ヴァヒド・ハリルホジッチ

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  • ヴァヒド・ハリルホジッチ
  • バヒド・ハリルホジッチ
  • ヴァイッド・ハリルホジッチ[1]
ヴァヒド・ハリルホジッチ Football pictogram.svg
Algérie - Arménie - 20140531 - Vahid Halilodzic 2.jpg
アルジェリア代表監督時のハリルホジッチ(2014年)
名前
愛称 Coach Vahid(ヴァイッド先生)、ワハ
ラテン文字 Vahid Halilhodžić
セルビア語 Вахид Халилхоџић
基本情報
国籍 ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 ボスニア・ヘルツェゴビナ
フランスの旗 フランス
生年月日 (1952-05-15) 1952年5月15日(66歳)
出身地 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア ボスニア・ヘルツェゴビナ
ヘルツェゴビナ=ネレトヴァ県ヤブラニツァ
身長 182cm
選手情報
ポジション FW
ユース
1968-1971 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ヴェレジュ・モスタル
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1971-1981 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ヴェレジュ・モスタル 207 (103)
1971-1972 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ネレトヴァ (loan) 18 (8)
1981-1986 フランスの旗 ナント 163 (92)
1986-1987 フランスの旗 パリ・サンジェルマン 18 (8)
通算 406 (211)
代表歴
1975-1978 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア U-21 12 (12)
1976-1985 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア 15 (8)
監督歴
1990-1992 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ヴェレジュ・モスタル
1993-1994 フランスの旗 ボーヴェ
1997-1998 モロッコの旗 ラジャ・カサブランカ
1998-2002 フランスの旗 リール
2002-2003 フランスの旗 レンヌ
2003-2005 フランスの旗 パリ・サンジェルマン
2005-2006 トルコの旗 トラブゾンスポル
2006 サウジアラビアの旗 アル・イテハド
2008-2010 コートジボワールの旗 コートジボワール
2010-2011 クロアチアの旗 ディナモ・ザグレブ
2011-2014 アルジェリアの旗 アルジェリア
2014 トルコの旗 トラブゾンスポル
2015-2018 日本の旗 日本
2018- フランスの旗 ナント
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ヴァヒド・ハリルホジッチ[2]ローマ字:Vahid Halilhodžić, セルビア語キリル・アルファベットВахид Халилхоџић 1952年5月15日[3] - )は、ボスニア・ヘルツェゴビナ出身の元・サッカー選手。サッカー指導者。リーグ・アンFCナントの監督。元ユーゴスラビア代表(現在はボスニア・ヘルツェゴヴィナ国籍以外にフランス国籍も取得)。ディヴィジオン・アン(現リーグ・アン)、1982-83, 1984–85シーズン得点王2回。1976年欧州選手権1982年ワールドカップに出場した。2015年3月から2018年4月7日まで日本代表監督を務めた(詳細は後述)。

生い立ち[編集]

6人兄弟の第4子として生まれ、名字の由来は「親友(ハリル)」「指導者の子孫(ホジッチ)」[4]。近所にあったサッカースタジアムが少年時代のヴァイッドの遊びの場となる。14歳時、将来エンジニアとしての電気工学修学目的でモスタルへと移住、両親の近くで生計を立てようかと考えていたが8歳年上だった実兄のサレムがプロとして成功し弟ヴァイッドをフットボールに誘い、地元フットボールクラブ「ジュニオール・ヴェレジュ・モスタル」に加入。18歳時、進路の決定を迫られFKヴェレジュ・モスタルの契約選手として報酬を得る道を選択。

選手として[編集]

選手時代のポジションはフォワードFKヴェレジュ・モスタルFCナントパリ・サンジェルマンFCなどに在籍、ヴェレジュ・モスタル時代は11年間に渡りプレーを続け、通算207試合出場、103ゴールを挙げ、ナント時代には2度のディヴィジオン・アン得点王に輝いた。PSG時代、実母の死没と時を同じくしてプロ選手活動を終え、帰郷。

1978年、この年から開始したUEFA U-21欧州選手権に旧ユーゴスラビア代表として出場(ハリルホジッチは26歳だったが当時は2名までのオーバーエイジ選手が認められていた)し、決勝戦では旧東ドイツ代表を相手に2試合合計で4得点を挙げる活躍を見せた。この大会では6得点を記録し得点王となり、チームを同大会の初代優勝へと導いた。また、初代最優秀選手賞を受賞した[5]

