ワッキー

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ワッキー
Yasuhito Wakita 201301.jpg
沖縄国際映画祭にて(2010年)
本名 脇田 寧人(わきた やすひと)
生年月日 (1972-07-05) 1972年7月5日(50歳)
出身地 日本の旗 日本北海道釧路市
血液型 B型
身長 178cm[1]
言語 日本語
方言 共通語
最終学歴 専修大学経済学部中退
コンビ名 ペナルティ
相方 ヒデ
芸風 コント(ボケ)、顔芸、一発ギャグ
立ち位置
事務所 吉本興業東京
活動時期 1994年 -
同期 ロンドンブーツ1号2号
DonDokoDon など
配偶者 既婚
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ワッキー(本名:脇田 寧人(わきた やすひと)、1972年7月5日 - )は、日本お笑いタレント。お笑いコンビペナルティのボケ担当。相方はヒデ。一部では"カゴマン"と言われている。北海道釧路市出身(公称)。船橋市立船橋高等学校卒業、専修大学経済学部中退。吉本興業所属。身長178cm 体重68kg。血液型はB型。左利き

来歴[編集]

父方の祖母の実家が北海道釧路管内川上郡標茶町磯分内の脇田商店であり、親戚一同足が速いのが近所の自慢であった。

父親の仕事の都合で19回南アフリカに渡り、そのうち中学1年生 - 中学2年生の冬まで、北海道釧路市で育つ。そのとき在籍していたのが、釧路市立東中学校(現:幣舞中学校)である。当時はサッカー部で活動していた。

高校は船橋市立船橋高等学校(市船)に進学し強豪のサッカー部に入部。布啓一郎監督の下で厳しい練習に明け暮れ、あまりの厳しさに合宿所から夜逃げする者もいたほどだったが[2] 、この練習を耐えた部員達は試合前に「やってきたことが他とは違う」と仲間で言い合い士気を高めていたという[2]

専修大学経済学部に入学後もサッカー部に所属し、プロサッカー選手を目指して精進していたが、膝を壊したことでプロへの夢を諦めることになった。この怪我で自身の将来を悲観したワッキーはサッカー部の合宿所を秘かに脱走し、大学も中退することとなった。

その後、日本のタイ料理店等でアルバイトをしていた。タイ料理店で一緒に働いていた一回り上のタイ人女性ワーさんが帰国する。彼女を追ってタイへ行きタイ語もマスターしたが、バンコクでフラれて途方に暮れて裸足でさまよっていた。

紆余曲折した後、日本に帰国。専修大学の寮を訪ねた時に、先輩である中川秀樹(ヒデ)に誘われる形で1994年にお笑いコンビ「ペナルティ」を結成。同期にはロンドンブーツ1号2号などがいる。ヒデの方が1学年上である。

2007年、2歳年下の一般人女性と結婚。入籍直前にテレビ朝日ロンドンハーツ』のスペシャル番組中(生放送)にて、相方ヒデとロンドンブーツ1号2号により子細を世間に暴露されるというコーナーが放送された[3]2008年に第一子が誕生。

2012年11月、40歳でNHK地球イチバン』の企画で参加した「サハラ砂漠レース(SAHARA RACE)[注 1]」 7日間約250kmを完走。

2020年6月7日、初期の中咽頭がん(ステージ1)と診断され一時休養することを公表[4]。8日から入院し、放射線治療を受ける[4]。8月5日、退院[5]

2021年2月14日、公式YouTubeで仕事復帰したが[6]5月3日放送の『人生が変わる1分間の深イイ話SP』(日本テレビ)にVTR出演し、以後の仕事をセーブする方針であることを明らかにした[7]

人物[編集]

芸風[編集]

