ロズニツァ
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ロズニツァ ![]() Loznica /Лозница | |
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市街地の夜景 | |
位置 | |
![]() セルビアにおけるロズニツァの位置 | |
座標 : 北緯44度32分00秒 東経19度13分33秒 / 北緯44.53333度 東経19.22583度 | |
行政 | |
国 | ![]() |
郡 | マチュヴァ郡 |
基礎自治体 | ロズニツァ |
市長 | Vidoje Petrović (SNS) |
人口 | |
人口 | (2011年現在) |
基礎自治体域 | 79,327人 |
市街地 | 19,212人 |
その他 | |
等時帯 | CET (UTC+1) |
夏時間 | CEST (UTC+2) |
市外局番 | +381 15 |
ナンバープレート | LO |
公式ウェブサイト : www.loznica.rs/ |
ロズニツァ(セルビア語: Loznica /Лозница)はセルビアの都市および基礎自治体。
歴史[編集]
この地に人が住み始めたのは新石器時代のことで、紀元前4500–3000年頃の遺跡が発掘されている。その後はイリュリア人やケルト人が居住したが、紀元前75年にローマ人によって駆逐された。
ローマ帝国期、現在のロズニツァにつながるアド・ドリナム(Ad Drinum)が建設された。「ロズニツァ」の名前が初めて登場するのは1317年に書かれた書簡で、ステファン・ウロシュ2世ミルティンの兄弟の妻がこの地に修道院を建設したことが記録されている。16世紀半ばにはオスマン帝国の支配下にあり、多くのムスリムが居住していた。
1804年、セルビア人がオスマン帝国からの独立を求め第1次セルビア蜂起が発生した。1813年に鎮圧されるまでロズニツァの周辺では複数の大規模な戦闘が行われ、多くの犠牲者が出た。1833年、ロズニツァは正式にセルビア公国に編入された。
20世紀初頭にはシャバツとの間で鉄道が敷かれた。第一次バルカン戦争と第一次世界大戦では戦闘により多くの犠牲者が出た。
姉妹都市[編集]
出身者[編集]
詳細は「Category:ロズニツァ出身の人物」を参照
- ネマニャ・マクシモヴィッチ - サッカー選手
- ランコ・デスポトビッチ - サッカー選手
- ヴラディミル・ストイコヴィッチ - サッカー選手
- ミロス・ブヤニッチ - バスケットボール選手
- ズラトコ・ユヌゾヴィッチ - サッカー選手
- ミハイロ・ペトロヴィッチ - サッカー選手、サッカー指導者
- ヴーク・カラジッチ - 言語学者
脚注[編集]
外部リンク[編集]
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