ヴィクトリアス (空母)

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ヴィクトリアス
HMS VICTORIOUS underway at near Scapa Flow, 28 October 1941. A6153.jpg
竣工当時の「ヴィクトリアス(HMS Victorious)」
基本情報
建造所 スワン・ハンタータイン造船所
運用者 イギリス海軍
艦種 航空母艦
級名 イラストリアス級航空母艦
艦歴
発注 1936年
起工 1937年5月4日
進水 1939年9月14日
就役 1941年3月29日
退役 1968年3月13日
除籍 1968年
その後 1969年にスクラップとして廃棄
要目
排水量 竣工時:29,500 トン
改装後:35,500 トン
全長 竣工時:225 m
改装後:230 m
最大幅 竣工時:29 m
改装後:31.4 m
吃水 竣工時:8.5 m
改装後:9 m
機関 蒸気タービン
推進 3軸
出力 111,000 shp
最大速力 30.5 ノット (57 km/h)
航続距離 11,000カイリ/14ノット時
乗員 士官、兵員2,200 名
兵装 連装4.5インチ砲8基
2ポンド(40口径)8連装ポムポム砲6基
40mm対空砲21基
20mm機銃45基
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ヴィクトリアス (HMS Victorious, R38) は、イギリス海軍航空母艦イラストリアス級航空母艦の2番艦[1]ヴィクトリアスの艦名をもつ軍艦としては4代目[注釈 1]

概要[編集]

空母ヴィクトリアスは、イギリス海軍が第二次世界大戦で運用した正規空母で、イラストリアス級の2番艦。1941年(昭和16年)3月末に竣工し、5月下旬にはビスマルク級戦艦1番艦のビスマルク追撃作戦に参加する[2]。5月25日、ヴィクトリアスから発進したソードフィッシュ9機がビスマルクを襲い、魚雷1本を命中させた[3](損害軽微)[4]。 1942年(昭和17年)初頭にはソ連向け援助船団の護衛に加わる。3月、ビスマルク級2番艦ティルピッツを本艦のアルバコア12機が雷撃したが、1本も命中しなかった[5]PQ17船団の間接護衛部隊にも加わっていたが[6]、同船団は大損害を受ける[7]。その後、地中海戦域ペデスタル作戦トーチ作戦などに従事した。

1942年(昭和17年)末、太平洋日本海軍と激戦を繰り広げていたアメリカ海軍は、艦隊型空母の不足に苦しんでいた[8]。ヴィクトリアスはアメリカ海軍に貸与され、1943年(昭和18年)初頭より太平洋戦線に転戦する。空母サラトガ等と共に、ソロモン諸島における中部ソロモン諸島攻防戦に参加した。その後、エセックス級航空母艦インディペンデンス級航空母艦の配備が進み、ヴィクトリアスは大西洋に戻った。

1944年(昭和19年)4月3日のタングステン作戦におけるヴィクトリアスは、空母フューリアス護衛空母と共に、ノルウェーアルタフィヨルドに潜む戦艦ティルピッツバラクーダ等で攻撃し、損傷を与えた[9]。その後も5月末まで幾度かティルピッツを攻撃したが、天候不良等で有効な攻撃を行えなかった(ティルピッツに対する一連の攻撃英語版[10]。 太平洋戦争末期には再び太平洋に転戦し、太平洋艦隊英語版に所属して沖縄戦に参加した。特攻機に突入されたが、沈没には至っていない[8]。第二次世界大戦終結後、1950年代に改装されジェット機運用能力を得た。1968年に除籍。

設計[編集]

