ロナルド・ウェイン
ロナルド・ウェイン | |
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2022年のウェイン | |
| 生誕 |
Ronald Gerald Wayne(ロナルド・ジェラルド・ウェイン) 1934年5月17日(91歳) |
| 著名な実績 | Appleの共同創業者 |
ロナルド・ジェラルド・ウェイン(Ronald Gerald Wayne、1934年5月17日 - )は、アメリカのエレクトロニクス産業界の元・経営幹部であり、Appleの創業者のひとり。メディアからはしばしば「Appleの忘れられた創業者」と呼ばれている[1]。
ウェインはアタリでシニアデザイナーや開発マネージャーとして勤務していた時期に、同社の年下の同僚であったスティーブ・ジョブズ、およびジョブズの友人でHPで勤務しているスティーブ・ウォズニアックらと知り合いになった。そして2人がApple Iの製造・販売の新規事業を(アタリとは別に、自分たちの事業として)立ち上げようとしていることに深く関与し、喧嘩をしがちだった2人の調停役となり、この新規事業の管理のしかたの概要を2人に教え、『Apple-1 Operations Manual』を作成、得意の製図技術を使いマザーボードまわりの設計図なども作成、Apple Computer Company(現: Apple)の登記文書を作成し、1976年4月1日に2人とともに同社を共同設立。当初Apple社の10%を持ち、利益や損失の10%を得る(分担する)正式なパートナーであったが、設立の12日後(あるいは数カ月後)に、"2人と共同経営者でいると自分にふりかかる可能性があるリスクやストレスを回避するため" にパートナーを辞す決断をし、Apple社の将来の利益や債務の取り分(分担分)を完全に放棄した[2][3][4]。[注釈 1] 詳細は#Apple(1976年-1977年)の節で解説。
来歴
[編集]1934年5月17日、オハイオ州クリーブランドで誕生[5]。ニューヨークのスクール・オブ・インダストリアル・アート高校で工業製図技術者としての訓練を受けた[6]。
1956年、22歳のときにカリフォルニアへ移住した。
30代後半の1971年、ウェインはスロットマシンの設計と製造を行う最初の事業を開始したが、この事業は1年も経ずして失敗に終わった[要出典]。
アタリ(1973年-1976年)
[編集]アタリでシニアデザイナーとなり、公式文書および資材管理システムを確立した。この高度なカタログ化および在庫追跡システムは、アタリの製造効率を劇的に向上させ、最終的なビデオゲームシステムの製造に必要な原材料の紛失、重複、誤分類に起因する大きな損失を解消した。この文書システムには、アタリが販売したすべてのアーケードゲームの取扱説明書、回路図、および筐体設計が含まれていた。製品開発マネージャーとしてはゲーム機筐体を設計し、『Gran-Track Racing』といったゲームの開発を指揮した。ウェインのアタリでの職務は、アタリがワーナー・コミュニケーションズに買収されたことで終了した。
Apple(1976年-1977年)
[編集]1976年、ウェインは設立3年目のアタリにおいて、精巧かつ包括的な社内文書管理システムで高く評価されていた[7]。そこで彼は同僚のスティーブ・ジョブズ、スティーブ・ウォズニアックと出会った[8]。コンピュータの設計や業界の将来について彼らが激しく議論していた際、ウェインは調停役として自宅に2人を招き、助言を行った。その2時間の会話の中で、ジョブズはウォズニアックとともにコンピュータ会社を設立する計画を提案した。ジョブズとウォズニアックがそれぞれ45%を持ち、ウェインが10%を持って決定の仲裁役となる構想であった[9]。当時41歳のウェインは自らを「部屋の大人」と称し[7][10]、オリジナルのパートナーシップ契約書を起草し、3人は1976年4月1日にApple Computerを設立した。ウェインは最初のAppleのロゴ(Apple Newtonとして知られる)のイラストを描き[11]、Apple Iのオペレーションマニュアルも執筆した[7][10][12]。
ウェインは5年前のスロットマシン事業の失敗で1年間債務返済を余儀なくされた「非常に辛い」経験があり、ビジネスに対してリスク回避的になっていた[7][10]。ジョブズはApple初の注文主であるByte Shopからの発注に必要な部材を調達するため、15000ドルの与信枠を確保したが、Byte Shopは代金支払いの遅さで悪名高く、これがウェインに大きな不安を与えた[7][9]。アメリカ合衆国のパートナーシップ課税においては、パートナーシップの全メンバーが他のパートナーが負った債務にも個人的に責任を負う。21歳と25歳であったジョブズとウォズニアックとは異なり、ウェインは既に債権者に差し押さえられる可能性のある相当額の個人資産を所有していた[12][13]。さらにウェインは、Appleで無期限に管理職を務めることには不本意であり、むしろオリジナル製品やスロットマシンの設計に情熱を持っていた。「巨人たちの陰に立っている」ように感じ、財務的リスクから身を守りたいと考えた彼は退社を決断した[7]。「ウェインはAppleを正式に設立した契約書を作成してから12日後、郡の登記所を訪れ、自身の名前と関与を正式に取り下げる修正を提出した」。ウェインはその後、株式を放棄する代償として800ドルを受け取った[12][14]。正確な退社時期についてはスティーブ・ウォズニアックによって異論があり、彼はインタビューで、ウェインが数か月後に会社を去ったと語っている[15]。
