-4047100626
TV出演
[編集]- 「若き天才シェフ 三國清三」(1986年12月、日本テレビ)
- 「食彩浪漫(奇想天外!数の子フレンチ)」(2004年3月、NHK カズノコを使った料理を紹介)
- 「グレートマザー物語」(2004年2月、テレビ朝日)
- 「真剣10代しゃべり場」(2004年2月、NHK教育テレビ)
- 「ソロモンの王宮」(2004年4月、テレビ東京)
- 「旅の香り(冬の京都スペシャル)」(2005年2月、テレビ朝日)
- 「ミクニ プロデュース 〜北海道から世界へ〜」(2009年4月、札幌テレビ放送)
- 「天才てれびくんMAX」(2010年度、NHK教育テレビ)
- 「中居正広の金スマ」(2023年5月、TBSテレビ)
- 「情熱大陸」(2025年11月、TBSテレビ)[40]
- ほか多数
DVD
[編集]- 「プロのコツ・洋食1」(2005年、NHKきょうの料理、三國清三・山岡昌治)
- 「健康ビデオシリーズ・スーパーグルメ<糖尿病編>」
店舗
[編集]
オテル・ドゥ・ミクニ公式HP[41]より。
店舗一覧
[編集]関連図書
[編集]- 『おしゃれな舌: スーパーシェフ三國清三の軌跡』(著者:松木直也、風塵社、2000年6月1日) ISBN 978-4938733834
- 『魂の伝承-アラン・シャペルの弟子たち』(著者:高久多美男、フーガブックス、2003年11月/25日) ISBN 978-4902487008
- 『三國清三シェフの味覚の授業・KIDSシェフ』(著者:本多由紀子、小学館、2004年6月1日) ISBN 978-4098373635
- 『ミクニの奇跡』(著者:松木直也、新潮社、2003年11月1日)※「オシャレな舌」の加筆版 ISBN 978-4101282312
- 『子どもの味覚を育てる―ピュイゼ・メソッドのすべて』(著:ジャック ピュイゼ、原著:Jacques Puisais、翻訳:鳥取 絹子、三國 清三、紀伊國屋書店、2004年10月1日) ISBN 978-4314009690)
プロデュース
[編集]- 三國清三セレクション ミクニ赤白ワイン
- MIKUNI's PREMIUM生 ドレッシング ホットワイン(ヤマダイ食品)
- 北海道の逸品 手造りカマンベールチーズ
- カフェ パティスリー ミクニ 新清水/フレンチ
脚注
[編集]- 1 2 この名誉学位は「フランスの美食術」がユネスコの文化遺産に登録されたのを機に創設されたもの。「三国シェフに名誉博士号」『読売新聞』2013年11月9日東京朝刊38頁参照。
- ↑ 全日本・食学会 組織概要
- 1 2 3 4 5 6 7 8 日本経済新聞社・日経BP社. “「日本人らしく」とシャペル師匠 三国シェフの35年|グルメクラブ|NIKKEI STYLE”. NIKKEI STYLE. 2021年8月14日閲覧。
- 1 2 3 4 5 6 “【第八十八回】三國清三|平成の世にサムライを探して|日立ソリューションズ”. www.hitachi-solutions.co.jp. 2021年8月14日閲覧。
- ↑ “「『料理の神様』が手を差し伸べてくれた」 「オテル・ドゥ・ミクニ」オーナーシェフ 三國清三さん【インタビュー前編】~日々摘花 第13回~”. 家族葬のファミーユ【Coeurlien】 (2023年7月20日). 2024年4月26日閲覧。
- ↑ “フレンチのカリスマ・三國清三シェフが味わった“人生初の挫折”「どんなに頑張っても…」”. dogatch.jp. 2021年8月14日閲覧。
- ↑ 日本経済新聞社・日経BP社. “三国シェフが動画レシピ投稿 連日アップに込める思い|グルメクラブ|NIKKEI STYLE”. NIKKEI STYLE. 2021年8月14日閲覧。
- ↑ フレンチのカリスマ・三國清三シェフ、“洗い場”で掴んだチャンス!襟首をつかまれ、放り込まれた場所で…
- 1 2 3 “三國清三 | 著者プロフィール | 新潮社”. www.shinchosha.co.jp. 2021年8月14日閲覧。
- ↑ https://cuisine-kingdom.com/japonisee
- ↑ ジェイアール東日本レストラン(株)と三國清三シェフ((株)三國商事)が提携
- ↑ https://www.youtube.com/watch?v=AfOcwWNuKBA