搭載機変遷
時期 機数 搭載機
1941年2月 9機 第825飛行隊(ソードフィッシュ×9)
1941年5月 15機 第800ZFlight(フルマーⅡ×6)
第825飛行隊(ソードフィッシュ×9)
1941年6月 12機 第820飛行隊(ソードフィッシュ×12 ※アルバコア×12に機種転換)
1941年7月 42機 第809飛行隊(フルマー×12)
第817飛行隊(アルバコア×9)
第827飛行隊(アルバコア×12)
第828飛行隊(アルバコア×9)
1941年8月 23機 第802BFlight(マートレットⅢ×2)
第817飛行隊(アルバコア×9)
第832飛行隊(アルバコア×12)
1941年11月 23機 第802BFlight(マートレットⅢ×2)
第817飛行隊(アルバコア×9)
第820飛行隊(アルバコア×12)
1942年6月 6機 第885飛行隊(シーハリケーン×6)
1942年7月 6機 第884飛行隊(フルマー×6)
1942年8月 6機 第809飛行隊(フルマー×6)
1942年8月 38機 第809飛行隊(フルマー×12)
第817飛行隊(アルバコア×11 ※内9機未搭載)
第832飛行隊(アルバコア×12)
第884飛行隊(フルマー×6)
第885飛行隊(シーハリケーン×6)
1942年9月 6機 第884飛行隊(シーファイア×6)
1942年10月 12機 第882飛行隊(ワイルドキャット×12)
1943年1月 15機 第832飛行隊(アベンジャー×15)
1943年2月 18機 第896飛行隊(ワイルドキャット×6)
第898飛行隊(ワイルドキャット×12)
1943年5月 51機 第832飛行隊(ターポンⅠ×15 ※アベンジャー)
第882飛行隊(ワイルドキャットⅣ×12)
第896飛行隊(ワイルドキャット×12)
第898飛行隊(ワイルドキャット×12)
1944年2月 26機 第829飛行隊(バラクーダ×12)
第1834飛行隊(コルセア×14)
1944年3月 14機 第1836飛行隊(コルセア×14)
1944年4月 49機 第827飛行隊(バラクーダⅡ×9)
第829飛行隊(バラクーダⅡ×12)
第1834飛行隊(コルセアⅡ×14)
第1836飛行隊(コルセアⅡ×14)
1944年5月 12機 第831飛行隊(バラクーダ×12)
1944年7月 39機 第1834飛行隊(コルセアⅡ×14)
第1836飛行隊(コルセアⅡ×14)
第1838飛行隊(コルセアⅡ×11)
1944年8月 49機 第822飛行隊(バラクーダ×21)
第1834飛行隊(コルセアⅡ×14)
第1836飛行隊(コルセアⅡ×14)
1944年9月 48機 第822飛行隊(バラクーダ×12)
第1834飛行隊(コルセアⅡ×18)
第1836飛行隊(コルセアⅡ×18)
1944年10月 37機 第1834飛行隊(コルセアⅡ×19)
第1836飛行隊(コルセアⅡ×18)
1944年11月 57機 第849飛行隊(アベンジャー×19)
第1700飛行隊(ウォーラスSAR×2)
第1834飛行隊(コルセアⅡ×18)
第1836飛行隊(コルセアⅡ×18)
1945年1月 55機 第849飛行隊(アベンジャーⅡ×19)
第1700飛行隊(ウォーラスSAR×2)
第1834飛行隊(コルセアⅡ×18)
第1836飛行隊(コルセアⅡ×16)
1945年2月 53機 第849飛行隊(アベンジャーⅡ×14)
第1700飛行隊(ウォーラスSAR×2)
第1834飛行隊(コルセアⅡ×19)
第1836飛行隊(コルセアⅡ×18)
1945年7月 55機 第849飛行隊(アベンジャーⅡ×16)
第1700飛行隊(ウォーラスSAR×2)
第1834飛行隊(コルセアⅡ・Ⅳ×19)
第1836飛行隊(コルセアⅡ・Ⅳ×18)

艦歴[編集]

ビスマルク追撃戦[編集]