ペナルティのコントネタでは濃いキャラクターを演じる。体毛の濃さをネタにしたり[8] 、オリジナルの歌を歌ったりすることも多い。

テレビなどでは一発ギャグを主に披露するがスベることも多い。渾名の命名者として知られる有吉弘行につけられた渾名は「クソすべり芸人[9] 」。ギャグのレパートリーとしては「男性ホルモン受信中」、「お化けの救急車」(他の芸人も乗っかる)、「芝刈り機」、「一、二行進」、「半分マン[10] などがある。ネタ中に野口五郎のモノマネをやることがある[11] 。野口のモノマネをする時はほぼ毎回「私鉄沿線」を歌う。コロッケのように、鼻くそをほじりながらモノマネをすることもある。

「芝刈り機」のギャグに関しては元サッカースペイン代表ラウル・ゴンサレスが、2009年4月にスペインのテレビ番組で「人生で一番可笑しかったことは?」との問いに「ジャパンツアーに行ったときに日本のテレビに出演して、そこで日本人のコメディアンがやった芝刈り機のものまね」と答えている。これはフジテレビめちゃ×2イケてるッ!』の「やべっち寿司」にてワッキーが披露したものである[2][12]。また、この時にラウルと一緒に番組に出演していたフェルナンド・モリエンテスも、「芝刈り機」のギャグを「すごく面白かった」と語っている[13]。そのワッキーはヒデ、マネージャーと移動している際に二人と遭遇し、大ファンである二人と握手している際には跪いてしまうほど感激していた。

なおワッキーは自分の芸風について

誰かを傷つけるようなブラックなことはやりたくない。とことんバカっていうネタが持ち味だと思ってる。わかる人だけにわかればいいや、っていうのも好きじゃないが、難しいことはできないっていうのもあるんですけど(笑)。

と述べている[14]

サッカー[編集]

市立船橋高校サッカー部のチームメイトには2学年先輩に野口幸司小川誠一、1学年先輩に中川秀樹(ヒデ)庄司孝、同級生に永田崇、1学年後輩に高田昌明和田潤、2学年後輩に鬼木達水野淳がいる。

高校生活最後の試合は第69回全国高等学校サッカー選手権大会2回戦の清水商業高校戦。この試合で本来はフォワード登録だったが監督から「お前はボールを見なくていいから名波だけ見ていろ」と相手の司令塔・名波浩へのマンツーマンディフェンスを指示された[2]。試合は市船が1点をリードする展開ながら終了間際に名波に同点ゴールのアシストを許し、試合もPK戦で敗れ、ワッキー本人も「試合としては全然、面白くなかった」と述べているが、翌日の新聞には「脇田が名波を抑えたから良い試合になった」と試合でのプレーを賞賛された[2]

専修大学サッカー部では元川崎フロンターレ源平貴久と同期。2006年にペナルティとしてサッカーの本を出版した際には、同部の監督となっていた源平が技術監修を担当した[15]

2010年1月の名波の引退試合に「STELLE JUBILO(ステッレ・ジュビロ)」の一員として参加。同年6月の林健太郎の引退試合にも「林健太郎とゆかいな仲間たち」の一員として参加している。また6月には吉本の芸人たちで結成した、よしもとサッカー部の代表メンバーとして『キャプテン翼』の作者高橋陽一率いる芸能人女子フットサルチーム南葛シューターズと対戦した[16]

癌による入院生活[編集]

2020年6月8日、自身のTwitter中咽頭癌のステージ1を患い、治療のために2ヶ月間入院生活を送ることを発表した[17]

異変を察知したのは同年4月の上旬。背伸びをしながらを触ったところ、左側にしこりを感じたため最初は耳鼻咽喉科に来診したが、そこでは症状が把握できず大学病院を紹介され検査を行った結果がんが判明した[18]喫煙を一切行わなければも少量で適度に身体を動かすなど健康体だと思い込んでいた矢先の宣告で、健康診断等は40歳の時に半日ドックで超健康体だったきり全く行っていなかった。またステージ1でも発覚時にはから首に2箇所転移し、診断時も大学病院の次にセカンド・オピニオンでがん専門病院に行ったが、そこですら原発[注 2]を発見できずにいた[18]