ウェインはその後の数十年にわたり、持分を売却したことについて後悔していないと述べており、「当時得られた情報に基づいて最善の決断をした」と説明している[16]。2016年4月のインタビューでは、唯一の後悔は署名入りオリジナル契約書のコピーを500ドルで売却したことであり、その文書は後年160万ドルで売却されたと語った[4]。彼はAppleの事業について「成功するとは本当に思っていたが、その道のりには困難が伴い、私はリスクを冒せなかった。既に不運な事業経験をしていたし、私は年を取りすぎており、2人は旋風のようだった。虎の尻尾を掴んでいるようなもので、とてもついていけなかった」と述べている[11]。Appleが一時的に世界で最も価値ある企業になったにもかかわらず、ウェインはAppleに残って抱えたであろうリスクやストレスを考慮すれば、「墓場で最も裕福な男になっていただろう」とも語っている[7]。
貢献
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- ウェインがアタリ向けに開発した内部文書システムと在庫追跡システムは、直ちにAppleでも活用された。
- Apple Newtonとして知られる初代企業ロゴはウェインの手によるものである。
- 初期のApple I試作機はワイヤラップ技術を用いて構築され、マイクロプロセッサと各回路部品が接続された。ロナルドは『Apple-1 Operations Manual』に収録されている詳細なプリント基板図面を作成した。
- この詳細設計図により、外部業者による最終基板アートワーク作成とプリント基板(マザーボード)の大量製造が可能となった。マザーボードは、Apple Iの量産に不可欠であった。
- ウェインは『Apple-1 Operations Manual』を執筆し、当時まだ明確な用途が定義されていなかった新しい家庭用コンピューティング機器の組み立て・操作に必要な詳細な指示を最初の消費者に提供した。
- 当時、コンピュータの基板はAltair 8800のように垂直方向に配置することが一般的でコンピュータの筐体は分厚い箱型になっていたが、ウェインはApple Iのシルエットを薄くし、設置面積とコストを削減し、部品接続や組み立て作業を削減するため、新たにマザーボードを水平方向に配置する設計を考案・実装した。この新方式により、モニタをコンピュータ筐体の上部に配置しつつ、内部に全ての部品を収めることが可能になった。(Apple Iには正式な筐体やコンソールが存在せず、購入者の一部は大型ブリーフケースを即席ケースとして利用した。Apple II開発に際しては、システム構成要素を保護する効率的かつ効果的なケースの設計が必要となった。)
Apple退社後
[編集]Appleを去った直後、ジョブズはウェインに復帰を求めたが、彼はこれを拒否し、アタリに1978年まで在籍した。その後、ローレンス・リバモア国立研究所を経て、カリフォルニア州サリナスの電子機器製造会社「Thor Electronics」で勤務した[16]。
1970年代後半、ウェインは短期間カリフォルニア州ミルピタスで切手店を経営したが、度重なる侵入被害により、後に自宅で切手売買事業を続けるようになった[16][17]。
スティーブ・ジョブズは再びAppleのビジネス人脈としてウェインに接触し、知人の会社買収を持ちかけたが、ウェインはその提案を拒否した。彼はその知人が会社を維持し、Appleへ独占ライセンス供与する形の方が望ましいと考えたためである。しかし後年、ウェインはこの件に介入せず、当事者間に直接交渉させるべきだったと回想している[7]。
メディア出演
[編集]ウェインは2008年のドキュメンタリー映画『Welcome to Macintosh』に出演し、ジョブズやウォズニアックとの初期の経験について語っている[18]。
2011年7月、ウェインは回顧録『Adventures of an Apple Founder』を出版した。彼は当初Apple Booksストアでの独占販売を計画していたが、これは実現しなかった[19]。
同年10月1日、ウェインは社会経済的な論考『Insolence of Office』を執筆・刊行した[19]。
私生活
[編集]脚注
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]- ↑ “Apple at 40: The forgotten founder who gave it all away” (英語). BBC News. (2016年4月1日) 2025年5月15日閲覧。
- ↑ Martin, Emmie (2018年8月2日). “Apple hit a $1 trillion market cap—here's why its third co-founder sold his 10% stake for $800”. CNBC 2018年8月2日閲覧。
- ↑ “Just nine of the world's richest men have more combined wealth than the poorest 4 billion people”. The Independent 2018年8月2日閲覧。
- 1 2 3 Lee, Dave (2016年4月1日). “Apple at 40: The forgotten founder who gave it all away”. BBC News
- ↑ “Bio”. ronaldgwayne.com (2012年10月5日). 2015年2月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年9月2日閲覧。
- ↑ Dormehl, Luke (2014年12月3日). “The oddly uplifting story of the Apple co-founder who sold his stake for $800”. Cult of Mac. 2025年10月5日閲覧。
- 1 2 3 4 5 6 7 8 Luo, Benny (2013年9月12日). “Ronald Wayne: On Co-founding Apple and Working With Steve Jobs”. Nextshark. 2025年10月5日閲覧。
- ↑ Isaacson, Walter (2011). Steve Jobs. Simon & Schuster. p. 44. ISBN 978-1451648539