1941年(昭和16年)3月29日、ヴィクトリアスは竣工した。 5月、ドイツ海軍ライン演習作戦を発動した。 5月20日昼すぎ[11]スウェーデン海軍の軽巡ゴトランド (HMS Gotland) がカテガット海峡ナチス・ドイツ海軍の戦艦ビスマルク (Bismarck) および護衛部隊と遭遇して母国に伝達[12][13]、その情報はイギリスに伝えられた[14]5月22日リュッチェンス提督が指揮するビスマルク級戦艦の1番艦ビスマルクと重巡洋艦プリンツ・オイゲン (Prinz Eugen) がノルウェー西岸のベルゲンを出撃、アイスランド北方を迂回してデンマーク海峡を通過するコースを選択した[15]。イギリス海軍は、スピットファイアの航空偵察でベルゲン周辺のフィヨルドに停泊中のビスマルクとプリンツ・オイゲンを捕捉した[16]オークニー諸島スカパ・フロー所在の本国艦隊司令長官ジョン・トーヴィー大将は、ヴィクトリアス艦長ヘンリー・セシル・ボーヴェル大佐を呼びだして艦上攻撃機ソードフィッシュ (Fairey Swordfish) による奇襲を検討したが、パイロット達の未熟さと経験不足で断念した[17]。ヴィクトリアスは戦闘機ハリケーン (Hawker Hurricane) をマルタ島に輸送する任務を帯び、巡洋戦艦レパルス (HMS Repulse) と共にイギリスを出発する予定だったが、全て取り消された[2]

ランスロット・ホランド英語版中将が指揮する巡洋戦艦フッド (HMS Hood) と新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズ (HMS Prince of Wales) および随伴駆逐艦が先行してスカパ・フローからアイスランド方面に出撃したあと[18]、トーヴィ―提督も直率部隊(旗艦キング・ジョージ5世、巡洋戦艦レパルス〈途中合流〉、空母ヴィクトリアス、軽巡ガラティアハーマイオニーケニアオーロラ、随伴駆逐艦)を率いてスカパ・フローを出撃した[2][19]5月24日午前5時50分から始まったデンマーク海峡海戦でイギリス海軍が敗退したとき、トーヴィ提督直率部隊はリュッチェンス部隊(ビスマルク、オイゲン)より南東360マイル地点にあった[20][21]。トーヴィ―提督はビスマルクの機動力を奪うために、ヴィクトリアスの艦上攻撃機による魚雷攻撃を選択した[22]アルバン・カーティス英語版少将(旗艦ガラテイア)を指揮官とする臨時部隊(空母ヴィクトリアス、巡洋艦4隻)が編成され、ビスマルク攻撃にむかった[23]

24日午後10時、ヴィクトリアスは荒れ模様の天候下でソードフィッシュ9機を発進させた[24]。雷撃隊はビスマルク追跡部隊3隻(戦艦プリンス・オブ・ウェールズ、重巡サフォークノーフォーク)と接触し[25]、ビスマルクの方位を教えてもらった[26][注釈 2]。 同24日午後11時30分ころでも、周囲は昼間のように明るかったという[28]5月25日の日付変更直後、ソードフィッシュ9機はビスマルクの対空砲火に晒されながら雷撃を敢行した[29][30][注釈 3]。ビスマルクは攻撃を巧みに回避したが、右舷中央部に魚雷1本が命中した[32]。魚雷は水面近くの装甲帯に命中し、被害は軽微であった[31]。ただし、回避行動や高速航行で砲撃戦でうけた水線下の損傷が拡大し、2番ボイラー室が浸水により満水状態になった[33]。艦首でも応急修理箇所で浸水が拡大し、沈下が進んだ[34]。また魚雷の爆風で艦上にいた1名が戦死し、5名が負傷した[35]。これがビスマルクでの最初の戦死者であった[34]

ソードフィッシュ9機は全機健在のまま雷撃を終了し、母艦への帰路についた[3]。25日午前2時、全機がヴィクトリアスへの夜間着艦に成功した[36]。ただし触接の艦上戦闘機フルマー (Fairey Fulmar) 2機は母艦に帰投できず、不時着して乗組員は通りかかった船に救助された[36]。 このあとサフォーク等はビスマルクを見失い、ヴィクトリアスが放った偵察機(フルマー)もビスマルクを発見できなかった[37]。早朝に予定していたヴィクトリアスの第二次攻撃は延期された[37]。さらに索敵に投入したソードフィッシュ7機のうち、1機が帰投しなかった[38][注釈 4]。またイギリス側の判断ミスで、各艦は見当違いの方向を捜索した[40]

1941年6月以降[編集]