がん宣告後のは家族にも相方にも病状を伏せ、1人で病院に通う日々を続けていたが1ヶ月後に妻に初めて打ち明けた。

2ヶ月間の入院はがん専門病棟で放射線抗がん剤を併用した化学放射線療法を行っていたが、開始から10日間で食べ物の味を感じなくなったり抗がん剤の副作用で喉の痛みや吐き気を感じたりしていた[18]。その影響で食事を真面に摂れなかったため、胃瘻によって栄養剤を補給していた。面会は新型コロナウイルスの感染防止観点から禁止されていたため、家族とはテレビ電話でやり取りをしていた。2ヶ月の治療を終えた頃には味が分からない、唾液が出ない、喉の激しい痛みなど放射線治療による後遺症に襲われ食事に関しても退院から1カ月弱は、入院時と変わらず胃瘻による栄養摂取を続けていた。

2021年2月14日にYouTube『ペナルティちゃんねる』で公開された動画で復帰。相方とのヒデとは入院の数日前に会ったのを最後に半年以上も顔を合わせていなかった状況下でサプライズで対面を果たした。

その他[編集]

100m走を11秒台で走り切れる。

左利きであるが、サッカーの試合などでプレーする際は、右足利きである。

大学中退後にタイ料理店でアルバイト勤務をしていたことからタイ好きである[19][20]。タイ王国に数か月在住した経験により、日常に困らない程度のタイ語を話すことができ[20]初体験もタイ人である。

けん玉ジャグリングも得意であり、ネタ中に披露することもある。

スポーツマンNo.1決定戦[編集]