- 1 2 “東京・四ッ谷、オテル・ドゥ・ミクニの三國清三 日本人シェフとして初めて「レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエ」を受章”. プレスリリース・ニュースリリース配信シェアNo.1|PR TIMES. 2021年8月14日閲覧。
- ↑ オテル・ドゥ・ミクニ オーナーシェフ 日本遺産大使 三國清三
- ↑ フランス料理の巨匠・三國清三シェフが八丁味噌を愛する理由
- ↑ シェフと60分 「オテル・ドゥ・ミクニ」オーナーシェフ 三國清三氏
- 1 2 8/20(木)のゲストは、オテル・ドゥ・ミクニ オーナーシェフ 日本遺産大使 三國清三さん
- ↑ 糸菊学園名古屋調理師専門学校が創立46周年記念講演会
- ↑ シェフの“アジアオリンピック”、日本代表シェフに三国清二氏
- ↑ シェフ三国清三さんインタビュー(上)「地産地消こそフランス料理の根っこ」
- ↑ 三國清三シェフが人生を変えた言葉を語った。
- 1 2 3 “【トップインタビュー】「食」を「食文化」にするために必要なこと ~伝統をつないでいく「誇り」と「使命感」~|農畜産業振興機構”. 農畜産業振興機構. 2021年8月14日閲覧。
- ↑ 住商モンブラン「MONTBLANC SPECIAL INTERVIEW」
- ↑ 駅弁ニュース 2001(平成13)年
- ↑ ヨーロッパで修行を重ねスイス大使館にも勤めていたフランス料理人「三國清三氏」
- ↑ 旧新橋停車場復元駅舎内に「ミクニ」レストランを出店
- ↑ 一般社団法人Chef Muse「名誉顧問」
- ↑ オーベルジュましけ公式サイト
- ↑ “大沢、クルアン、小山、中村、服部、三國6氏が農事功労章を受章”. 駐日フランス大使館 (2019年1月17日). 2021年6月18日閲覧。
- ↑ “三國清三氏がレジオン・ドヌール勲章を受章”. 駐日フランス大使館 (2019年1月17日). 2021年6月18日閲覧。
- ↑ オテル・ドゥ・ミクニの三國清三が日本人シェフ初シュヴァリエ章を受章
- ↑ “【第9回 料理レシピ本大賞 各ジャンル受賞作品】”. 料理レシピ本大賞 in Japan (2022年9月6日). 2023年1月3日閲覧。
- ↑ “三國清三さんの「オテル・ドゥ・ミクニ」閉店 多くの著名人通う名店:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル (2022年12月28日). 2022年12月28日閲覧。
- ↑ 経済産業省「“世界のミクニ” 70歳から開く新たな道 「あしたのジョー」のように燃え尽きたい」
- ↑ 東京観光大使を任命|東京都
- ↑ “落語家の柳亭市馬さんらに紫綬 春の褒章、629個人・団体受章”. 時事通信. 2025年4月28日. 2025年4月28日閲覧.
- ↑ “三國清三シェフが71歳にして新店舗をオープン! 激動の時代を駆け抜け、人生第二章で何をしたいのかを記した渾身の自伝を出版”. プレスリリース・ニュースリリース配信シェアNo.1|PR TIMES (2025年9月18日). 2025年10月7日閲覧。
- ↑ 日経ビジネス人文庫/207P
- ↑ Langrand, Charlotte (2020年3月15日). “Comment cuisinier les oursins ? Bien les connaître, les choisir et la recette du chef Bruno Verjus” (フランス語). kitchen theorie. 2023年4月5日閲覧。
- ↑ TBSテレビ・情熱大陸「vo.1375 シェフ 三國清三」
- ↑ HÔTEL DE MIKUNI オーナーシェフ
参照文献
[編集]- 『読売新聞』2013年11月9日東京朝刊
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 三國清三 (@chef_mikuni) - Instagram
- 三國清三 vol.2 (@chef_mikuni.2) - Instagram
- 三國清三 (100038235254970) - Facebook
- シェフ三國清三 - YouTubeチャンネル