ビスマルクが沈んだあと、ヴィクトリアスはスコットランドクライド海軍基地に短時間滞在した[41]地中海戦線に投入予定のハリケーン戦闘機を多数搭載し、5月31日に出港する[41]。W58X船団と共にイギリスからジブラルタルへ向かった。その途中、ヴィクトリアス搭載機がドイツ船ゴンツェンハイム (Gonzenheim) を発見した。ゴンツェンハイムは軽巡洋艦ネプチューン (HMS Neptune, 20) が葬った[42]。ジブラルタル到着後、ヴィクトリアスはH部隊の空母アーク・ロイヤル (HMS Ark Royal, 91) や巡洋戦艦レナウン(HMS Renown) などと共に、マルタへの戦闘機輸送 (Club Run) に従事した(トレイサー作戦)。

1941年(昭和16年)7月、空母フューリアス (HMS Furious, 47) と共にノルウェーキルケネスと、フィンランドペツァモに対する空襲を行う(EF作戦)。続いて8月23日にスカパ・フローから出撃しアルハンゲリスクへ向かい船団の護衛に従事する。船団護衛後、9月3日にハンメルフェスト空襲を試みるが、これは断念された。ヴィクトリアスはアルハンゲリスクへの戦闘機輸送中の軽空母アーガス (HMS Argus, I49) を護衛した後、9月12日にヴェストフィヨルドでの船舶攻撃を実施し戦果をあげた。9月13日、スカパ・フローに帰投。

1942年[編集]

1942年(昭和17年)3月6日、ビスマルク級戦艦2番艦のティルピッツ (Tirpitz) がPQ12船団を撃滅するため、ノルウェー西岸のトロンドヘイムを出撃して北上を開始した[43][44]。戦艦キング・ジョージ5世(トーヴィ提督旗艦)[45]、空母ヴィクトリアス、重巡バーウィック (HMS Berwick, 65) 、随伴駆逐艦も、ソ連向け援助船団の護衛とティルピッツ追跡に投入された[46]3月9日[47]、ヴィクトリアスの艦上攻撃機アルバコア (Fairey Albacore) 12機はロフォーテン諸島沖でティルピッツを攻撃する[48]。投下した魚雷は全て回避され、アルバコア2機が失われた[49][50]。ティルピッツと護衛部隊はナルヴィクに入港し、つづいてトロンドヘイムに戻った[51][注釈 5]

6月末、連合国軍のソ連向け援助船団PQ17はアイスランドを出撃した[55]。本国艦隊司令長官トーヴィー提督が率いる英戦艦デューク・オブ・ヨーク (HMS Duke of York, 17) 、米戦艦ワシントン (USS Washington, BB-56) 、空母ヴィクトリアス、巡洋艦3隻と駆逐艦部隊の間接護衛部隊がノルウェー海を行動する[6]。イギリス海軍本部はティルピッツ以下のドイツ艦隊の脅威を過大評価し、7月4日夜にPQ17船団を分散させ、護衛部隊も帰投した[56]。このため、連合国軍輸送船はUボートドイツ空軍爆撃機で大損害を受けた[7]。本国艦隊はPQ17船団の悲劇を防ぐことが出来ず、スカパ・フローに帰投した[57]

ティルピッツを取り逃がしたヴィクトリアスは、地中海戦線に投入された。マルタに対する補給作戦(ペデスタル作戦)、北アフリカ上陸作戦(トーチ作戦)などに参加した。ペデスタル作戦では枢軸国空軍の爆撃により爆弾1発が飛行甲板に命中したが、装甲が弾き返して事なきを得た[58]。1942年末になると、第二次世界大戦の主導権が連合国軍に移ったことが明確になった[59]

1942年末から1943年[編集]

1942年(昭和17年)11月中旬の第三次ソロモン海戦で勝利したアメリカ軍は、ガダルカナル島攻防戦で完全に優位にたった[60]。だが幾度も生起した海戦により、残存正規空母は3隻(サラトガレンジャーエンタープライズ)に減少した[8][61]。米空母エンタープライズ (USS Enterprise, CV-6) は作戦行動可動だったが、ドッグ入りと修理が必要だった[62][注釈 6]大西洋艦隊配備の米空母レンジャー (USS Ranger,CC-4) は防御力に不安を抱えており[64]、苛烈な太平洋戦線への投入を躊躇せざるを得なかった[62]太平洋艦隊の可動空母がサラトガ (USS Saratoga, CV-3) 単艦という事態に、アメリカ海軍はエンタープライズの代艦としてイギリス空母1隻の太平洋派遣を要請する[62]。白羽の矢がたったのがヴィクトリアスであった[62]

