ロスディ・タリブ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ロスディ・タリブ
名前
ラテン文字 Rosdi Talib
基本情報
国籍 マレーシアの旗 マレーシア
生年月日 (1976-01-11) 1976年1月11日(48歳)
出身地 クアラ・トレンガヌ
身長 170cm
選手情報
在籍チーム マレーシアの旗 PBAPP FC
ポジション DF (LB) / MF (DMF)
背番号 41
ユース
マレーシアの旗 トレンガヌFA
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1997-2003 マレーシアの旗 トレンガヌFA
2003-2009 マレーシアの旗 パハンFA
2009-2012 マレーシアの旗 TチームFC 31 (3)
2012-2013 マレーシアの旗 トレンガヌFA 5 (0)
2014- マレーシアの旗 PBAPP FC 2 (0)
代表歴2
2000-2007  マレーシア 62 (3)
監督歴
2013-2014 マレーシアの旗 ハヌランFC(アシスタント)
1. 国内リーグ戦に限る。2014年3月31日現在。
2. 2008年10月24日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ロスディ・タリブマレー語: Rosdi Talib1976年1月11日 - )は、マレーシアサッカー選手、サッカー指導者。元マレーシア代表。ポジションはLBまたはDMF

クラブ歴[編集]

地元のトレンガヌFAでサッカー選手となり、2000年にピアラFAマレーシアを制した。給与未払いの問題から、ハイルディン・オマルスブリ・スロンと共に退団[1]

そしてパハンFAに加入し、マレーシア・スーパーリーグとピアラFAマレーシアを2006年に制覇。2009年には再びトレンガヌ州に戻ったものの、TチームFCに加入した[2]

2012年に再びトレンガヌFAに加入し、2013年に選手を引退し指導者の道へと向かった。

2014年4月には現役に復帰し、PBAPP FCに加入した[3]

代表歴[編集]

AFCアジアカップ2000予選の際に代表に招集されて以来、マレーシア代表として出場を重ねた。準優勝した同年のムルデカ大会、そして3位となった2000 タイガーカップではその順位獲得に貢献した。2004 タイガーカップの際には代表主将を務め、チームを3位に導いた。AFCアジアカップ2007の際も代表に招集され、全試合に出場した。そのアジアカップでイラン代表と交えた一戦が彼の代表としての最後の試合となった。

監督歴[編集]

2013年に選手を引退し、ハヌランFCのアシスタントコーチに就任した[4]。その翌年には選手に復帰した。

参考文献[編集]

  1. ^ “Mimpi BN tawan Batu Buruk”. Harakahdaily. (2006年10月21日). オリジナルの2007年9月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20070927033235/http://www.harakahdaily.net/bm/index.php?option=com_content&task=view&id=4912&Itemid=59 2007年3月30日閲覧。 (マレー語)
  2. ^ “Football / Premier League: Terengganu trio return”. The New Straits Times. (2008年10月24日). http://www.nst.com.my/Current_News/NST/Friday/Sport/2384062/Article/index_html 2008年10月24日閲覧。 [リンク切れ]
  3. ^ PBAPP FC 1-2 Felda United FC: The Settlers continue winning streak”. goal.com (2014年4月15日). 2014年4月15日閲覧。
  4. ^ Hanelang FC kibar cabaran”. hmetro.com.my (2014年1月13日). 2014年1月13日閲覧。

外部リンク[編集]