第13回芸能人サバイバルバトル(2004年4月5日放送)
当大会のみ本名の「脇田寧人」で出場。
BEACH FLAGSで準決勝進出、MONSTER BOX 19段、SPIN OFF 2回戦進出、QUICK MUSCLE 119回、TAIL IMPOSSIBLE 4位と各種目で活躍を見せ、最終的に飯沼誠司と並んで総合4位タイ入賞。
第14回芸能人サバイバルバトル(2005年4月5日放送)
SPIN OFFでは1回戦で野村将希に勝利するも2回戦で酒井宏之に敗れた。MONSTER BOXは自己記録タイの19段。QUICK MUSCLEでは自己記録119回を開始1分で超え、遂には池谷直樹が保持していた芸能人記録(188回)を僅かに2回上回る190回で、一時的に芸能人新記録を樹立。その直後に池谷がきんに君との死闘の末、202回の芸能人新記録を叩き出しワッキーは池谷、きんに君に次いで種目別3位。TAIL IMPOSSIBLEでは最終レースで酒井を相手にSPIN OFFのリベンジを果たした。SHOT-GUN-TOUCHでは1回目の試技で12m00cmを成功。2回目で12m10cmを申告し失敗するも、3回目で同じ距離を成功させ暫定トップに立つ。殿できんに君が自らの自己新記録をマークし、110P差で総合2位入賞を果たす。
第12回プロスポーツマン大会(2006年1月1日放送)
本大会は仕事の都合で一部の種目のみ出場したため、総合ランキングには反映されていない。QUICK MUSCLEでは201回の自己新記録をマークし、亀田興毅(250回)、池谷(222回)に次ぐ種目別3位。
第16回芸能人サバイバルバトル(2006年3月29日)
REVOLITIONの1回戦からきんに君相手に勝利し決勝進出。決勝ではゴン(ビックスモールン)との一騎打ちにも勝利し初の第1種目でNo.1を獲得。しかし直後のSPIN OFF 2回戦で知幸との対戦で、頭上に持ち上がった球体に左肘が当たり負傷。MONSTER BOX開始時点ではテーピングで対応し様子を見ていたが、15段のセッティング中に完全に挑戦をキャンセルし、残りの種目全てを棄権した。インタビューでは「頑張ってやってきたのに、凄い悔しいですね。僕もスゴい大好きなんで⋯。またやってください」と言葉を残した。
第17回芸能人サバイバルバトル(2006年10月4日放送)
SPIN OFFでは決勝できんに君に勝利し当種目初のNo.1。MONSTER BOX 17段、QUICK MUSCLEは208回で自己記録を更新し3位。TAIL IMPOSSIBLEでも最終レースで激走しきんに君相手にNo.1を獲得。2種目制覇で単独トップに浮上していたが、TAIL IMPOSSIBLEでの激走により持病のアキレス腱痛が再発し無念のドクターストップ。SHOT-GUN-TOUCH棄権により総合No.1の覇権争いから脱落。「きんに君がアメリカに行くんで、その前に勝ちたかったですね。」と涙を流した。
芸能人新王座チャレンジバトル(2007年3月30日放送)
総合No.1有力候補と目されながら新種目のCONQUISTADORでは1回戦で白井涼を相手にライトをあと1個点せば勝利の所、突如落下し敗退。PECT CROSSでは同組の庄司智春と並んで記録55kg。MONSTER BOXではダンテと並んで記録18段で種目別No.1を獲得するも同種目終了時点で暫定総合7位と苦しい展開に。MUSCLE GYMでは腕立て伏せでカウントミスが連発し記録188回に終わり、同組の佐藤弘道(記録215回)に惨敗。競技後のインタビューでは「もう、ダメですね今日は⋯」と諦めかけ、最終組に暫定総合4位タイの諸星和己が白井の179回を超えればファイナル進出が潰えるところ、175回に終わったため暫定総合5位タイで辛うじてファイナル進出を果たす。FINALに進出した6人中唯一の経験者となったSHOT-GUN-TOUCHでは1回目と2回目の試技で12m00cmを成功させ単独トップに浮上。最終試技で12m00cmを成功させれば初の総合No.1。失敗すれば高橋光臣がNo.1の状況下で成功させ、5回目の出場にして初の総合No.1に輝いた。
第18回芸能人サバイバルバトル(2007年10月5日放送)
レッドジャージを着用して出場。BEACH FLAGSでは決勝で知幸を相手に大差をつけ勝利。SPIN OFFでは1回戦で野村、2回戦で石丸謙二郎に勝利するも、準決勝でチェ・ヒョノに敗れた。MONSTER BOXは11段を成功後パスを続け、15段に挑むも踏み切りに失敗し正面に激突。記録11段で13人中最下位に終わる[注 3]。MUSCLE GYMでは背筋まで驚異的な回数を刻んでいたが、腕立てでカウントミスが目立ち、222回の自己記録更新もハイレベルな大会により5位。4種目終了時点で暫定総合2位も1位の知幸とは120P差があった。SHOT-GUN-TOUCHでは1回目・2回目共に12m00cmを申告しどちらも成功させ、知幸とのP差を縮め、3回目の試技で自己新記録12m20cmを申告し成功させインタビューでは涙を流した。残された知幸は11m80cmを成功すれば知幸のNo.1。失敗すればワッキーがNo.1の状況下で、距離は届いていたもののボールを見ていなかったことが災いし、ボールが身体の横に落ち触れていない判定。これによりワッキーが逆転でNo.1に輝いた。
第14回プロスポーツマン大会(2008年1月1日放送)
プロスポーツマン大会初参戦。TAIL IMPOSSIBLEの最終レースで玉田圭司桜井良太に勝利しプロ大会でNo.1を獲得。BEACH FLAGS、THE CELLで2回戦進出を果たす。POWER FORCEは1回戦で池谷に秒殺で敗北。MONSTER BOXでは自己記録を4段下回る15段に終わるも、SHOT-GUN-TOUCHでは12m50cmの自己新記録をマークし総合6位入賞。
第15回プロスポーツマン大会(2009年1月3日放送)
BEACH FLAGSでは3回戦で興梠慎三、準々決勝で池谷と旗を掴み損ね、探し合いの末に運を味方にして勝利。準決勝では里見恒平の前に後塵を拝す。THE GALLON THROW 4m50cm。MONSTER BOXでは18段で1回目を失敗するも2回目で修正。19段に挑むも2回共失敗し3年9カ月の19段成功とはならなかった。POWER FORCEは2回戦(初戦)で北川智規に敗退。ディフェンディングチャンピオンとして挑んだTAIL IMPOSSIBLEでは最終レースで青木剛と興梠の現役サッカー日本代表を相手に激走を続け、2周目までは青木に先頭を譲るも3周目から逆転。最終的には青木に10mの差をつけ2年連続のNo.1に輝いた。SHOT-GUN-TOUCHは12m50cmで1回失敗し2回目で成功。12m70cmでボタンプッシュミスに終わり、記録12m50cmで試技終了。総合順位は2連覇を果たした宮崎大輔ブライアン・クレイに次ぐ総合3位入賞。
芸能人サバイバルバトル
大会 放送日 総合順位
第13回大会 2004年4月5日 4位
第14回大会 2005年4月5日 2位
第16回大会 2006年3月29日 途中棄権
第17回大会 2006年10月4日 4位
新王座CB 2007年3月30日 No.1
第18回大会 2007年10月5日
プロスポーツマン大会
大会 放送日 総合順位
第12回大会 2006年1月1日
第14回大会 2008年1月1日 6位
第15回大会 2009年1月3日 3位