12月20日、ヴィクトリアスはアメリカ海軍に加わるためグリーノックからアメリカへ向け出港した[65]。途中バミューダに立ち寄り、1943年(昭和18年)1月1日にヴァージニア州ノーフォークに到着した[65]。そこで若干の改修がなされ、2月にヴィクトリアスは太平洋へ向け出発[66]パナマ運河を通過して3月4日に真珠湾に着いた[67]。その途中、1機の艦上攻撃機アヴェンジャー (Grumman TBF Avenger) が衝突し火災が発生するという事故があった[67]

日本軍はガダルカナル島撤収作戦(ケ号作戦)を発動してガダルカナル島から撤退し[68][69]、ソロモン諸島においてはニュージョージア諸島ブーゲンビル島に防衛線を構築しようとした[70][71]。これに対し、連合軍はカートホイール作戦を準備し、ブーゲンビル島やニューブリテン島ラバウル攻略の前段階として、ニュージョージア島を占領して飛行場を建設することにした[72]

ヴィクトリアスは5月8日に米戦艦ノースカロライナ (USS North Carolina, BB-55) 、駆逐艦3隻とともに真珠湾を離れ、5月24日にヌーメアに到着した[67]。6月には大型空母サラトガなどとともに第36.3任務群として出撃し、ソロモン諸島での上陸作戦を援護した[67]。日本海軍の基地航空部隊ブカ島ブインの飛行場から攻撃隊を発進させ、ガ島のヘンダーソン飛行場基地ルッセル諸島の基地[73]、ルンガ沖の連合軍輸送船団を攻撃する[74]。米機動部隊、連合軍輸送船団、水上艦部隊は殆ど損害を受けなかった(ルンガ沖航空戦[75]

カートホイール作戦は6月下旬に発動され[76]ニュージョージア島の戦いが始まる[77]。連合軍機はソロモン諸島、ニューブリテン島ニューアイルランド島の日本軍航空基地に終夜攻撃を加えた[78]。ニュージョージア島やコロンバンガラ島を巡って幾度も海戦が起きたが、連合国軍は損害を出しつつもニュージョージア諸島に橋頭堡を築き、航空優勢下で進撃を続けた[79][注釈 7]。 ヴィクトリアスは7月末にはヌーメアを離れ、真珠湾、サンディエゴ、パナマ運河経由で9月1日にノーフォークに到着した[67]。そこでドック入りした後イギリスへ向かい9月26日に到着した[67]。ヴィクトリアスはイギリス海軍からアメリカ海軍に貸し出された唯一の艦船であった[要出典]

1944年[編集]

1944年(昭和19年)3月、ヴィクトリアスは英戦艦アンソン (HMS Anson,79) やデューク・オブ・ヨーク (HMS Duke of York,17) などの僚艦と共に、JW58船団の間接護衛をおこなった。4月から5月にかけて、本艦は空母フューリアス (HMS Furious, 47) および護衛空母4隻と共に、ノルウェーのアルタフィヨルドに停泊するビスマルク級戦艦2番艦ティルピッツに対する一連の空襲に参加した英語版[10]。最初の攻撃は、タングステン作戦と命名されていた[81]。爆弾装備のバラクーダ (Fairey Barracuda) がティルピッツを爆撃し、艦上戦闘機(コルセアヘルキャットワイルドキャット)がドイツ空軍の戦闘機をひきつけたり、ティルピッツを機銃掃射して対空火器を破壊するという計画だった[82]。 4月3日の空襲で、ティルピッツに1600ポンド爆弾4発(不発1)、500ポンド爆弾10発が命中し、至近弾多数も確認された[9]。同艦の人的損害は戦死122名、負傷316名に達した[83]。負傷者には艦長も含まれていた[83]。ティルピッツは数カ月の修理を要する被害を受け、ヒトラーやドイツ軍上層部はティルピッツの出撃を禁止する[84]デーニッツ海軍総司令官はこれを機にティルピッツを浮き砲台に改造することにした[84]