- 1 2 “Pahrump Nevada Man Could Have Been Apple Billionaire now lives in Mobile Home Park”. RealPaurump.com (2010年6月25日). 2014年8月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年7月5日閲覧。
- 1 2 3 “Woz, Jobs and ... Wayne? Apple's forgotten founder still wandering in the desert”. Mercury News (San Jose, California). (2010年6月2日). オリジナルの2010年6月3日時点におけるアーカイブ。. "Twelve days after Wayne wrote the document that formally created Apple, he returned to the registrar's office and renounced his role in the company. When Jobs and Wozniak filed for incorporation a year later, Wayne received a letter asking him to officially forfeit any claims against the company, and he received another check, this time for $1,500."
- 1 2 “US pensioner Ronald Wayne gave up £15bn slice of Apple”. The Daily Telegraph (UK). (2010年4月23日). オリジナルの2012年11月14日時点におけるアーカイブ。 2015年9月2日閲覧。
- 1 2 3 Wozniak, Steve. “Letters-General Questions Answered”. Steve Wozniak official site. 2000年8月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年10月5日閲覧。
- ↑ Seibold, Chris (2009年4月12日). “April 12, 1976: Ron Wayne, Apple's Third Founder, Quits”. Apple Matters. 2015年2月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年10月5日閲覧。
- ↑ Simon, Dan (2010年6月24日). “The gambling man who co-founded Apple and left for $800”. CNN. オリジナルの2010年6月26日時点におけるアーカイブ。 2010年6月24日閲覧. "Wayne left Apple for only $800. "What can I say? You make a decision based on your understanding of the circumstances, and you live with it," he said."
- ↑ “Steve Wozniak discusses the 'lost' Apple co-founder, Ron Wayne”. YouTube (2011年1月13日). 2021年11月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年10月5日閲覧。
- 1 2 3 Linzmayer, Owen W.. “Chapter one: The Forgotten Founder”. Apple Confidential: The Real Story of Apple Computer, Inc.. No Starch Press. オリジナルの2015-04-11時点におけるアーカイブ。 2010年3月31日閲覧。
- ↑ “Former Apple co-founder finds passion in stamp collection” (英語). Pahrump Valley Times (2016年5月13日). 2022年11月4日閲覧。
- ↑ 512k Entertainment (2008年1月1日). “Life Before Apple”. YouTube. 2016年5月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年10月5日閲覧。
- 1 2 “Adventures of an Apple Founder on iTunes store”. Ronald G Wayne (2011年9月3日). 2011年10月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年11月11日閲覧。
外部リンク
[編集]- 公式ウェブサイト
- Ron Wayne interview by OMT
- NPR report "Lost" Apple Founder Has No Regrets – June 13, 2010
- Ron Wayne, Apple Co-Founder, Shares Steve Jobs' "Richest Man in the Cemetery" Sentiment Almost Verbatim Archived December 7, 2014, at the Wayback Machine., Village Voice, October 8, 2011
- Ronald G. Wayneのインタビュー - TV show Triangulation on the TWiT.tv network