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ヴィクトリア・マルガレーテ・フォン・プロイセン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヴィクトリア・マルガレーテ
Viktoria Margarete
ホーエンツォレルン家

全名
出生 (1890-04-17) 1890年4月17日
ドイツの旗 ドイツ国
プロイセン王国の旗 プロイセン王国ポツダム
死去 (1923-09-09) 1923年9月9日(33歳没)
ドイツの旗 ドイツ国、クライン・グリーニケ城
埋葬 ドイツの旗 ドイツ国、グリーニケ城内霊廟
配偶者 ハインリヒ33世
子女 マリー・ルイーゼ
ハインリヒ2世
父親 フリードリヒ・レオポルト・フォン・プロイセン
母親 ルイーゼ・ゾフィー・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=アウグステンブルク
宗教 キリスト教ルーテル教会
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ヴィクトリア・マルガレーテ・フォン・プロイセンViktoria Margarete Prinzessin von Preußen, 1890年4月17日 - 1923年9月9日)は、ドイツプロイセンの王族。

生涯

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プロイセン王子フリードリヒ・レオポルトとその妻でシュレースヴィヒ=ホルシュタイン公フリードリヒ8世の娘ルイーゼ・ゾフィーの間の第1子、長女として生まれた[1]。全名はヴィクトリア・マルガレーテ・エリーザベト・マリー・アーデルハイト・ウルリーケ(Viktoria Margarete Elisabeth Marie Adelheid Ulrike)。

父方の祖父母はプロイセン王子フリードリヒ・カールとアンハルト公女マリア・アンナ、母方の祖父母はシュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=アウグステンブルク公爵家の家長フリードリヒ8世とホーエンローエ=ランゲンブルク侯女アーデルハイト。弟にフリードリヒ・ジギスムントフリードリヒ・カール、フリードリヒ・レオポルトがいる。母の長姉アウグステ・ヴィクトリアはドイツ皇帝・プロイセン王ヴィルヘルム2世の皇后だったため、ヴィルヘルム2世の義理の姪にあたった。

プロイセン王女ヴィクトリア・マルガレーテとロイス=ケストリッツ侯子ハインリヒ33世(1913年)

1913年5月17日にポツダムの新宮殿において、ハインリヒ33世・ロイス・ツー・ケストリッツと結婚した。夫はロイス=ケストリッツ侯子ハインリヒ7世とザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公女マリー夫妻の次男で、ヨーロッパで最も古い歴史を持つ王侯の1つであるロイス家の一員だった。結婚式の際は皇帝ヴィルヘルム2世に腕を支えられてヴァージンロードを歩いた[2]。夫妻は間に1男1女をもうけたが、1922年に離婚した。

まもなく従弟のアウグスト・ヴィルヘルム王子との再婚話が持ち上がったが、翌1923年にインフルエンザで急死した。 グリーニケ城ドイツ語版の霊廟に葬られた。

子女

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  • マリー・ルイーゼ・フリーデリケ・ヴィクトリア・ヴィルヘルミーナ・レナータ・シャルロッテ(1915年 - 1985年) - 1941年にエーリヒ・タイゼンと結婚(1946年離婚)、1954年にアレクサンダー・ボディと再婚(1956年離婚)
  • ハインリヒ2世(1916年 - 1993年)

系譜

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脚注

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  1. ^ Lundy, Darryl. “The Peerage: Viktoria Margarete Elisabeth Marie Ulrike Prinzessin von Preußen”. 15 January 2010閲覧。
  2. ^ “Royal Weddings”, The Washington Post, (10 May 1914) 

外部リンク

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