イギリス軍はティルピッツを葬るために空母機動部隊による幾度かの作戦を実施した[85]。4月24日、空母2隻(ヴィクトリアス、フューリアス)と護衛空母4隻でプラネット作戦を発動したが、天候不良のため出撃中止になった[86]。5月15日、空母2隻(ヴィクトリアス、フューリアス)の攻撃隊がティルピッツ上空に侵入したが、雲に隠されており攻撃中止となった(ブラウン作戦)[87]。5月28日、再び空母2隻で攻撃計画が練られたが、悪天候のため中止された(タイガー・クロー作戦)[88]。結局、艦上攻撃機によってティルピッツを撃沈することは出来なかった[89]。最終的に、ティルピッツはランカスター爆撃機が投下したトールボーイによって沈没した[90]

1945年以降[編集]

第二次世界大戦末期には、太平洋艦隊英語版に転籍し、再び太平洋戦線に投入された。イギリス海軍の艦艇として沖縄戦で日本軍の特攻機の攻撃を受けたが、戦艦のそれに匹敵する76ミリ厚の装甲が功を奏し14名が戦死したものの、沈没は逃れた。復旧に約1か月を要した[58]

改装後の「ヴィクトリアス」(1959年撮影)。
艦橋上部に設置されたサーチライト状の構造物は、984型レーダーのアンテナ。

大戦終結後の1947年には予備役に編入されたが、1950年から1958年にかけてジェット機に対応する為の近代化改装を受け、アングルド・デッキ蒸気カタパルトなどの装備を追加している。東洋艦隊に所属した事もあり、日本にも来航している。

1967年の火災事故がきっかけとなり、1968年には除籍されスクラップとして売却された。


最後にヴィクトリアスが搭載した艦載機は次の通り

出典[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 初代はカローデン級戦列艦ヴィクトリアス。2代目はスウィフトシャー級戦列艦ヴィクトリアス。3代目はマジェスティック級戦艦ヴィクトリアス。4代目が本艦。5代目はヴァンガード級原子力潜水艦ヴィクトリアス
  2. ^ プリンツ・オイゲンが分離したので、ビスマルクは単艦で航行していた[15][27]
  3. ^ ビスマルクの乗組員達は、雷撃機と爆撃機 計27機に襲われ、対空砲火で5機を撃墜したと信じていた[31]
  4. ^ このソードフィッシュの搭乗員3名は救助され、生還した[39]
  5. ^ ティルピッツ部隊の行動[52]:3月9日16時20分、ナルヴィク着。3月12日23時、ナルヴィク発[53]。3月13日21時、トロンドヘイム着[54]
  6. ^ エンタープライズは10月26日の南太平洋海戦で250kg爆弾2発命中と至近弾1発をうけて中破、前線で修理を受けた状態で作戦行動を続けていた[63]
  7. ^ 1943年(昭和18年)7月に中部ソロモン諸島を巡って生起した代表的な海戦は、クラ湾夜戦、ブイン空襲、コロンバンガラ島沖海戦など[80]

脚注[編集]