SASUKE[編集]

大会別成績

大会 ゼッケン 記録 備考
STAGE 脱落エリア 備考
第20回 1997 1st ハーフパイプアタック 対岸付近で落下
第21回 94 1st ジャンピングスパイダー 張り付き失敗
第22回 89 1st ジャンピングスパイダー 張り付いて停止した後に落下
第23回 89 1st スライダージャンプ 掴み失敗
第24回 18 1st ハーフパイプアタック ロープから手が離れ落下
第27回 92 2nd ダブルサーモンラダー 1基目 2→3段目
第28回 84 1st ロープラダー タイムアップ
第29回 86 2nd スワップサーモンラダー 2回目の移動
第30回 1982 2nd スワップサーモンラダー 3回目の移動後落下
第37回 71 1st ローリングヒル 上りで着水 ダイジェスト

通算成績

出場数 2nd進出 3rd進出 FINAL進出
10回 3回 0回 0回
  • 2021年 第39回大会終了時点

出演[編集]

テレビ番組[編集]

ドラマ・特撮[編集]

CM[編集]

舞台[編集]

  • MOTHER マザー〜特攻の母 島濱トメ物語〜(2016年4月、新国立劇場) - 特攻隊長 役[22]
  • めんたいぴりり 未来永劫編(2019年9月22日 - 29日、明治座[23]

イベント[編集]

映画[編集]

YouTube[編集]

  • トライアウトに参加したJリーガーの密着ドキュメント「トライアウト〜プロサッカー選手であるために〜」(2021年)- ナレーション

タイトル[編集]

クラブ[編集]

船橋市立船橋高等学校

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ サハラマラソン」とは別である。
  2. ^ 最初にがん(腫瘍)が発生した病変のことを指す。
  3. ^ 大会出場は14人だが、野村将希がSPIN OFFで腰を負傷したためMONSTER BOXを棄権。13人で競技が行われた。

出典[編集]

