三並義忠

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三並 義忠(みなみ よしただ、1908年明治41年)1月8日 - 1966年昭和41年)9月1日 )は、昭和期の工学技術者。自動電気釜を開発。

経歴[編集]

愛媛県新居郡中萩村(現・新居浜市)出身[1]。小学校を卒業後鉄道省に入省[1]。鉄道機関士を目指し働きながら大阪市立都島工業専修学校(現・大阪市立都島第二工業高等学校)で学ぶ[1]。1928年に鉄道省を退職して上京[1]。芝浦工学校(現・芝浦工業大学)を卒業。

ドイツ系の機械商社アンドリュウス社に入った。1932年[1]または1934年に独立し光伸社を設立。精密測定器を製作した。戦後はテープレコーダーや16ミリ映画のトーキー、圧力釜などを作った[2]

1952年に東京芝浦電気(東芝)と関係し、自動電気釜を発明した。開発の過程では一家総出で実験に当たり、様々なデータを収集し、様々な問題に直面しつつも3年間をかけて1955年に開発に成功した[3]。東芝は1955年12月に初めて自動電気釜を販売し、その後爆発的に売れるようになる。その後、最高月産20万台を販売し、4年後には日本の全家庭の約半数にまで普及し、総生産台数も1235万台を記録した[4]

自動電気釜の発明については、NHK総合テレビジョンプロジェクトX〜挑戦者たち〜「倒産からの大逆転劇 電気釜 ~町工場一家の総力戦~」として、2001年2月27日にて取り上げられた[5]

受賞[編集]

1959年 第1回科学技術賞

脚注[編集]