万治の石仏

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万治の石仏(正面から)

万治の石仏(まんじのせきぶつ)は、長野県諏訪郡下諏訪町東山田字石仏にある、江戸時代前期の1660年万治3年)に造られた石仏。下諏訪町指定文化財昭和57年(1982年3月26日指定)[1]

概要[編集]

高さ約2.7メートル、奥行き約4メートルの胴体の上に、高さ約60センチメートルの頭部が載る。「万治」という名は、同仏像の胴部に「南無阿弥陀仏 万治三年十一月一日 願主 明誉浄光 心誉慶春」と銘が銘が刻まれていることに由来する[2]

伝承によると、諏訪大社下社春宮に石の大鳥居を立てるため、この石仏を材料にしようとを入れたところ(その鑿は現存している)、そこからが出てきたため職人達は祟りをおそれ、その晩に夢枕で上原山に良い石材があるという夢を見た職人達が探しに行くと見つけることが出来、職人達はこの石仏を阿弥陀如来として祀った。それに因んでこの辺りの小地名は「石仏」となっている。

同仏像は、芸術家岡本太郎が訪れて絶賛したことにより有名となった。また、上諏訪町(現・諏訪市)出身の小説家新田次郎も万治の石仏を賞賛しており、同仏像はイースター島の石人の頭部が日本へもたらされたものとする大胆な想定を基にして小説『万治の石仏』を著している。

首が伸びる[編集]

1991年8月に一度頭部が落下したため支柱で固定し修復したが、その後、ある写真家が毎年撮った写真を見たところ、首が伸びていることがわかった。2007年テレビ番組で紹介され、観光客も増えたが、下諏訪観光協会は「周辺の安全確保」ためとして再修復することとし、2008年3月4日に修復作業が行われ、頭部の下から賽銭25円が発見された。首が伸びた原因は、以前の修復時に設けた支柱に水が溜まり、になって斜めになり、その繰り返しで頭部が上昇したとされる。修復前に測定したところ、正面で4cm、左右は6~7cm上昇していた。

ギャラリー[編集]

アクセス[編集]

周辺[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 万治の石仏 - 下諏訪町
  2. ^ ただし、願主の明誉浄光と心誉廣春の2人は僧籍に見当たらない。

外部リンク[編集]

座標: 北緯36度4分58.57秒 東経138度4分54.98秒 / 北緯36.0829361度 東経138.0819389度 / 36.0829361; 138.0819389