ワッキー

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ワッキー
本名 脇田 寧人(わきた やすひと)
生年月日 1972年7月5日(41歳)
出身地 北海道釧路市
血液型 B型
身長 178cm[1]
方言 共通語
最終学歴 専修大学経済学部中退
コンビ名 ペナルティ
相方 ヒデ
芸風 コント(ボケ)
立ち位置
事務所 よしもとクリエイティブ・エージェンシー東京
活動時期 1994年 -
同期 ロンドンブーツアンジャッシュ など
配偶者 既婚

ワッキー1972年7月5日 - )は、日本お笑い芸人であり、お笑いコンビペナルティのボケ担当。本名、脇田 寧人(わきた やすひと)。一部では"カゴマン"と言われている。

北海道釧路市出身(公称)。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。血液型B型左利き

来歴[編集]

父方の祖母の実家が北海道釧路管内川上郡標茶町磯分内の脇田商店であり、親戚一同足が速いのが近所の自慢であった。

父親の仕事の都合で3回の転勤があり、そのうち中学1年生〜中学2年生の冬まで、北海道釧路市で育つ。そのとき在籍していたのが、釧路市立東中学校(現:幣舞中学校)である。当時はサッカー部で活動していた。

高校は船橋市立船橋高等学校(市船)に進学し強豪のサッカー部に入部。布啓一郎監督の下で厳しい練習に明け暮れ、あまりの厳しさに合宿所から夜逃げする者もいたほどだったが[2] 、この練習を耐えた部員達は試合前に「やってきたことが他とは違う」と仲間で言い合って士気を高めていたという[2]

専修大学経済学部に入学後もサッカー部に所属し、プロサッカー選手を目指して精進していたが、膝を壊したことで断念することになった。自身の将来を悲観したワッキーはサッカー部の合宿所を秘かに脱走した結果、大学も中退することとなった。

その後タイ料理店などのアルバイトを転々としていた頃、高校時代からの先輩である中川秀樹(ヒデ)に誘われる形で1994年にお笑いコンビ「ペナルティ」を結成(因みに、ヒデが誘った数は5人で、その5人目がワッキーであった。ヒデがある番組で告白するまで、その事実をワッキーは知らなかった。ヒデがワッキーを誘った当初、後輩であるワッキーは『合宿所を逃げ出したことで、又殴られるんじゃないか』とビクビクしていた) 。同期にはロンドンブーツ1号2号などがいる。ヒデの方が1学年上だが、ワッキーの顔が老け顔で体毛が多く、対するヒデの顔が童顔気味のため、同級生の中にはワッキーの方が年上と思っていたものがいた。

2007年に2歳年下の一般人女性と結婚。入籍の少し前に、『ロンドンハーツ』のスペシャル番組中(生放送)にて、相方ヒデとロンドンブーツ1号2号により仔細を世間に暴露される、というコーナーが放送された[3] 。2008年に第一子が誕生。

2012年11月、40歳でNHK番組「地球イチバン」の企画で参加した「サハラ砂漠レース(SAHARA RACE)」[4]七日間約250kmを完走。

人物[編集]

芸風[編集]

ペナルティとしてのコントネタでは濃いキャラクターを演じる。体毛の濃さをネタにしたり[5] 、オリジナルの歌を歌うことも多い。

テレビなどでは一発ギャグを主に披露するがスベることも多い。渾名の命名者として知られる芸人の有吉弘行につけられた渾名は「クソすべり芸人[6] 」。ギャグのレパートリーとして「お化けの救急車〜」(ほかの芸人も乗っかる)、「芝刈り機」、「一、二行進」、「半分マン」[7] などがある。ネタ中に野口五郎のモノマネをやることがある[8] 。しかし、『リンカーン』の「ものまね芸人タワー」で披露した際は、「(野口五郎のモノマネをしている時の)コロッケのモノマネ」と言われた。

「芝刈り機」のギャグに関してはスペインのサッカー選手であるラウル・ゴンサレスが、2009年4月にスペインのテレビ番組で「人生で一番可笑しかったことは?」との問いに「ジャパンツアーに行ったときに日本のテレビに出演して、そこで日本人のコメディアンがやった芝刈り機のものまね」と答えた。これはめちゃ×2イケてるッ!にてワッキーが披露したものである[9][2]

