ヴァレンチーナ・シャツカヤ

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ヴァレンチーナ・ニコラーエヴナ・シャツカヤロシア語: Валентина Николаевна Шацкая, ラテン文字転写: Valentyna Nikolajewna Shatskaja1882年 6月7日(ユリウス暦5月26日)- 1978年 3月7日 )は、旧ロシア、ソビエト連邦の教育者教育学者トヴェリ出身。モスクワ音楽院を卒業。のちに同院の教授に就任。美育の諸問題を研究した[1]

生涯[編集]

  • 1882年、トヴェリに生まれる。
  • 1905年、モスクワ音楽院ピアノ科を卒業。以後、セツルメント協会、「子どもの労働と休息」協会でシャツキーらと活動する。
  • 1906年、シャツキーと結婚。
  • 1911年、夫とともにカルーガ県北部に夏期労働コローニヤ「元気な生活」を開設。
  • 1915年、夫との共著『元気な生活』を出版。
  • 1919年より1932年、国民教育第一実験所の組織者となる。
  • 1932年以降、モスクワ音楽院その他で教鞭をとる。のちに同院の教授、院長に就任。
  • 1944年、ロシア共和国(1966年からはソビエト連邦)教育科学アカデミーで研究。
  • 1947年より1962年、教育科学アカデミー芸術教育研究所長。
  • 1978年、モスクワにて死去[2]

論文[編集]

  • 「ソビエトの学童の美育の課題と内容」(1957年)(日本語訳、ソ教研北海道協議会研究者集団訳、明治図書出版『ソビエト教育科学』第16号1964年)

著書[編集]

  • 『幼稚園における音楽』(1919年)
  • 『学校における音楽』(1950年)
  • 『学校における美育の思想的-政治的水準の向上』(1950年)

日本語訳書

  • シャツキー・シャツカヤ共著『教育農場―ボードラヤ・ジーズニの記録』森重義彰訳、明治図書出版、1984年

脚注[編集]

  1. ^ ソビエト教育科学アカデミヤ編『ソビエト教育科学辞典』明治図書出版、1963年、p.679
  2. ^ 森重義彰「S・T・シャツキーの生涯と教育活動-革命前の教育実践を中心として-」(『教育農場-ボードラヤ・ジーズニの記録』明治図書出版、1984年所収)