ヴィンコ・グロボカール

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ヴィンコ・グロボカール
Vinko Globokar
GlobokarVinko.JPG
2006年。撮影en:User:Sl-Ziga
基本情報
生誕 (1934-07-07) 1934年7月7日(83歳)
フランスの旗 フランス、Anderny
出身地 フランスの旗 フランス
ジャンル アバンギャルド、実験音楽
職業 トロンボーン奏者
作曲家、指揮者

ヴィンコ・グロボカールVinko Globokar, 1934年7月7日 - )は、スロベニアフランス人のアバンギャルド作曲家トロンボーン奏者、指揮者

グロボカールの作品は型にはまらないextended technique(超技術、en:Extended technique)の使用が特徴的で、同世代の作曲家ではサルヴァトーレ・シャリーノヘルムート・ラッヘンマンと密接な関係を持っている。しかし、シャリーノやラッヘンマンと違って、グロボカールは自発性と創造力を重要視していて、即興を必要とすることも多い。多作ではあるが、実験音楽の世界以外ではグロボカールの名はあまり知られていない。

一方、トロンボーン奏者としては、自作の他、ルチアーノ・ベリオマウリシオ・カーゲルカールハインツ・シュトックハウゼンルネ・レイボヴィッツ武満徹の作品の初演をしている。

経歴[編集]

グロボカールはフランスのムルト=エ=モゼル県 Andernyに生まれた。1947年ユーゴスラビアに移り、そこで1955年までジャズ・トロンボーン奏者として演奏し、それからパリ国立高等音楽院で勉強するためにパリに移った。学校ではルネ・レイボヴィッツアルノルト・シェーンベルクの弟子の1人)から作曲を、アンドレ・ラフォス(André Lafosse)からトロンボーンを学んだ。1965年にはベルリンに移り、ルチアーノ・ベリオの下で作曲を学んだ。グロボカールは後にベリオの『セクエンツァV』を初演している。

1960年代後半、グロボカールはオペラ『Aus den Sieben Tagen(7つの日から)』で作曲者カールハインツ・シュトックハウゼンと仕事をし、さらに、フリー・インプロヴィゼーション・グループ、ニュー・フォニック・アートNew Phonic Art)を(共同で)結成した。1967年から1976年にかけて、グロボカールはケルンの音楽学校で教鞭を取った。1974年、グロボカールは楽器・声楽研究のディレクターとしてIRCAMに参加した。

IRCAMを去った後は、ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団東京フィルハーモニー交響楽団フィンランド放送交響楽団ケルンWDR交響楽団エルサレム交響楽団など、多くのオーケストラで指揮をした。1980年から2000年まで、フィレンツェフィエゾーレ音楽院で20世紀音楽演奏の監督をしている。現在はベルリンに住んでいる。

音楽のスタイル[編集]

グロボーカルの音楽は、自発性、エネルギー、型破りな楽器な作曲技術の斬新な使用が特色である。その作品は、ジャズやフリー・インプロヴィゼーションというグロボカールの背景を反映して、不確定で即興的である。グロボカールの音色の範囲は非常に多様で、その作品はextended techniquesのあっと言わせるようなものの連続である。たとえば、ソロ・パーカッションのための作品『Toucher』では、演奏者はずらりと並べたパーカッションで音節パターンを演奏しながら、同時に物語を語る。

ヘルムート・ラッヘンマンサルヴァトーレ・シャリーノアーサー・カンペラといった作曲家たちの仕事に、さらにアンソニー・ブラクストンen:Anthony Braxton)の最近の作品に、グロボカールの音楽世界の影響は感じられるかも知れない。

参考文献[編集]

  • Allied Artists. [1] Allied Artists: Vinko Globokar, URL accessed on January 7, 2008.
  • 季刊InterCommunication 26号 [2] ■60年代には私も「われわれ」と言いました。しかしいまは「私」としか言いません。……ヴィンコ・グロボカール/後藤國彦[聞き手]

外部リンク[編集]