ユーゴスラビア代表には1976年から1985年まで招集され、15試合に出場して8ゴール[6]を挙げた。1976年欧州選手権1982年ワールドカップに出場した。

横浜F・マリノスの前監督、エリク・モンバエルツとは、パリ・サンジェルマン時代での選手・指導者という間柄で、現在も交流があるという。

監督として[編集]

選手時代の蓄えを元手に母国にて飲食店、衣料品店などの事業に出資するも、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争にて資産が消滅。その後、古巣のヴェレジュ・モスタルで初めて監督となる。しかし、紛争が激化した影響でサッカーどころではなくなり、フランスへ移住。自宅の前で起きた銃撃戦に巻き込まれ重傷を負った事もあったという[4]。1995年にフランス国籍を取得している。

ラジャ・カサブランカ監督時代[編集]

1997年から1998年まで監督を務めたモロッコのラジャ・カサブランカでは、国内リーグを2連覇、1997年のCAFチャンピオンズカップを制しアフリカチャンピオンに導いた。

LOSCリール・メトロポール監督時代[編集]

1998年から2002年まで監督を務めたフランスのLOSCリール・メトロポールでは、1999-00シーズンに2部リーグ優勝、2000-01シーズンはリーグ・アン昇格1年目ながら3位に食い込み、その手腕が評価され同年の年間最優秀監督に選ばれた。

レンヌ監督時代[編集]

フランス1部レンヌ監督に就任するも編成方針をめぐってクラブ幹部と対立し、1シーズンでチームを去った。[7]

パリ・サンジェルマン監督時代[編集]

1年目にはフランスカップ優勝とリーグ2位という成績を残すも、2年目に入ると選手たちやクラブとの関係は悪化し2005年2月に解任。開幕スタートダッシュに失敗したそのシーズン、彼は主力選手の内紛もあって思うような成績を残せず、すっかり選手からの求心力を失っていた。しかもチーム復調の障害となったのは、他ならぬ彼の厳しい指導スタイルだった[8]

アル・イテハド監督時代[編集]

2006年6月、サウジアラビア1部アルイテハドではクラブ幹部の介入や生活環境が気に入らず、半年も持たずに辞任。[7]

コートジボワール代表監督[編集]

2008年5月、ウリ・シュティーリケの後任として就任。同年5月24日、キリンカップサッカー2008で日本代表(監督・岡田武史)と対戦[9]。当時、日本でリハビリ中だったサッカー日本代表前任監督イビチャ・オシムが試合観戦に訪れ会話を交わす。2009年10月にはアフリカ最終予選2010 FIFAワールドカップの出場権を獲得した。2010年2月27日、アフリカネイションズカップ2010準々決勝敗退の責任をとる形で代表監督解任[10]

ディナモ・ザグレブ監督時代[編集]

2010年8月から指揮したクロアチアリーグ1部ディナモ・ザグレブでリーグ優勝するも、またもやクラブとの間に亀裂が生じて退任。[7]

アルジェリア代表監督[編集]

2011年6月、アルジェリア代表監督に就任。アフリカで重要視されているアフリカネイションズカップ(アフリカ代表王者を決める大陸選手権)では、2012年大会予選D組4チーム中3位で予選敗退で本大会出場できず、2013年大会は予選は突破したものの本大会グループリーグD組で最下位で敗退と同大会で立て続けに結果を残せず、解任危機に陥った[11]。同時期に並行して行われていた2014年ブラジルW杯アフリカ2次予選H組は首位で快進撃を続けていたので辛うじて解任されなかった。

2013年11月19日、2014年ブラジルW杯アフリカ最終予選最終戦で予選突破を決め、2014年ブラジルW杯出場を決めた。ブラジルW杯本大会メンバーは、アフリカ最終予選最終戦メンバーから当時19歳のMFナビル・ベンタレブイングランド2部リーグレスター所属の当時無名の攻撃的MFリヤド・マフレズなど5名を抜擢し、入れ替えた[11]。約1年半前の2013年アフリカネーションズカップメンバーからでは、約半数の12名の選手が入れ替わっていた[11]。ブラジルW杯グループリーグH組では、初戦でベルギーに1-2で逆転負けしたものの、第2戦は韓国に4-2で勝利し、第3戦のロシアと1-1で引き分けてグループリーグを2位で突破し、アルジェリア史上初のベスト16入りを果たした。続く決勝トーナメント1回戦では優勝候補で実際にこの大会で優勝したドイツと対戦し、堅守と縦への鋭い攻撃で、ドイツを苦しめた。正規の90分では0-0で決着がつかず、延長戦に突入した。延長戦では2失点し、最後まで諦めることなく1点を返したものの、1-2で敗れた[11]。ハリルホジッチは、この時点でも高く評価されていたが、ドイツが優勝した後は、そのドイツを最も苦しめたのが、アルジェリア代表であったことから、世界的にさらに高い評価を受けるようになった[11]

