万治の石仏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

万治の石仏(まんじのせきぶつ)とは、長野県下諏訪町東山田字石仏にある石仏である。下諏訪町指定文化財

正面

概要[編集]

「万治」という名の由来は万治3年(1660年11月1日(石仏の胴部に刻まれている。他に「願主明誉浄光・心誉廣春」と刻まれているがこの二人は僧籍にも見当たらない)に造られたとされるところによる。高さ約2.7メートル、奥行き約4メートルの胴体の上に、高さ約60センチメートルの頭部が載っている。

伝承によると、諏訪大社下社春宮に石の大鳥居を造る為にこの石仏を材料にしようとを入れたところ(その鑿は現存している)、傷口からが出てきたため職人達は祟りをおそれ、その晩に職人達が夢枕で上原山に良い石材があるという夢を見て、探しに行ったたところ見つけることが出来、職人達はこの石仏を阿弥陀如来として祀った。それに因んでこの辺りの小地名は「石仏」となっている。この石仏は芸術家岡本太郎が訪れて絶賛したことにより有名となった。

長野県諏訪郡上諏訪町(現・諏訪市)出身の小説家新田次郎も万治の石仏を賞賛しており、新田は万治の石仏がイースター島の石人の頭部が日本へもたらされたとする大胆な想定を行い、この想定を基に小説「万治の石仏」を書いている。

首が伸びる[編集]

1991年8月に一度頭部が落下しており一度支柱で固定し修復したが、その後ある写真家が毎年撮った写真を見たところ、首が伸びている事が分かった。2007年テレビ番組で紹介され観光客も増えたが、下諏訪観光協会は「周辺の安全確保」ためとして再修復することとし、2008年3月4日に修復作業が行われ、頭部の下から賽銭25円が発見された。首が伸びた原因は、以前の修復時につけた支柱に水が溜まり、になって斜めになり、その繰り返しで頭部が上昇したとされる。修復前に測定したところ、正面で4cmで左右は6~7cm上昇していた。

ギャラリー[編集]

アクセス[編集]

周辺[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯36度4分58.57秒 東経138度4分54.98秒 / 北緯36.0829361度 東経138.0819389度 / 36.0829361; 138.0819389