なおワッキーは自分の芸風について

誰かを傷つけるようなブラックなことはやりたくない。とことんバカっていうネタが持ち味だと思ってる。わかる人だけにわかればいいや、っていうのも好きじゃないが、難しいことはできないっていうのもあるんですけど(笑)。

と述べている[10]

サッカー[編集]

市立船橋高校サッカー部のチームメイトには2学年先輩に野口幸司小川誠一、1学年先輩に中川秀樹(ヒデ)庄司孝、同級生に永田崇、1学年後輩に高田昌明和田潤、2学年後輩に鬼木達、水野淳がいる。

高校生活最後の試合は第69回全国高等学校サッカー選手権大会2回戦の清水商業高校戦。この試合で本来はフォワード登録だったが監督から「おまえはボールを見なくていいから名波だけ見ていろ」と相手のエース名波浩のマンツーマンディフェンスを指示された[2]。試合は終了間際に名波に同点ゴールのアシストを許しPK戦で敗れ、ワッキー本人も「試合としては全然、おもしろくなかった」と述べているが、翌日の新聞には「脇田が名波を抑えたから良い試合になった」とプレーぶりを賞賛された[2]

専修大学サッカー部では元川崎フロンターレ源平貴久と同期。2006年にペナルティとしてサッカーの本を出版した際には、同部の監督となっていた源平が技術監修を担当した[11]

2010年1月の名波浩の引退試合に「STELLE JUBILO(ステッレ・ジュビロ)」の一員として参加。林健太郎の引退試合にも「林健太郎とゆかいな仲間たち」の一員として参加している。また6月には吉本の芸人たちで結成した、よしもとサッカー部の代表メンバーとして『キャプテン翼』の作者高橋陽一率いる芸能人女子フットサルチーム南葛シューターズと対戦した[12]

スポーツ特番での活躍[編集]

身体能力が非常に高く、筋肉芸人として知られている。体脂肪率が低く、鍛え上げたボクサーのような体をしている。その実力は民放で行なわれる「スポーツ特番」(TBS筋肉番付シリーズ)などで、過去に数々の優秀な成績を収めていることからも見て取れる。

  • スポーツマンNo.1決定戦芸能人サバイバルバトルに過去5回出場し、2007年に行われた新王座チャレンジバトル、第18回大会で計2回総合No.1となっている。プロスポーツマン大会には過去3回出場し、2008年の第14回に総合6位、2009年の第15回に総合3位入賞を果たしている。同大会のTAIL IMPOSSIBLE(400m×4の持久走)では並み居るプロの強豪相手に堂々の2大会連続No.1となっている。第15回の決勝レースは青木剛興梠慎三のサッカー日本代表2人とのデッドヒートを制してのNo.1だった。
  • SASUKEにも出場しており、2011年の第27回大会、2013年の第29回大会で2ndSTAGEまで進出している。

その他[編集]

100m走を11秒台で走りきれる。

左利きであるが、サッカーの試合などでプレーする際は、右足利きである。

大学中退後にタイ料理店でアルバイト勤務をしていたことからタイ好きである[13][14] 。タイ王国に数か月在住した経験により、日常に困らない程度のタイ語を話すことができ[14]、初体験もタイ人である。モミアゲが特徴。下着はビキニを愛用している。

エピソード[編集]

  • 雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!」での企画「華の昭和47年組芸人」で皆が盛り上がる中、全く話題についていけず土田晃之にキレられたことがあり、その後の共演でも冷たくあしらわれている。そのことについてワッキーは、その頃はサッカー漬けの毎日で当時のことはあまり覚えていないと釈明。また、サッカーから離れていた19~20歳の頃の話題にもタイにいた為、ついていけなかった。ちなみに土田とは1979年4月から1980年1月まで同じ小学校(クラスは別)であった[15]。土田も脇田も後に(脇田は1980年1月、土田は小学2年の時に。)その小学校からは転校している。
  • 2008年7月27日の『FNS 27時間テレビ』の1コーナー、「復活!有名人の集まる店。」でネタがスベった時、「1、2。1、2。」と行進して他の出演者に近づき、「ツッコんで」と頭を差し出すと、必ず頭をポンと叩かれるという法則を披露した。しかし何度か繰り返す内に、ツッコんだ出演者がスベった空気に包まれてしまうことが判明。スベったワッキーが、「1、2。1、2。」と行進すると、他の出演者達が逃げまどう事態となった(通称「1、2事件」)。その後、これがきっかけで「ひょうきん懺悔室」で水を浴びることとなった。これを団体芸とすることに今田耕司は猛烈に反対した。『アメトーーク』でも同じことをやり、芸となりつつある。
  • ヒデがピンで出演する番組にマネージャーに頼み込んで無理やり出演することがある。
  • サッカー以外にけん玉も得意であり、事務所の後輩であるハリセンボン箕輪はるかと共に[16]に「けん玉同好会」を立ち上げている(「さんまのスーパーからくりTV」より)が、途中から箕輪の口から「戦力外」という理由でNON STYLE石田明の登場で解雇されてしまったが、武者修行を成し遂げ再び同好会に復帰した。
  • 2011年2月16日に車上荒らしに遭っていたことが明かされた際、縁起が悪いということでその荒らしに遭った車を売り飛ばそうとディーラーに車の査定に出したところ、そのディーラーが車を査定せずにそのまま蒸発したことを明かした(2011年12月3日放送さんまのまんまより)