帰国したアルジェリア代表をアルジェリアの首相が出迎え、同国首都アルジェで凱旋パレードが行われた[12]。同代表監督継続を示されたが、固辞した。以降、アルジェリア国民は、ハリルホジッチを英雄視し、アルジェリア代表が苦境に陥る度に、ハリル待望論が出るようになった{実際に、サポーターが代表戦中にハリルホジッチの名前を称えながら連呼したり[13]、同監督の日本代表監督解任後にオファーを出したりしている(日本代表監督解任後の項で後述)}。

トラブゾンスポル監督時代[編集]

ブラジルW杯後、トルコ1部のトラブゾンスポルの監督に就任したが、わずか3か月で契約解除[14]

日本代表監督就任[編集]

2015年3月12日、日本サッカー協会の要請を受諾して日本代表監督に年俸200万ドル(約2億7000万円)で就任[15][16][17]。代表監督への就任は3ヵ国目、公用語フランス語ではない国は初めてとなった。2017年8月にはアジア最終予選を1位で通過、2018 FIFAワールドカップの出場権を獲得した。

日本代表監督解任とその概要[編集]

ハリルはパスを繫ぐより、縦に速い戦術を求め当初は成果が出たが、相手に研究されると迷走、打開策を示すことができなかった。そこでベテランの本田、香川、岡崎らが戦術の見直しをハリルに直談判。すると、彼らの出場時間は減り、代表に呼ばれなくなった。選手は『意見を言えば外される』という思いに至った[18]。本田は2017年6月、2時間以上語り合うも、トップ下の定位置を奪われ、左サイドに追われた。岡崎は呼ばれることがなくなった[19]

2017年EAFF E-1フットボールチャンピオンシップ(旧称東アジアカップ・東アジア選手権)で、宿敵・韓国に完敗[20]。にもかかわらず、開き直ったように「韓国の方が格上だ。試合前から日本より強いと分かっていた」と言い放った指揮官の采配と態度を問題視。解任の可能性を探ったが協会幹部の方向性がまとまらず、消極的続投となった[21] 2017年11月の欧州遠征で大敗したブラジル戦後にも話し合いの場を持っている。ただ選手全員ではなく、小さなグループ単位だった。この時も選手は全員での選手ミーティング開催を申し入れたが、拒否されていた。(それまでは許されていた)[22]

2018年3月、ベルギー遠征では常連とみられた酒井高、乾が外れており(後に、酒井高は追加招集)、2人は前年11月の活動で、指揮官と戦い方を巡り意見を戦わせていた。周囲は“粛清”と受け止めた[23]

2018年3月23日のマリ戦(1-1)は不完全燃焼に終わり、試合後にはハリルチルドレンと言える選手たちも含め様々な選手たちから意見が噴出。「縦に速い攻撃だけじゃ……」「監督と選手にイメージのギャップ? それは見ていてわかると思います」「ずっと前に蹴れ、蹴れと言っているが、そんなに全部は蹴れない」「今日の試合内容ではW杯で勝つのは厳しい」「(相手が)来ていないのに前の人に預ける必要はないと思います」など監督批判が並んだ[24][25]。なおこの試合後に選手たちはミーティングを開こうとハリルに持ちかけたが禁じられた[26]。なおこの試合後に戦術に否定的なコメントを出したハリルホジッチの主軸選手には翌ウクライナ戦で出場機会がなかった[27][28]

