ヴェネツィア条約
ヴェネツィア条約 | |
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署名 | 1177年 |
署名場所 | ヴェネチア |
締約国 | ローマ教皇アレクサンデル3世、ロンバルディア同盟、神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世、シチリア王国 |
ヴェネツィア条約(ヴェネツィアじょうやく、英: The Treaty or Peace of Venice)は、1177年に、ローマ教皇と同盟国、北イタリアの都市同盟であるロンバルディア同盟、神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世(赤髭王)との間で結ばれた平和条約である。ノルマン人のシチリア王国も交渉に参加して、それにより、条約において、その後の数年間のイタリアでの全ての政治進路が決められた。
この条約は、1176年5月29日に起きてフリードリヒ赤髭王が敗北したレニャーノの戦いの結果を踏まえたものだった。戦いの後、すぐにフリードリヒはアナーニにいたローマ教皇アレクサンデル3世に使節を送り、アレクサンドル3世と自らが擁立した対立教皇カリストゥス3世との分裂(シスマ)を解消するように要請した。予備協定が合意に達した後に、1177年7月の会合が計画された。フリードリヒは、対立した際に権力ある親帝国集団を確保することを期待して、ヴェネチアの対抗勢力に暫定的に干渉した。
7月24日、教皇は、サン・マルコ寺院から、ヴェネツィアの潟の入り口にあるリードにいた皇帝に対し枢機卿の代表団を派遣した。会合でフリードリヒは正式にアレクサンドル3世を教皇として認め、自らが擁立した対立教皇を廃し、枢機卿の代表団は正式にフリードリヒにかけられていた破門を解いた。ヴェネチアのドージェのセバスティアーノ・ジアニ、アクイレイア大司教のウルリッヒ2世がヴェネチアで皇帝に付き添った。シチリア王国代表は、この場面の目撃証言を残したサレルノ大司教のロムアルド・グアナ、アンドリアのロジャー伯爵だった。
条約では、皇帝がローマにおける教皇の世俗的権利を認めたが、ローマは教皇に屈服せず、教皇は1179年に退去を余儀なくされた。また、フリードリヒとシチリア王グリエルモ2世との間で15年の平和が締結され、シチリアにおける平和と繁栄の黄金時代への道が開かれた。同様に、ロンバルディア同盟との間に6年の休戦が締結され、一方で、交渉は続き、最終的にフリードリヒは1183年のコンスタンツの和議でロンバルディアの独立を認めた。
関連項目
[編集]出典
[編集]- The treaty itself: text at Yale Law School and the Internet Medieval Sourcebook.
- Norwich, John Julius. The Kingdom in the Sun 1130-1194. Longman: London, 1970.