  1. ^ 笑いの金メダル内で測定した際は175cmであった
  2. ^ a b c d e “スペシャルインタビュー Vol.3「ペナルティ」”. J.LEAGUE プロサッカークラブをつくろう!ONLINE. (2010年). http://www.j-saka-online.com/hangame/library/interview/vol03/ [リンク切れ]
  3. ^ “ペナルティ·ワッキーが生放送で結婚発表!”. ORICON STYLE. (2007年10月9日). https://www.oricon.co.jp/news/48697/ 
  4. ^ a b “ワッキー 中咽頭がんを公表、8日から入院…4月上旬、首にしこり”. デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). (2020年6月7日). https://www.daily.co.jp/gossip/2020/06/07/0013404435.shtml 2020年8月5日閲覧。 
  5. ^ “中咽頭がん入院治療のワッキーが退院 自宅療養し「体調を見極めながら復帰する予定」”. ORICON NEWS (oricon ME). (2020年8月5日). https://www.oricon.co.jp/news/2168727/full/ 2020年8月5日閲覧。 
  6. ^ “ペナルティ・ワッキー、「中咽頭がん」から仕事復帰 ヒデと10か月ぶり涙の再会”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2021年2月14日). https://hochi.news/articles/20210214-OHT1T50173.html 2021年5月3日閲覧。 
  7. ^ “がん休養から復帰のワッキー 仕事をセーブする方針報告、今田耕司がエール「ゆっくり自分のペースで」”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2021年5月3日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/05/03/kiji/20210503s00041000517000c.html 2021年5月3日閲覧。 
  8. ^ “ペナルティ・ワッキー「毛深いので実はもう危ない」”. ZAKZAK. (2006年2月8日). http://www.zakzak.co.jp/gei/2006_02/g2006020805.html 
  9. ^ “元「猿岩石」有吉弘行 再ブレイクまで援助してくれた人”. J-CASTニュース. (2008年11月22日). http://www.j-cast.com/2008/11/22030839.html 
  10. ^ “FLOW新作発売を記念し、宣伝部長“1 / 3マン”がSHIBUYA TSUTAYAで宣伝活動!”. CDJournal.com ニュース. (2011年3月9日). http://www.cdjournal.com/main/news/flow/37178 
  11. ^ “ペナルティ インタビュー”. escala cafe. (2005年11月21日). http://escala.jp/entertainment/interview/051121/index.html 
  12. ^ “ラウル、人生で一番可笑しかったのは芝刈り機のものまね”. サポティスタ. (2009年7月12日). http://supportista.jp/2009/07/news12053024.html 
  13. ^ “モリエンテス氏、ワッキーの一発ギャグに衝撃「すごく面白かった」”. SANSPO. (2017年7月21日). http://www.sanspo.com/soccer/news/20170721/wor17072120300001-n1.html 
  14. ^ “ペナルティ インタビュー#03”. escala cafe. (2005年11月21日). http://escala.jp/entertainment/interview/051121/03.html 
  15. ^ 源平貴久 技術監修 『ペナルティと一緒に!ファンファンサッカー : サッカーをもっと楽しむ本』グッドクール、2005年。ISBN 4-903110-00-1 
  16. ^ “よしもとサッカー部発足! キャプテン翼スタジアムで初試合”. 横浜ウォーカー. (2010年6月12日). https://www.walkerplus.com/article/15182/ 
  17. ^ https://twitter.com/wakitayasuhito/status/1269484928850202626” (日本語). Twitter. 2022年9月21日閲覧。
  18. ^ a b c 医師(山本耳鼻咽喉科), 山本 一博 (2022年2月28日). “健康体でも侮れない 体育会系芸人ワッキーも味わった「中咽頭がん」の恐怖 | Medical DOC” (日本語). Medical DOC(メディカルドック). 2022年9月21日閲覧。
  19. ^ “ペナルティ・ワッキー「タイは世界で一番面白いところ」”. ZAKZAK. (2007年4月3日). http://www.zakzak.co.jp/gei/2007_04/g2007040305.html 
  20. ^ a b “ペナルティ·ワッキー「タイのスターになる」と路線変更宣言”. ORICON STYLE. (2008年5月31日). https://www.oricon.co.jp/news/55087/full/ 
  21. ^ ワッキー - オリコンTV出演情報
  22. ^ ワッキー念願の特攻隊長役、阿藤快さん遺作舞台”. 日刊スポーツ (2016年2月24日). 2016年2月24日閲覧。
  23. ^ 2019年9月22日(日)〜29日(日)めんたいぴりり 未来永劫編”. 2020年1月20日閲覧。
  24. ^ 約200人のリーガファンが熱狂! PVイベント「クラシコ祭」を開催”. サッカーキング (2017年12月25日). 2017年12月30日閲覧。

外部リンク[編集]