ヴワディスワフ・タチャノフスキ

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ヴワディスワフ・タチャノフスキ

ヴワディスワフ・タチャノフスキ(Władysław Taczanowski、1819年3月17日-1980年1月17日[note 1])は、ルブリン県ヤブウォンナ出身のポーランド人動物学者かつ博物学収集者で、極東ロシアおよび北アフリカの探検を行った。鳥類学が専門であるが、爬虫類クモ綱を含む他の分類の動物についての記述も多く行った[2]

人生[編集]

古いシュラフタマグナートの家系(タチャノフスキ家)の一員で、ポズナン地域の出身である。ヴワディスワフはルブリンで学び、父の死後は家の畑を維持した。その後、公務員となり、ラドム県の知事の特命ミッションに携わった。1855年からはワルシャワ大学博物館に勤め、他の博物館を回り始めた。1865年には、ベネディクト・ディボフスキィ及びビクター・グッドレウスキの東ロシアへの探検に参加した。1862年に、フェリクス・パヴェル・ヤロシキからキュレーター職を引き継いだ。1866年から1867年には、w:Antoni Wagaアルジェリア探検に参加し、Birds of Poland (1882) やOrnithology of Peru (1884-86)等の重要な著作を著した。彼は、コンスタンティン・ジェルスキーからカイエンヌの、カウンツ・アレクサンダーコンスタンティン・ブラニッキからから上ナイルのコレクションを受け取った。1875年以降、ジャン・ストルツマンがジェルスキーを継ぐと、継続して、南アメリカの標本を受け取った。1887年にクラクフ大学(現在のヤギェウォ大学)から名誉博士号を受けた[2]。1980年にワルシャワで死去した。

彼の名前に因んだ種の名前には、ハシナガシギダチョウ(Nothoprocta taczanowskii)、ペルーカイツブリ(Podiceps taczanowskii)、マウンテンパカ(Agouti taczanowskii)、ミナガミヒガイ(Ladislavia taczanowskii)、Tropidophis taczanowskyi等がある[3]

著作等[編集]

  • "Les Aranéides de la Guyane française," Horae Societatis entomologicae Rossicae (1871)
  • "Les Aranéides de la Guyane française," Horae Societatis entomologicae Rossicae (1873)
  • "Les Aranéides du Pérou. Famille des Attidés" (1879)
  • Ornithologie du Pérou (1884)

脚注[編集]

  1. ^ 死去を1月15日[1]生誕を3月1日としている文献もある

出典[編集]

  1. ^ “[Obituary”]. Mittheilungen des Ornithologischen Vereines in Wien 14: 3. (1890). https://www.biodiversitylibrary.org/page/32667587. 
  2. ^ a b Unknown (1890). “Obituary”. The Ibis. 6 2: 268-270. https://archive.org/details/ibis621890brit. 
  3. ^ Beolens, Bo; Watkins, Michael; Grayson, Michael (2011). The Eponym Dictionary of Reptiles. Baltimore: Johns Hopkins University Press. p. 260. ISBN 978-1-4214-0135-5