  1. ^ 福井、世界空母物語 2008, p. 68第2表 アーク・ロイアル以後の英空母(第二次大戦までの計画)
  2. ^ a b c ヨーロッパ列強戦史 2004, p. 142.
  3. ^ a b ヨーロッパ列強戦史 2004, p. 152.
  4. ^ ビスマルクの最期 1982, p. 412.
  5. ^ ティルピッツを撃沈せよ 1980, p. 461a海軍航空隊およびイギリス空軍によるティルピッツ攻撃(1942年1月より1944年11月まで)/1942年3月〈ヴィクトリアス〉
  6. ^ a b ヨーロッパ列強戦史 2004, p. 164.
  7. ^ a b ヨーロッパ列強戦史 2004, p. 172.
  8. ^ a b c 福井、世界空母物語 2008, pp. 119-121英国の空母
  9. ^ a b ティルピッツを撃沈せよ 1980, p. 373(1944年4月3日、ティルピッツ被害図)
  10. ^ a b ティルピッツを撃沈せよ 1980, p. 462a海軍航空隊およびイギリス空軍によるティルピッツ攻撃(1942年1月より1944年11月まで)/1944年4月3日~5月28日〈ヴィクトリアス〉〈ヒュリアス〉ほか
  11. ^ 巨大戦艦ビスマルク 2002, pp. 130-131.
  12. ^ ビスマルクの最期 1982, pp. 22-24.
  13. ^ ヨーロッパ列強戦史 2004, p. 139.
  14. ^ 巨大戦艦ビスマルク 2002, pp. 132-135(9)情報はイギリス海軍省に
  15. ^ a b 巨大戦艦ビスマルク 2002, pp. 12-13(ライン演習作戦海戦図)
  16. ^ 戦艦ビスマルクの最期 1982, p. 66.
  17. ^ 戦艦ビスマルクの最期 1982, p. 67.
  18. ^ 戦艦ビスマルクの最期 1982, pp. 69-70.
  19. ^ 戦艦ビスマルクの最期 1982, p. 78.
  20. ^ 戦艦ビスマルクの最期 1982, pp. 174-175.
  21. ^ ヨーロッパ列強戦史 2004, pp. 146-147ビスマルクの追跡図-1(1941年5月23日午後7時22分~24日午前8時)
  22. ^ 戦艦ビスマルクの最期 1982, p. 178.
  23. ^ 戦艦ビスマルクの最期 1982, p. 179.
  24. ^ 戦艦ビスマルクの最期 1982, pp. 200-202.
  25. ^ 戦艦ビスマルクの最期 1982, p. 207.
  26. ^ ヨーロッパ列強戦史 2004, p. 151.
  27. ^ 巨大戦艦ビスマルク 2002, pp. 210-219(16)プリンツ・オイゲンとの離別
  28. ^ 巨大戦艦ビスマルク 2002, pp. 224-230(18)ソードフィッシュ雷撃機隊との死闘
  29. ^ 戦艦ビスマルクの最期 1982, p. 208.
  30. ^ 巨大戦艦ビスマルク 2002, p. 225.
  31. ^ a b 戦艦ビスマルクの最期 1982, p. 213.
  32. ^ 巨大戦艦ビスマルク 2002, p. 227.
  33. ^ 巨大戦艦ビスマルク 2002, p. 229.
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参考文献[編集]

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  • (10)グリーンランド沖の大捕物/(11)船団PQ17の悲劇
  • ルードヴィック・ケネディ 著、内藤一郎 訳『戦艦ビスマルクの最期』早川書房〈ハヤカワ文庫〉、1982年9月。ISBN 4-15-050082-7
  • 世界の艦船増刊第71集 イギリス航空母艦史」(海人社
  • 「世界の艦船増刊第80集 航空母艦全史」(海人社)
  • 福井静夫『新装版 福井静夫著作集 ― 軍艦七十五年回想第三巻 世界空母物語』阿部安雄、戸高一成編、光人社、2008年8月。ISBN 978-4-7698-1393-4
  • レオンス・ペイヤール 著、長塚隆二 訳『戦艦ティルピッツを撃沈せよ』早川書房〈ハヤカワ文庫〉、1980年2月。ISBN 4-15-050055-X
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 南東方面海軍作戦<3> ガ島撤収後』第96巻、朝雲新聞社、1976年8月。
  • ブルカルト・フォン・ミュレンハイム=レッヒベルク 著、佐和誠 訳『巨大戦艦ビスマルク 独・英艦隊、最後の大海戦』早川書房〈ハヤカワ文庫〉、2002年7月。ISBN 4-15-050269-2
  • 歴史群像編集部編『アメリカの空母 対日戦を勝利に導いた艦隊航空兵力のプラットフォーム』学習研究社〈歴史群像太平洋戦史シリーズ Vol.53〉、2006年2月。ISBN 4-05-604263-2
  • Neil McCart, The Illustrious & Implacable Classes of Aircraft Carrier 1940-1969, Fan Publications, 2000, ISBN 1-901225-04-6
  • Jurgen Rohwer, Chronology of the War at Sea 1939-1945, Naval institute press, 2005, ISBN 1-59114-119-2
  • BRITISH AND EMPIRE WARSHIPS OF THE SECOND WORLD WAR(Naval Institute Press)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]