ヴャチェスラフ・ボリソフ

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ヴャチェスラフ・ニコラエヴィチ・ボリソフ
Вячеслав Николаевич Борисов
生誕 (1955-01-12) 1955年1月12日(63歳)
Flag of the Russian Soviet Federative Socialist Republic.svg ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国モスクワ州ルザ
所属組織 ロシア空挺軍
軍歴 1976年 -
最終階級 少将
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ヴャチェスラフ・ニコラエヴィチ・ボリソフロシア語: Вячеслав Николаевич Борисов, ラテン文字転写: Vyacheslav Nikolaevich Borisov1955年1月12日 - )は、ソビエト連邦ロシアの軍人。第76親衛空挺師団の師団長。

経歴[編集]

グルジア以前[編集]

モスクワ州ルザで生まれ、1976年にソビエト連邦軍に入隊。リャザン空挺軍大学を卒業し、空挺軍に配属された。順調に昇進を重ね、1990年にはM.V.フルンゼ名称軍事アカデミーを卒業した。1991年から95年までの間、トランスバイカル軍管区ウラン・ウデにて第11独立空挺旅団長を務めた。その後将官に昇進し、モスクワ軍管区の第2親衛自動車化狙撃師団の師団長を務めた[1]

グルジア[編集]

1998年ロシア連邦軍参謀本部アカデミーを卒業、アジャリア自治共和国バトゥミに第12軍事基地の司令官として赴任した。2003年1月4日、空挺訓練司令官代理となった[1]。2008年の南オセチア紛争勃発時には第76親衛空挺師団に所属していた。

南オセチア紛争[編集]

第76親衛空挺師団は駐屯地であるプスコフから第58軍への増援として派遣され、ツヒンヴァリの戦いに関与した。戦いに勝利した後、ゴリへ進軍、ボリソフは占領司令官となった[2]。政府、文民による統治機構の不在により、知事としての役割も果たすことになった[3]

2009年6月6日、モスクワのラジオ局モスクワのこだまのインタビューを受けて、南オセチア紛争での活躍は「紛争勃発一週間前に、正しくその地で演習を行っていたためである」と答えている[4]

紛争後[編集]

2009年、第76親衛空挺師団の師団長に就任した[5]

脚注[編集]

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  1. ^ a b Airborne Troops”. 2012年9月19日閲覧。
  2. ^ Eyewitness: Gori's combustible mix”. BBC. 2012年9月19日閲覧。
  3. ^ Stalin's birthplace a town ravaged by war”. The Sydney Morning Herald. 2012年9月19日閲覧。
  4. ^ Радиостанция "Эхо Москвы" / Передачи / Военный совет / Суббота, 06.06.2009: Вячеслав Борисов”. Radio Ekho Moskvy. 2009年6月6日閲覧。
  5. ^ Полковник Игорь Виноградский возглавит 76-ю десантно-штурмовую дивизию”. Псковское агентство информации. 2012年9月19日閲覧。

関連項目[編集]