三位一体の論議

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『三位一体の論議』
イタリア語: Disputa sulla Trinità
英語: The Disputation on the Trinity
作者アンドレア・デル・サルト
製作年1517年頃
種類板上に油彩
寸法232 cm × 193 cm (91 in × 76 in)
所蔵パラティーナ美術館フィレンツェ

三位一体の論議』(さんみいったいのろんぎ、伊:Disputa sulla Trinità)は、イタリア盛期ルネサンス期の巨匠、アンドレア・デル・サルトによる1517年頃の油彩画である。現在、フィレンツェパラティーナ美術館に所蔵されている[1]

絵画の上部には、聖三位一体のヴィジョンがある。手前に座っているのは聖セバスティアヌスマグダラのマリアで、マリアはアンドレアの妻ルクレツィア・デル・フェーデをモデルにしている。その後ろには、左から右にカバの聖アウグスティヌス(司教の杖を持っている)、聖ラウレンティウス(殉教の焼き網を持っている)、殉教者聖ペテロ(本を持って、ドミニコ会の衣服を身につけ、頭に剣が刺さっている)とアッシジの聖フランシチェスコフランシスコ会の衣服と聖痕がある)の四人の男性聖人が立っている[2]

歴史[編集]

ペーリ家に関連する聖人が含まれているため、本作はペーリ家から依頼されたと主張している美術史家もいる。アンドレアがフィレンツェの聖アウグスチノ (アウグスティヌス) 修道会派のサン・ガッロ教会のために制作した3番目の絵画であった。他の絵画は、『サン・ガッロの受胎告知』と『ノリ・メ・タンゲレ』であった。修道院のすべての所有物は、フィレンツェ包囲戦の直前の1529年に、安全のためにサン・ヤコポ・トラ・フォッシ教会に移された。この教会は、その後すぐに破壊された。

階段に描かれた制作年は後に追加されてものであるが、ヴァザーリの『画家・彫刻家・建築家列伝』は、『ハルピュイアの聖母(1517年)の後に制作されたと記録している。この制作年は、当時の他の作品と比較して一般的に受け入れられている。ボッキの絵画の説明によると、1557年の洪水で損傷したとのことであるが、1985年の修復ではそうした損傷の痕跡は見つからなかった。本作は、17世紀のパラティーナ美術館の目録に含まれており、ウフィツィ美術館(1697-1716年)にしばらく展示された後、1829年にパラティーナ美術館に最終的に戻り、「サトゥルヌスの間」に掛けられた[3]

参考文献[編集]

  1. ^ Catalogue page”. 2021年8月1日閲覧。
  2. ^ WGA article”. 2021年8月1日閲覧。
  3. ^ (イタリア語) Marco Chiarini, Galleria palatina e Appartamenti Reali, Sillabe, Livorno 1998. ISBN 978-88-86392-48-8