ロバート・ローウェル
表示
ロバート・ローウェル Robert Lowell | |
---|---|
生誕 | 1917年3月1日 |
死没 | 1977年9月12日(60歳没) |
ロバート・ローウェル(Robert Lowell、1917年3月1日 - 1977年9月12日)はアメリカ合衆国の詩人。ローエル、ロウエルとも。
経歴
[編集]ボストン生まれ。母方の先祖はピルグリム・ファーザーズにさかのぼれる名家であり、父方の家系は軍人や実業家、政治家を輩出した家柄[1]。詩人J・R・ローウェル、女流詩人A・ローウェルの家系に属する1人である。
ハーバード大学を中退し、当時ニュー・クリティシズムの拠点となっていたケニオン大学を卒業。ボストン大学、ハーバード大学で教え、第二次大戦時徴兵拒否で投獄される。1967年にはベトナム反戦集会で自作の詩を朗読する。著書に「不似の国」(’44年)、ピュリッツァー詩賞受賞「ウィアリー卿の城」(’46年)、全米図書賞受賞「人生研究」(’59年)、「ノートブック」(’69年)、「歴史」、ピュリッツァー賞受賞「ドルフィン」(’73年)、「日毎に」(’77年)などがあり、J.R.ローウェルの子孫でランサム(John Crowe Ransom)の教え子である[2]。
『ウィアリー卿(きょう)の城』(1946)でピュリッツァー詩賞を受け、第二次世界大戦後のアメリカ詩壇の中心的存在となった。初期の詩風は難解で修辞的だが、『人生研究』(1959)以降は平易な口語調に近づいた。内容も大胆に自伝的、告白的で、シルビア・プラス、アン・セクストンなどの詩風に大きな影響を与えた。『連邦軍死者に捧(ささ)ぐ』(1964)、『海のほとり』(1967)、『ノート・ブック67―68年』(1970)などの詩集のほかに、訳詩集『模倣』(1961)や、ホーソンとメルビルの短編から取材した三部作の詩劇『むかしの栄光』(1965)がある[3]。
脚注
[編集]- ^ “詩はどこまで自由になれるか ロバート・ローエル詩集『その日その日』を読む 中上哲夫”. www.interq.or.jp. 2020年10月11日閲覧。
- ^ 「ロバート ローエル」『20世紀西洋人名事典』 。
- ^ 新倉俊一「ローウェル(Robert Lowell)」『日本大百科全書(ニッポニカ)』 。
外部リンク
[編集]- A Mania For Phrases. The Voices and Visions Series (Robert Lowell Episode). New York Center for Visual History, 1988. [1]
- "Epilogue" by Robert Lowell at the Poetry Foundation.
- 図書館にあるロバート・ローウェルに関係する蔵書一覧 - WorldCatカタログ
- Articles on Lowell at Modern American Poetry, University of Illinois. Accessed 2010-09-11
- Lowell's grave site at findagrave.com.
- Frederick Seidel (Winter–Spring 1961). “Robert Lowell, The Art of Poetry No. 3”. The Paris Review September 11, 2010閲覧。.