ワンダ・ルッザート

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ワンダ・ルッザート(Wanda Luzzato, 1919年8月8日 - 2002年10月9日)は、イタリアヴァイオリン奏者。[1][2]

ミラノから移住してきた高級官吏の父と歌手の母の下にヴァレーゼでワンダ・ヴィターリ(Wanda Vitali)として生まれるも、1920年に父が他界[3]し、後に母親が再婚したことにより、本名はワンダ・ルッザート・カルピ(Wanda Luzzato Carpi)となった。幼少時より、アリオダンテ・コッジの下でヴァイオリンの手ほどきを受け、5歳の頃には人前で演奏するほどになった。その後、ミラノ音楽院に入学してアルベルト・ポルトロニエリのクラスでヴァイオリンを学び、12歳で卒業している。1932年にはウィーン国際音楽コンクールでジネット・ヌヴーと同着の4位入賞を果たし、審査員だったイェネー・フバイに見初められて、フランツ・リスト音楽専門学校のフバイのもとで研鑽を積んだ。フバイの元で学んでいた頃にもウィーンやミラノで演奏会を開き、第二次世界大戦が勃発するまでにルーマニアのほか、デンマークスウェーデンにまで足を延ばしている。第二次世界大戦中はハンガリーに留まったが、戦後は欧米各地で演奏を行った。1964年には来日もしている。1965年からはトリノ音楽院、その翌年からは母校のミラノ音楽院でも教鞭をとるようになった。

ミラノにて没。

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  1. ^ RH-002|8CD box|WANDA LUZZATO”. 2017年12月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月31日閲覧。
  2. ^ Wanda Luzzato: Jenö Hubay's "most talented pupil after Vecsey"”. 2017年12月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月31日閲覧。
  3. ^ waibinger, Michael (2016) (英語). Wanda Luzzato. Melo Classics. pp. 2-7. ASIN B01LVUS9P2 

参考文献[編集]

  • Carla Moreni, Wanda Luzzato, l'allieva italiana di Jenö Hubay, (Conferenza 14 maggio 2003, Biblioteca Ariostea, Ferrara) Hubay, p.43
  • Carla Moreni, Wanda Luzzato, l’allieva italiana di Jenö Hubay, in Gianluca La Villa, La sala bianca della musica. Jenö Hubay e la Scuola ungherese del violino. Capriccio narrativo e documenti storici, [edizione italiana/inglese], San Pietro in Cariano [Verona], Il segno dei Gabrielli editori, 2008, pp. 163–167