ワット天秤

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NIST のワット天秤。装置全体の気圧を下げるための真空チャンバドームが上に見える。

ワット天秤 (ワットてんびん、: watt balance) は、試料の重さを、電流および電圧を用いて非常に精密に測定するための電気力学的重量測定装置である。質量の単位であるキログラム電子的単位に基づいて、いわゆる「電子的」キログラムもしくは「電気的」キログラムとして再定義することを目指して開発された計量学装置である[1]。ワット天秤という名前は、試料の質量が電流と電圧の積、すなわちワット単位で測られる量に比例するという事実に由来する。また、発案者の Bryan Kibble に因みキブル天秤(キブルてんびん、Kibble balance)とも呼ばれる[2][3]

レゴで作られたものも存在する[4]

設計[編集]

1927年、アメリカ国立標準局(現NIST)における高精度電流天秤。天秤の下に見える電流コイルが天秤の右腕に接続されている。ワット天秤は電流天秤の発展型である。

ワット天秤は、電流の流れるコイルの間に働くを計測し、それにより流れている電流の大きさを測定する装置である電流天秤英語版の精度を向上させたものである。ただし、ワット天秤は電流天秤とは逆の用途に用いられる。すなわち、標準キログラム質量の重さを支えるために必要な電流を測定することにより、キログラムを「測る」のである。キログラムの重さが得られれば、その場所の重力加速度を用いることでキログラムの質量を正確に決定することができる。後述の様に、この方法によりキログラム質量を電流と電圧を用いて定義することができる。電流および電圧の単位は光速電気素量プランク定数などの基礎物理学定数を用いて定義できるため、キログラムをこれらの絶対定数を用いて定義できることになる。このような定義は、物理的実在であり劣化したり損壊したりすることのある国際キログラム原器を定義に使用する現行の定義よりも優れていると考えられる。

起源[編集]

ワット天秤の原理は、イギリス国立物理学研究所 (NPL)の B. P. キブルにより1975年に提唱された[5]。電流天秤法の主な欠点は、測定結果がコイル形状の精度に依存することであった。ワット天秤法では、コイル形状による影響を補正する校正ステップが追加され、主要な不確かさ源が除去されている。この校正ステップは、既知の磁束中を既知の速度でフォースコイル[訳語疑問点]を動かすことにより行なわれ、1990年に実行された[6]

イギリス国立物理学研究所で作られたワット天秤は、2009年にカナダ国立研究機関英語版 (NRC) に移送され、再稼動中である[7]。ワット天秤実験は他にもアメリカ国立標準技術研究所 (NIST)、ベルンスイス連邦計量・認定局英語版 (METAS)、パリ近郊の国際度量衡局 (BIPM)、トラップフランス国立計量試験所英語版 (LNE) において行なわれている[7][8]。2015年現在、プランク定数の測定精度について、NRC によるワット天秤 NPL Mark II を用いた測定とアボガドロ国際プロジェクトによる測定により 相対不確かさ 1.8×108 が達成されており、これら二つの測定値は相互に不確かさの範囲内で一致している[7]

原理[編集]

長さ L の導線に電流 I が大きさ B磁場下で流れているとき、導線にかかるローレンツ力の大きさは BLI に等しい。ワット天秤では、この力が標準質量 m重さ w と正確につりあうように電流を調整する。これは電流天秤の原理と同じである。w は質量 m重力加速度 g を掛け合わせれば得られるので、以下の式が成り立つ。

キブルのワット天秤では、BL の測定に関する問題は校正ステップにより解決される。同じ導線(実用上はコイル)を同じ磁場で既知の速さ v で動かす。すると、ファラデーの電磁誘導の法則により、BLv に等しい電位差 U が生じる。

未知の積 BL を消去すると以下を得る。

U, I, g, v を正確に測定することにより、m の正確な値が得られる。この方程式の両辺は仕事率の次元を持っており、ワット単位で測ることができるので、「ワット天秤」の名前がある。

測定[編集]

正確な電流および電位差の測定は、(SI単位系ではなく)ジョセフソン定数フォン・クリッツィング定数KJ–90 = 2e/h および RK–90=h/e2 を「慣用値」として用いる慣用電気単位系英語版でなされる。現行のワット天秤実験は、慣用ワットの値をSI単位系で測定することに等価である。慣用ワットの定義により、これは慣用電気単位系では定数となる KJ2RK を SI 単位系で測定することに等しい。

この測定は、プランク定数 h の直接測定でもあるという点で重要である。

「電子キログラム」の原理は、メートル光速により定義されるのと同様の定義法でプランク定数を定義することにある。この場合、電流と電位差は SI 単位系で測定され、ワット天秤は質量を測定する装置となる。

ワット天秤に(非常に大きな)時間と費用を投じた研究所はどこも、現行のプランク定数と同等の精度で質量を測定することに成功している。

UI の測定に加え、 vg を質量の定義に依存しない方法で測定する必要がある。m の最終的な精度は U, I, v, g それぞれの精度に依存して決まる。v および g の測定には既に高精度の方法が存在するため、質量の測定における不確かさの主要因はワット天秤で測定される UI の不確かさにある。

出典[編集]

  1. ^ Palmer, Jason (2011年1月26日). “BBC News - Curbing the kilogram's weight-loss programme”. Bbc.co.uk. 2011年2月16日閲覧。
  2. ^ The Kibble balance”. Educate + Explore. 2017年7月16日閲覧。
  3. ^ Tim Folger「キログラムを再定義」、『日経サイエンス』2017年5月号。
  4. ^ L.S. Chao, S. Schlamminger, D.B. Newell, J.R. Pratt, G. Sineriz, F. Seifert, A. Cao, D. Haddad, X. Zhang (2014年12月4日). “A LEGO Watt Balance: An apparatus to demonstrate the definition of mass based on the new SI”. arxiv.org. 2015年1月8日閲覧。
  5. ^ Kibble, B. P. (1975), Sanders, J. H.; Wapstra, A. H., eds., “A Measurement of the Gyromagnetic Ratio of the Proton by the Strong Field Method”, Atomic Masses and Fundamental Constants 5 (New York: Plenum): pp. 545–51 
  6. ^ Kibble, B P; Robinson, I A; Belliss, J H (1990). “A Realization of the SI Watt by the NPL Moving-coil Balance”. Metrologia 27 (4): 173. doi:10.1088/0026-1394/27/4/002. 
  7. ^ a b c Kibble balances”. National Physical Laboratory (2016年7月26日). 2016年10月6日閲覧。
  8. ^ Mohr, Peter J.; Taylor, Barry N.; Newell, David B. (2008). “CODATA Recommended Values of the Fundamental Physical Constants: 2006”. Reviews of Modern Physics 80 (2): 633–730. arXiv:0801.0028. Bibcode 2008RvMP...80..633M. doi:10.1103/RevModPhys.80.633. 

外部リンク[編集]