ヴァージニア・アプガー

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ヴァージニア・アプガー
(Virginia Apgar)
Virginia Apgar.jpg
生誕 1909年6月7日
ニュージャージー州ウェストフィールド
死没 1974年8月7日(65歳没)
ニューヨーク州ニューヨーク市
職業 医師

ヴァージニア・アプガー(Virginia Apgar, 1909年6月7日 - 1974年8月7日)は、アメリカ合衆国ニュージャージー州ウェストフィールド出身の、小児科学および麻酔専攻の女医女性医学者麻酔科医である。また、新生児の出産の際にアプガー指数を導入したことによる乳幼児死亡率の低下で世界に貢献した。

来歴[編集]

毎年、周産期学の分野で米国小児科学会よりヴァージニア・アプガー賞 (Virginia Apgar Award) が贈られている[3]

生涯独身のまま、1974年8月7日にコロンビア・プレスビテリアン医療センターにて死去。65歳。

1994年に、肖像が合衆国の20セント普通郵便切手( Great Americans series)に採用された[1]

家族と私生活[編集]

音楽一家の3人兄妹の末っ子として生まれる[4]。頻繁に家族でセッションを行う家庭で、彼女はバイオリンを担当し、他の兄弟はピアノとオルガンを演奏した。成人になっても、事あるごとにカルテットに参加し、バイオリンと共に旅行に出かけた。友達には楽器作りを勧められ、ともにバイオリンやチェロなどを自作した。他にも趣味として、フライフィッシング、ゴルフ、切手収集、それから特に園芸を嗜んだ。ニューヨークジョージ・ワシントン・ブリッジの下を飛ぶ夢を叶えるため、飛行機操縦の訓練にも参加していた[5]

父親は保険屋の重役であったが、アマチュア発明家と天文学者も兼ねていて、彼女に科学への興味を持たせた[6]

彼女の兄は、結核で早逝していて、もう一人の兄も持病を持っていたことが、医学に興味を持たせる切っ掛けであった[7]

彼女は一度も結婚することなく、65歳で肝硬変により死去した。

主な業績[編集]

  • 60種以上の科学論文を発表。

書籍・論文[編集]

脚注・参考文献[編集]

  1. ^ Women in Medicine Exhibit Resources Archived 2006年9月1日, at the Wayback Machine.
  2. ^ Department of Obstetrics and Gynecology
  3. ^ Brief biography, National Library of Medicine, The Virginia Apgar Papers.
  4. ^ Calmes, Selma H (2015年5月). “Dr. Virginia Apgar and the Apgar Score: How the Apgar Score Came to Be”. Anesthesia & Analgesia 120 (5). 
  5. ^ The Virginia Apgar Papers: Biographical Information”. profiles.nlm.nih.gov. 2018年4月4日閲覧。
  6. ^ The Virginia Apgar Papers”. U.S. National Library of Medicine: National Institutes of Health (2017年9月21日). 2018年4月24日閲覧。
  7. ^ Changing the Face of Medicine: Virginia Apgar”. U.S. National Library of Medicine (2015年6月3日). 2018年4月24日閲覧。

外部リンク[編集]