一龍斎貞丈

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

一龍斎 貞丈(いちりゅうさい ていじょう)は、講釈師の名跡。元は昇龍斎貞丈といった。5代目以降一龍斎貞丈。

初代[編集]

後の4代目一龍斎貞山

3代目[編集]

後の6代目一龍斎貞山。

4代目[編集]

本名:安原 大次郎(やすはら だいじろう)、明治22年(1889年) - 昭和6年(1931年12月23日

東京の生まれ、亭号を昇龍斎として、昇龍斎貞丈と名乗った[1]3代目真龍斎貞水の子で3代目錦城斎典山の門弟の貞一から貞丈を襲名。5代目の師匠。

5代目[編集]

5代目貞丈(1955年)

本名:柳下 政雄(やぎした まさお)、三重県に生まれ、幼時から横浜に育った。 明治39年(1906年8月13日 - 昭和43年(1968年7月27日

  • 1906年8月13日、三重県に生まれる。早稲田実業在学中に講談師に憧れる。
  • 1925年、4代目昇龍斎貞丈に入門し、昇龍斎貞一を名乗る。
  • 1930年4月に真打昇進。
  • 1931年12月、師匠の急逝を受け、6代目一龍斎貞山の預かり弟子になる。
  • 1932年3月、5代目一龍斎貞丈を襲名。なお、屋号を「昇龍斎」から「一龍斎」に変えたのは、当時落語協会の会長までつとめて勢力をふるっていた、貞山にあやかるためだという[2]
  • 1963年芸術祭賞奨励賞受賞。
  • 1968年7月27日、脳溢血で急逝。

早稲田実業に学んだ、当時の講談界としては珍しいインテリであり新作の会も積極的に発表その数は百数十回を超える。

一龍斎貞鳳、子息の6代目一龍斎貞丈、人間国宝の6代目一龍斎貞水を育てた。

同時期に活躍した講釈師、5代目宝井馬琴は従兄弟に当たる。

また、実弟は落語家初代山遊亭金太郎である[3]

また、1952年に乗客乗員全員が死亡となったもく星号墜落事故で漫談家の大辻司郎が死去した時、貞丈も大辻と同じく「長崎市博覧会」に出演予定のためもく星号に搭乗予定であったが、仕事があって1日遅れの出発であったため、命拾いをしたという[4]

女性に非常にもてて、死去も、柳橋の粋筋での腹上死だという[5]

6代目[編集]

本名:柳下 基一(やぎした きいち)、横浜生まれ。父は5代目一龍斎貞丈。 昭和3年(1928年9月2日 - 平成15年(2003年10月1日。元講談協会会長、生前落語協会所属。法政大学商学科卒業。

脚注[編集]

  1. ^ ただし、木下華声「芸人紙風船」(大陸書房)によると、「伝統ある一方の旗頭の名跡『昇龍斎貞丈』の名前を、五代目が変えてしまった」とある。
  2. ^ 木下華声『芸人紙風船』P.99
  3. ^ 彼は、3代目三遊亭金馬の弟子であった。しかし、将来を嘱望されながら、25歳で死去した。木下華声『芸人紙風船』P.109
  4. ^ 木下華声『芸人紙風船』P.216
  5. ^ 木下華声『芸人紙風船』P.111