ワシントン・ナショナルズ (アメリカン・アソシエーション)

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ここでは1884年アメリカ合衆国ワシントンD.C.を本拠地とし、アメリカン・アソシエーションに加盟していたワシントン・ナショナルズ (Washington Nationals)について記述する。後述の通り、ワシントン・ステイツメン (Washington Statemen)とも呼ばれていた。

球団史[編集]

球団は1884年に結成されアメリカン・アソシエーションに加盟したが、同じ年に創設されたユニオン・アソシエーションの方にも別の「ワシントン・ナショナルズ」が加盟して活動していた。判り辛かったためか、チームは「ワシントン・ステイツメン(Washington Statemen)」とも名乗っていた。

チームの主力打者は新人のフランク・フェネリー、投手は前年ピッツバーグで投げていたボブ・バーを雇い入れた。バーはチーム最多の9勝を挙げたが、打つ方が打率.200と全く打てず、通算成績は12勝51敗。勝率はこの年の参加チーム中最低となり、チームはシーズン途中の8月に解散。球団はリッチモンドに移り、リッチモンド・バージニアンズとして残り日程をこなすことになった。

戦績[編集]

年度 リーグ 試合 勝利 敗戦 勝率 順位 監督 本拠地
1884年 AA 63 12 51 .190 13位 ホリー・ホリングステッド
ビッカーソン
Athletic Park

所属した主な選手[編集]

  • フランク・フェネリー:ワシントンでデビュー。1885年に最多打点を記録。
  • ボブ・バー:投手。通算49勝98敗、防御率3.83

主な球団記録[編集]

  • チーム最高打率:.292(フランク・フェネリー)
  • チーム最多安打:75(フランク・フェネリー)
  • チーム最多勝利:9(ボブ・バー)

関連項目[編集]

出典・外部リンク[編集]