27日の国際親善試合ウクライナ戦に向けた前日会見の場で、ハリル監督は「何か問題があれば内部で解決するもの。外部に対する発言はあまり良くない」と箝口令をしいたが、長谷部も「実際、僕も誰の発言かは分からないからクリアじゃない」としながらも、「普通に考えて、チームの中で共有するものと、こういうところで喋るものは選手個々の裁量はある」。もっとも「僕の感覚として、そんなに(外部に意見が)出ている感じは受けない」との意見を述べた[29]。監督への不満が、これだけ報道陣に漏れることは前代未聞と事を重くみた当時の西野朗技術委員長が、選手から聞き取り調査をおこなった。結果、選手の総意として主将から『現体制では難しい』との意見を聞くことになる。こうして日本人選手で唯一信用している選手としていた選手からも批判を受けることとなった。中間管理職的な立場になっていた長谷部のもとに不満が集まり、監督と選手の板挟みに悩むようになった。選手の不満は理解できる。だが、それを受け入れてくれるとは到底思えなかった。海外遠征で、長谷部は選手がホテルに缶詰め状態になっていたことから、『朝の散歩がしたい』と訴えたことがあった。だが答えは『NO』。それでも長谷部が食い下がると、『ならばチーム全員でしよう。俺も参加する』となった。これに選手は、プライベートまで監視するのかと激怒した。長谷部は監督と選手の潤滑油になろうと努力したが溝は深まる一方で、上記のような批判が外に漏れる事態となった[30]。しかしながら2018年4月14付のクロアチア紙でハリルは「選手が不満を持っているとは感じず理由が全くわからない」と述べている[31]

2018年4月7日、フランスを訪れた日本サッカー協会(JFA)会長の田嶋幸三により日本代表監督の契約を解除することを通達された[32]

4月9日、JFAの会見によりハリルホジッチの解任が発表された[33]。ワールドカップ出場決定後の監督交代は日本史上初[34]。自身としてはコートジボワール代表以来2度目となった。

日本サッカー協会側は「選手たちとのコミュニケーションや信頼関係が薄れていた」と解任理由を語った[35]。実際に母国語ではないフランス語を使うことによる問題はあった[36]

そんな中、日刊スポーツの直撃取材を受けたハリルホジッチは、ハリルホジッチは「日本では、すべてが金とビジネスによってひっくり返ってしまった」と解任に不満を示し、日本での会見も行われることとなった[37]

2018年4月27日、ハリルホジッチは記者が集まる中で記者会見を行った[38]。ハリルホジッチは、選手とのコミュニケーション不足との理由で解任されたのは初めてだと語り[39]、「確かに西野とのコミュニケーションは少なかったかもしれない。彼に意見を求めたりもしたが、あまり多くを語らない人だった。すべてのトレーニングに参加してくれたが、いつも『良かった』と言ってくれた」「会長には解雇権があるので、解雇は問題ない。ただ、私がショックを受けたのは、前もって情報を教えてくれなかったことだ。何の相談もなかった」「西野にしても田嶋にしても、『ハリル、問題があるぞ』となぜ言ってくれなかったのか。一度も言われたことはなかった」「私の得意分野である『最後の詰め』という仕事をさせてもらえなかった。ここからだというところで仕事ができなかった」と述べた。「最後に私は日本の永遠のサポーター」だと述べ会見を占めくくった[40]

ハリルホジッチは「日本が大好きなので、このまま終わりにすることはできない。裁判できちんと事実を明らかにしたい」としており、2018年5月24日に日本サッカー協会(JFA)に対し名誉毀損による慰謝料1円と謝罪広告の掲載を求めて東京地裁に提訴した[41]

2018年6月19日に行われたW杯初戦のコロンビア戦を2-1で勝利し、下馬評を覆すサプライズを披露しそれについてハリルホジッチはコメントを求められると「私が何かをコメントすることは意味がないよ。私は試合を見ていない」と述べ、大好きな日本の試合を見ていないとし、具体的な言及を避けた[42]

2018年7月21日放送の週刊フジテレビ批評に出演した田嶋幸三が「2017年EAFF E-1フットボールチャンピオンシップ(旧東アジアカップ)(12月16日の韓国戦で1-4で大敗)で監督交代の議論が出たが、修正を期待していた。ところが、2018年3月のベルギー遠征でも(内容も良くなく、結果も出ず)修正できなかった。以前も言ったようにW杯で1%でも勝つ確率を上げるため、監督交代に踏み切った。西野(当時JFA技術委員長)をはじめ多くの人と相談したが、最終的に自分自身で(ハリルホジッチ解任を)決断した」と番組内で解任理由を述べた[43]

こうして自身の監督経歴では4年率いたリールに続いて2番目の長期政権を終えた。[44]

日本代表監督解任後[編集]

2018年7月8日、アルジェリア代表監督への復帰で合意したと報じられた[45]が、同年7月20日にアルジェリアサッカー連盟会長が同監督との契約交渉が破談したことを認めた[46]。名誉毀損と謝罪広告を求める訴訟の弁論準備手続きが9月25日、東京地裁で行われた[47]

FCナント監督時代[編集]