出演[編集]

テレビ番組[編集]

レギュラー
ドラマ・特撮
その他

CM[編集]

脚注・出典[編集]

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  1. ^ 笑いの金メダル内で測定した際は175cmであった
  2. ^ a b c d e “スペシャルインタビュー Vol.3「ペナルティ」”. J.LEAGUE プロサッカークラブをつくろう!ONLINE. (2010年). http://www.j-saka-online.com/hangame/library/interview/vol03/ 
  3. ^ “ペナルティ·ワッキーが生放送で結婚発表!”. ORICON STYLE. (2007年10月9日). http://www.oricon.co.jp/news/entertainment/48697/ 
  4. ^ サハラマラソン」とは別である。
  5. ^ “ペナルティ・ワッキー「毛深いので実はもう危ない」”. ZAKZAK. (2006年2月8日). http://www.zakzak.co.jp/gei/2006_02/g2006020805.html 
  6. ^ “元「猿岩石」有吉弘行 再ブレイクまで援助してくれた人”. J-CASTニュース. (2008年11月22日). http://www.j-cast.com/2008/11/22030839.html 
  7. ^ “FLOW新作発売を記念し、宣伝部長“1 / 3マン”がSHIBUYA TSUTAYAで宣伝活動!”. CDJournal.com ニュース. (2011年3月9日). http://www.cdjournal.com/main/news/flow/37178 
  8. ^ “ペナルティ インタビュー”. escala cafe. (2005年11月21日). http://escala.jp/entertainment/interview/051121/index.html 
  9. ^ “ラウル、人生で一番可笑しかったのは芝刈り機のものまね”. サポティスタ. (2009年7月12日). http://supportista.jp/2009/07/news12053024.html 
  10. ^ “ペナルティ インタビュー#03”. escala cafe. (2005年11月21日). http://escala.jp/entertainment/interview/051121/03.html 
  11. ^ “ペナルティと一緒に!ファンファンサッカー―サッカーをもっと楽しむ本”. amazon.co.jp. (2006年). http://www.amazon.co.jp/dp/4903110001 
  12. ^ “よしもとサッカー部発足! キャプテン翼スタジアムで初試合”. 横浜ウォーカー. (2010年6月12日). http://news.walkerplus.com/2010/0612/12/ 
  13. ^ “ペナルティ・ワッキー「タイは世界で一番面白いところ」”. ZAKZAK. (2007年4月3日). http://www.zakzak.co.jp/gei/2007_04/g2007040305.html 
  14. ^ a b “ペナルティ·ワッキー「タイのスターになる」と路線変更宣言”. ORICON STYLE. (2008年5月31日). http://www.oricon.co.jp/news/movie/55087/full/ 
  15. ^ 『アメトーーク』2008年9月18日放送「華の昭和47年組芸人」より
  16. ^ 元は箕輪が挑戦状を叩きつけ、対決に勝利したらコーナーを受け継ぐという形であった。結果は箕輪の勝利となったものの、ワッキーは降板することなく残留しており、そのため箕輪は途中追加メンバー扱いとなった。
  17. ^ “芸人VSなでしこJAPAN「炎の体育会TV」初回でサッカー対決”. お笑いナタリー. (2011年10月10日). http://natalie.mu/owarai/news/57774 

外部リンク[編集]