2018年10月2日、現役時代プレーヤーとして所属経験もあったリーグ・アン所属のFCナントの監督に就任する事が発表された。契約期間は2020年6月まで。またこれと同時にこれまでチームを率いていたミゲル・カルドソとは双方合意のもと契約が解除された[48]。リーグアンでの指揮は13年ぶりとなった。

指導スタイル[編集]

  • 2008年から率いたコートジボワール代表では史上稀に見る攻撃的なチームを作り上げたが、大本命とされたアフリカネイションズカップ2010で準々決勝敗退となり、解任された。アルジェリア代表では、北アフリカのチームらしく綺麗にパスをつなぐスタイルだったチームにタイトな守備と鋭い速攻を植え付け、W杯ベスト16となった。対戦相手に応じてシステムを変えながら、機能させる手腕をもつ。同胞の大先輩である元日本代表監督イビチャ・オシムとも親交が深く[49]、オシムとの関係については「親友」と述べている[50]
  • 2014 FIFAワールドカップでアルジェリア代表では「4-2-3-1」、「4-3-3」、「5-4-1」などを使い分けた。
  • 「ルール、規律、練習」をモットーとし、ロナウジーニョディディエ・ドログバといったスター選手だろうと妥協を許さぬスタイルとされる[51][52]。自分のやりたいサッカーを選手に対してミーティングを通じてはっきり示して指導するタイプ[53]であり、結果的にビデオも交えたミーティングの回数は多く長くなりがちになるため、選手を代表した長谷部誠から時間短縮を求められたことがある[54]
  • 日本代表で主将を務めた長谷部誠からは「ひと言で言うと、すべて正直に、すべてをストレートに話しますね」「個人面談だけではなく、『記者会見が長い』と言われますけど、ミーティングの回数も多く、時間も長い。プロになって20人、30人ぐらいの監督と一緒に仕事をしてきましたけど、一番長いくらいです」と語られている[55]
  • 日本代表監督就任から3ヶ月程度は帰国なしで国内組視察を行う[56]本田圭佑[57]香川真司[58]はハリルホジッチについて「覚えてない。印象も全然ない」「イメージがない」などと述べているが、岡崎慎司は「印象に残っていたチームを率いていた監督が日本に来る。すごい偶然」と好印象を語った[59]
  • チームの全責任は監督にあるという信念を持ち、日本滞在時は日本サッカー協会に常駐する[60]、記者会見などではより多くの質問に答えようとする[61]など、積極的にスタッフやメディアとの交流を持とうとしている。一方、合宿中の選手取材に対しては従来よりも厳しい規制をかけた[62]
  • 己の意見を貫き、協調することはなく、ピッチ内だけではなくピッチ外でも厳しいルールを設ける厳格さを貫いている[63]

エピソード[編集]

  • 2015年8月24日、東京都千代田区内にて乗用車を運転中にタクシーと接触事故を起こした。双方の運転手に怪我はなく、互いの車体も擦れた程度で大きな損壊はなかった[64]。2017年6月15日にも東京都文京区内にて乗用車を運転中に接触事故を起こした。双方の車に傷やへこみができたが、運転手に怪我はなかった[65]
  • 2016年5月5日、熊本地震の被災地を訪問した際に、現地の状況をボスニア・ヘルツェゴビナ紛争時の「銃を向けられた」「自宅が破壊された」等の経験を踏まえて語っている[66]

選手経歴[編集]

ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ネレトヴァ 1971-1972 (loan)

指導者経歴[編集]

監督成績[編集]

2018年10月1日現在
チーム名 就任 退任 記録
試合 勝率 %
ラジャ・カサブランカ 1997年6月 1998年10月 45 28 14 3 062.22
リール 1998年10月 2002年6月 159 79 44 36 049.69
レンヌ 2002年11月 2003年7月 43 15 10 18 034.88
パリ・サンジェルマン 2003年7月 2005年2月 63 28 21 14 044.44
トラブゾンスポル 2005年10月 2006年6月 26 12 5 9 046.15
アル・イテハド 2006年6月 2006年8月 10 7 1 2 070.00
コートジボワール 2008年5月 2010年1月 22 12 9 1 054.55
ディナモ・ザグレブ 2010年8月 2011年5月 32 24 4 4 075.00
アルジェリア 2011年6月 2014年7月 31 19 5 7 061.29
トラブゾンスポル 2014年7月 2014年11月 14 4 8 2 028.57
日本 2015年2月 2018年4月 38 21 9 8 055.26
ナント 2018年10月1日 0 0 0 0 !
合計 484 249 132 103 51.45

タイトル[編集]

選手
指導者

栄典[編集]

主な出演[編集]

CM[編集]

  • WOWOW「UEFA EURO 2016 マルシェ」(2016年)[70]

関連書籍[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 日本サッカー協会による表記はこれで統一されている。
  2. ^ ForvoでのVahid Halilhodžićの発音例
  3. ^ PROFILE”. ヴァイッド・ハリルホジッチ 公式ウェブサイト. 2017年5月15日閲覧。
  4. ^ a b 代表監督内定、ハリルホジッチとは何者か?その知られざる素顔と人脈、苛烈な人生 sportsnavi 2015年3月5日
  5. ^ 知ってた?ハリルホジッチ監督、「あの大会」の初代MVPだった qoly 2015年6月18日
  6. ^ ハリルホジッチ日本代表新監督の人物像――頭脳明晰な激情家サッカーダイジェストWeb 2015年3月12日
  7. ^ a b c “大丈夫?激情家ハリル氏の途中退団癖” (日本語). 東スポWeb - 東京スポーツ新聞社. https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/soccer/375166/ 2018年7月30日閲覧。 
  8. ^ “諸刃の剣!? ハリルホジッチ監督の3つの不安材料|サッカー代表|集英社 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva” (日本語). 集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva. https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/football/jfootball/2015/03/20/post_886/index_3.php 2018年7月30日閲覧。 
  9. ^ なお、この時に「日本にもコートジボワール人選手がいた」という理由で、当時は柏レイソルからJリーグ2部の徳島ヴォルティスにレンタル移籍中だったドゥンビア・セイドゥを緊急追加招集し、日本戦に起用した。当時20歳のドゥンビアは代表初招集で、当時は日本向けのファンサービスという見方もあったが、同年6月にスイスリーグBSCヤングボーイズに移籍したドゥンビアは同リーグで2年連続得点王になり、代表でもW杯南アフリカ大会出場やアフリカネイションズカップ2015優勝などを果たすなどの成長を見せた。詳しくは同選手の項目を参照。
  10. ^ 【ハリル新監督独占激白3】独裁者のイメージ、私じゃないからねスポニチ 2015年3月13日
  11. ^ a b c d e W杯までの半年が勝負。前回大会のアルジェリアに見る、ハリル流強化プランとは?LEGENDS STADIUM、2018年1月30日
  12. ^ W杯ベスト16のアルジェリア代表が凱旋パレードafpbbニュース、2014年7月3日
  13. ^ アルジェリア国民が“ハリル待望論” 親善試合に敗戦し大合唱「最も偉大である!」Football ZONE WEB、2018年6月3日
  14. ^ “大丈夫?激情家ハリル氏の途中退団癖” (日本語). 東スポWeb - 東京スポーツ新聞社. https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/soccer/375166/ 2018年7月30日閲覧。 
  15. ^ ハリルホジッチ氏の日本代表監督就任が正式決定、コーチ2人も内定ゲキサカ 2015年3月12日
  16. ^ SAMURAI BLUE(日本代表) 新監督にヴァイッド・ハリルホジッチ氏を招聘日本サッカー協会発表、2015年3月12日付
  17. ^ ハリルホジッチ体制誕生で改めて振り返る日本代表監督の待遇サッカーダイジェストWeb、2015年3月24日
  18. ^ “ハリル解任!長谷部誠が背負った「中間管理職」の重苦 | Smart FLASH[光文社週刊誌スマフラ/スマートフラッシュ”] (日本語). Smart FLASH[光文社週刊誌]スマフラ/スマートフラッシュ. (2018年4月17日). https://smart-flash.jp/sports/38592 2018年10月16日閲覧。 
  19. ^ 「ハリル電撃解任」で本田・岡崎・香川が死の淵から蘇生(2)避けたかったカズの二の舞 | アサ芸プラス” (日本語). アサ芸プラス. 2018年10月16日閲覧。
  20. ^ “EAFF E-1 サッカー選手権 2017 決勝大会” (日本語). JFA|公益財団法人日本サッカー協会. http://www.jfa.jp/match/EAFF_E1_Football_Championship_2017/m/match_page/m6.html#page-title 2018年10月16日閲覧。 
  21. ^ “長谷部が現体制では厳しい…協会極秘で聞き取り調査 - フットボールの真実 - サッカーコラム : 日刊スポーツ” (日本語). nikkansports.com. https://www.nikkansports.com/soccer/column/truth/news/201804100000084.html 2018年10月16日閲覧。 
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外部リンク[編集]